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【9期生対談vol.14】「越境と制作」を考える 対談: YE ZIJINGさん(アーティスト) + 王之玉さん(アーティスト)

クマ財団9期生による、クロストークを行う本企画。第14回は「越境と制作」をベーステーマに掲げ、YE ZIJINGさん(アーティスト)+ 王之玉さん(アーティスト) の2名が互いの持ち寄った質問に答える形で意見を交わします。

聞き手:クマ財団事務局
執筆:小泉悠莉亜

9期生対談シリーズ一覧はこちら|https://kuma-foundation.org/news/13491/


 

———今回は「異国でアーティストとして生きること」を起点に対話をしていただきたい2名のアーティストに集まっていただきました。まずは読者のみなさまに、自身の活動を含めた自己紹介をお願いいたします

王:王之玉です。中国出身で2017年に来日し、東京藝術大学の油絵科油画技法材料研究室で学士号、修士号を納め、現在は博士課程で学んでいます。オカルティズム、宗教物語、自然科学と個人の旅の体験などから影響を受けて、生命体と非生命体、あるいは人工物と自然物、男性と女性、混雑と秩序など、対立する性質をあるがままの有限な状態から解放させる———両性具有の体、天使、一角獣、イルカなど錬金術によく出てくる神秘的な要素を含むモチーフを自分の作品に取り入れることが多いです。

王之玉《My Angels Record》2024
「天上位階論」の天使への好奇心と憧れに触発された、王自身の精神世界を“天上帝国”へと展開させた作品。使命を帯びたシンボルたちが天上帝国から地上の領域へと降りてくる様子を表現した。

YE:同じく中国出身のYE ZIJINGです。日本で約7年過ごした後、現在はイギリスの美術大学で修士課程を修了したところです。私は、国家の制度や国境といった「動かしがたい枠組み」と、個人の「身体」がどう関わり、摩擦を起こすのかをテーマに、主にインスタレーションや映像を制作しています。私自身の経験として、国籍によって移動のたびに複雑な証明を求められる中で、本来流動的であるはずの「移動」が、実は特定の条件下でのみ許される「限定的な自由」であることに強く意識が向くようになりました。身体は代謝を繰り返し、どこにいても変化し続けるのに、所属という記号は固定されたまま。そのギャップから生まれる「自由とは何か」「所属とは何か」という問いを、鑑賞者自身の身体感覚に訴えかける形で表現したいと考えています。

YE ZIJING《立ち入り禁止》2024
移動や自由、観察を制限する境界をテーマにしたインスタレーション作品。観客はフェンス越しでの作品鑑賞のみが許され、展示空間は舞台のように演出されている。廃棄された飛行機部品は移動の象徴から静止の記号へと変化し、観客は距離の中で「見ること」の本質と境界の政治性を問い直される。

———ここからは持ち寄っていただいた質問を軸に展開します。まずは「外国にルーツを持つアーティストとして日本で活動することの壁や難しさを感じることはありますか?(YEさん)」です。

王:いくつかあります、あくまで私個人の経験に基づく話になるのですが、順を追ってお話ししますね。ひとつめは、現在のアートマーケットを取り巻く条件の厳しさでしょうか。これは日本に限らず、世界的にも共通する傾向かもしれません。私のように大型のインスタレーション作品を作るための予算は潤沢ではありませんし、作品の良し悪しに関係なく、作品の販売の難易度も高いです。また日本特有のユニークネスに感じているのですが、作品を保管する場所がかなり限られる上に、その場所の管理コストも高くつきます。絵画や、小さなサイズの作品は割と流通に載せられるので管理コストを度外視してもよいでしょうが、そうでなければ美術館に所蔵してもらうか、どこか大きな会社に飾ってもらうかの二択しかないように感じますね。

