2018
見上げるもの・見下すもの
昔、親になぜか隠し事が見透かされて怒られた、なんて経験はないでしょうか?
私が小さかった頃の記憶、それはおぼろげに覚えている私の名前を呼ぶ今は亡き父の声と、教会で聖書の教えを学びながら過ごした日々。私にとっての「父」とはいつも目に見えない存在で、物心ついた頃から常にどこかで見守られているような、見透かされているような気がしていました。
聖書の中には、アダムとイブがお父さん(神)の言いつけを守れずに禁断の果実をかじってしまい、茂みに隠れてばれないように試みても、結局お父さんにはお見通しだった、という有名な話があります。
どんな時でもニ人の父 (父なる神と肉親の父) は上から見下ろして見ている…。
空を見るとそんな想いがよぎってしまいます。
抱きしめてほしくても、近づきたくても近づけない。
だからせめて、父がいるはずの空の視点から世界を見てみたい。
少しでも近くに感じたい。
そんな想いからこの作品を作りました。
©Sayuri Murooka