YE:そうですか。

王:もうひとつは生活の中で生まれる細かなストレスや緊張感です。私は日本がほんとに好きですし、この場所に敬意を持っています。だからこそ、ここで長く生活し創作していきたいという思いが強いのですが、日常的に「母語ではない言語で暮らす」ということには、やはり目に見えないストレスが積み重なります。
たとえば、会話ひとつにしても「できるだけ正確に伝えたい」と思えば思うほど、表現を選ぶ時間が増えるし、相手に失礼がないかを常に気にします。また、人との距離感や関係の築き方についても国や文化によって違う部分があります。私は「本音で話せる関係」やいわゆる「ほんとの友達」をとても大事にしたいタイプで、今の周りの環境でそれを作るためには、時間をかけて丁寧に関係を育てていく必要があるなと実感していますね。アーティスト活動にも繋がる話で言えば、制作を続けていくためには作品だけでなく、展示やプロジェクトに関わるさまざまな人との信頼関係やネットワークが重要です。日本の現代美術界には、先輩後輩のつながり、紹介を通して広がっていく文化など、長い時間の中で育まれてきたコミュニティがあると思います。海外出身の作家の場合、そうしたネットワークに参加するためには、言語や文化の違いも含めて、自分から積極的にアピールする必要があり、そこに難しさがあります。作品が良ければ自然に評価されるというよりは、作品と同時に人との関係性も丁寧に築いていくことがとても大事で、そこに求められるソーシャルスキルのハードルは、外国にルーツを持つ作家にとって少し高く感じられることがある、ということですね。

YE:そうですよね。外国人ゆえの困難を口にすると、『嫌なら別の場所へ行けばいい』といった極端な反応に繋がってしまうことがありますが、それは本質的な解決ではないですよね。もっと同じ地平に立つ人間として、対話ができればいいなと思います。国籍という属性によって、なぜここまで移動や活動の自由が制限されてしまうのか、という点に疑問を感じています。。皆が完全に平等でなかったとしても、コネがなくても、大型のインスタレーションアート作品でも売れる平和的な環境は本当にないのかな? と常に思っています。ユートピアの話かもしれないですが。

王:「外国にルーツを持つ」というアイデンティティはずっと自分に付属する感覚がありますよね。私は外国人として日本で活動することに最近はもはや負担を感じなくなって、むしろ現状を受け入れたからこそ違う視点のものが表現できると信じるようになりました。いろいろなハードルや困難を提示してきましたが、実際には、全然それらを負担だとは感じていないんです。

YE:私自身は、特定の場所に定着するというよりは、常に移動の中に身を置く「移住民」のような感覚を持って生きています。自分のルーツや中国文化には深い敬意と誇りを持っていますが、それは制度としての「国籍」に縛られるものではないと考えています。
ベネディクト・アンダーソンが説いた『想像の共同体』という概念があるように、国家や所属というものは、ある種の制度的な枠組みによって形作られたものです。私の身体を構成する細胞は数年で全て入れ替わり(代謝し)、思想も日々変化していく一方で、国籍という記号だけが静止したまま私を規定しようとする。この「代謝し続ける身体」と「固定された制度」の間に生じる摩擦こそが、私の制作の原動力です。今の私が直面しているのは、その属性によって「移動の自由」という基本的な権利が、制度的な境界線によって制限されてしまうという客観的な事実なんです。

YE ZIJING《breeding migration 2024》2024

王:ビザを取ること自体が面倒くさかったり、複雑だったりしますし、もしビザを取得したとしても、時勢に応じた対応を講じる必要が出る場合もありますよね。

YE:そうですね。最近も、とあるフランスの展示を見に行きたかったのですが、フランスのビザを取得するのに手間がかかるし、展示が終わるまでに申請が許可されるのかもわからず断念しました。仕事でいきなり来週からヨーロッパへ行く予定が入ったとしても、そんなにすぐにビザの申請は降りないので、プロジェクト自体がおじゃんになる。「移動」の自由は、もはや旅に限定されたことではなくて、仕事をする機会が奪われることとも同義です。私が直接的な原因を作っていないにも関わらず、そうやって私自身の「自由」がどんどん狭められる。自由な移動が当たり前である環境にいると、その恩恵に無自覚になりやすいものです。だからこそ、想像力を持って他者の状況を知ろうとすることで、他者に対する偏見が減ることを願っています。

———ありがとうございます。関連しそうな次の質問にうつりますね。「ご自身のアイデデンティティや価値観に最も影響を与えたカルチャーギャップはなんですか?(王さん)」。いかがでしょうか。

王:中国語には、いわゆる日本語の敬語のようなはっきりしたカテゴリーがあまりなく、あったとしてもものすごくフラットですから、私はその感覚を掴むのには苦労しています。今でも正しいビジネスメールがよくわからなくて……。この独特の敬語カルチャーが、人間同士の距離感を生み出しているような気もします。たとえ日本人の友達ができても、もしその方がずっと敬語で私と話すならば、その関係性に「友達らしさ」を感じにくいですね。あらためて敬語という言葉は不思議なものだなと思います。

YE:私も敬語は苦手ですね。日本語の敬語が持つ「物理的な距離ではない、社会的な距離感」の特徴は、今でも非常に興味深い研究対象だと感じています。
質問への回答ですが、イギリスに移住して感じたのは、単なる「差別」という言葉では片付けられない、身体と制度の間に生じる「摩擦」でした。卒業制作の《A Drawn Line》では、ビザを持たずこの国に入れない方の唾液を、入国資格を持つ私が運び、国境を越えさせるという試みを行いました。人間としての「身体」は厳格な検問に阻まれるのに、匿名化された「物質としての体液」になった途端、それは私の特権的な移動に乗って軽々と境界線を突破できてしまう。「資格を持つ私」と「持たない彼ら」。 この残酷な自由の非対称性と、人間を拒絶しながら物質は受け入れる境界線の不条理さを、可視化したかったのです。
また最近の作品《Tastes Like Paper》では、英国政府の移民政策を記した白皮書を可食ペーパーに印字し、観客にそれを「咀嚼し、飲み込ませる」というパフォーマンスを行いました。マジョリティ側は意識することのない「冷徹な行政言語」を、あえて個人の口腔という最もプライベートな空間に入れ、身体的に裁定(代謝)させる試みです。特権とは、こうした「制度の壁」を意識せずに呼吸できる状態を指すのかもしれません。私はその無意識の領域に、身体という確かな手触りを持って問いを投げかけていきたいと考えています。

YE ZIJING卒業制作《A Drawn Line》2025

———クマ財団からもひとつ質問させてください。おふたりは今後、どういった制作活動をしていきたいか、あるいは鑑賞者の方々にどんな作品を届けていきたいですか?

王:これまでは自分の世界みたいなのを独自の世界観で作ってきましたが、これからはその「世界」をどんどん拡大していきたいですね。もっといろんなモチーフや場所を取り入れて、将来的には「宗教的なもの」も作ってみたいです。自分が神になりたいわけではなくて、宗教の存在そのものにとても憧れています。現代の日本では、宗教にとてもネガティブな印象を持っている方々も多いかもしれませんが、それはある特定の事件に起因するもので、宗教の本質はすごく純粋なもので「ただ人に希望を与えるもの」だと私は捉えています。その意味で、性別、人種、言語など人固有の属性に縛られない、何にも問われない空間を作りたい。そのために宗教をより深く知らないといけないと思います。いずれは日本でお寺を所有してみたいです。宗教者の立場にありながらも、いろんな作品を作ったり、いろんな活動をしてみたりする———私にとっての美術家、芸術活動はつまるところ宗教活動と全く同じなのかもしれません。

王之玉《Gabriel ☿》2024

YE:これまで私が探求してきた実体験や身体性をベースに、今後は「食」をメディアとした映像作品の制作を深めていきたいと考えています。そのきっかけは、ロンドンで見つけた植民地時代の香港のレシピ本でした。そこに記されたステレオタイプな中華料理を再現する試みを通じて、当時の支配的な視点がどのように「食」を定義し、他者のイメージを構築したのかを可視化できるのではないかと考えています。
こうしてイギリスに身を置いていると、かつての帝国主義的な力関係が、現代においても「ガストロナショナリズム(食ナショナリズム)」や、特定の味覚を求める植民地主義的な眼差しとして、人々の無意識の中に今なお息づいていることに気づかされます。
私は、食を単なる文化の象徴としてではなく、政治的な境界線や生存戦略の場として捉えています。食べ、消化し、自らの身体の一部とする「代謝」というプロセスを通じて、いかにしてアイデンティティが形成され、あるいは規定されていくのか。その複雑な背景を、『食』という身近な営みを通じて、改めて問い直したい(または可視化したい)と考えています。
未だに帝国主義のパフォーマンスやスタンスがプレゼンスしていることに気づくようになって、その背景を「食」を通じて世間に引き摺り出したいのかもしれません。

———それぞれの議論はまだ続きそうですが、今回はここまでとさせてください。みなさんありがとうございました。

 


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