インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.58 サカイケイタ「錯視による秩序の再編成——サカイケイタが紡ぐ、形とリズムの世界——」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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活動支援生インタビュー、はじめます!


KEITA SAKAI |サカイケイタ

 サカイケイタさんは、「ディスレクシア(読み書き困難)」による知覚の特性を出発点として、識字に関する「認識のズレ」をテーマに彫刻を制作しています。日常生活で無意識に行われる行動を作品に織り込みながら、認知の曖昧さ、すなわちヒューマンエラーを探求し、活動を行っています。作品を通して知覚とコミュニケーションにおける新たな視点を探りつつ、彫刻でありながら新しい記憶のパブリックを構築する、サカイケイタさんの形とリズムの世界について伺いました。

インタビュアー・ライター:LU MENGYAO 

秩序とエラーのダイナミズム:日常における記号への認知を顕在化する

《Mikke》シリーズ

——「記号」「ディスレクシア」「秩序」はサカイさんの作品で頻出するキーワードです。秩序とは、具体的にどのようなものですか?このテーマに興味を持つようになった経緯は?

サカイ:空間における秩序と人間の認知に興味が深くあり、読み書き障がいに関連するエピソードをきっかけに作品を作っています。 大学での研究を始めた際、在籍した武蔵野美術大学の修士課程では、研究を進めるための具体的な理論的思考を学ぶようなカリキュラムが組まれていませんでした。そこで他学科の学生がどのように理論立て研究しているのかを調べていたところ、視覚伝達デザイン学科では「500年史」という授業があることを知りました。聴講しに行って、彫刻家としてグラフィック的な考えで心得をまとめることは少ないと思い、その授業で記号論を含むデザイン理論を勉強し、年表を作成したり、勉強会を開いたりしました。

——サカイさんご自身が持っているディスレクシアに対する考えは、記号論の勉強を通じて変わりましたか?

サカイ:読み書き障がいのある方には、「読む」のが苦手な方(インプット型)や、「書く」のが苦手な方(アウトプット型)がいて、私は前者の読むのに時間がかかるタイプです。小説のストーリーを理解するために何度も読み返す必要があり、しばしば飛ばし読みをしてしまいます。また、日によっては文字が模様に見えるような感覚が生じ、生活に影響を与えるため、工夫しながら過ごす必要があります。ただ、この認知の特性を理解し、記号論を学ぶことで、その語り方や見え方が変わりました。文字を単に苦手とするだけでなく、世界を記号として捉えるという視点を持つことで、文字を本来の抽象形態として認識するように変わりました。この理解は、日常生活においても新しい語り方として表れ、認知の特性を再確認する助けとなっています。

《LINE》シリーズ

——本を読むだけでなく、街中を歩いている際も、周囲の環境を抽象的な記号として捉えていると以前おっしゃっていましたね。LINEシリーズは、私から見ると、看板や工事現場など、都市との深い関連性を持っているように思います。LINEシリーズは、どのような試みだったのでしょうか?

サカイ:このシリーズでは、文字のエラーではなく、より広い認知ヒューマンエラーの概念を抽象化しようと考えました。

街中でのサインなど、記号性の強い要素に魅力を感じ、これらを研究し始めて、模様を題材に制作を続けています。都市に点在する記号を反復することで、都市記号を「生の模様」として提示しています(動物が自然淘汰的に獲得した模様に着目し、広い意味での動物のコミュニケーションとそれに関する表象)。LINEシリーズでは自然環境と人造環境に混乱を引き起こす、または周囲の環境に溶け込むように見せかけるメディア(錯視)を扱い、“模様性”を通して人間の認知の曖昧さがどのような原理で視覚を成り立たせているのか、見ることとは何なのか?について疑問を投げかけられないかと思い制作しています。

 私たちは日常、無数の記号やサインに囲まれて生活していますが、これらは単なる情報の伝達手段ではありません。これらのサインや記号には深い意味が秘められており、私たちの認知や行動に大きな影響を及ぼしています。たとえば、シマウマの縞模様。この縞模様は、単なる模様として存在するのではなく、シマウマ自身が環境(カオス)を生き抜くために進化してきました。このような自然界の模様や色は、生物にとっての生存戦略としての役割を果たしています。都市のサインや記号も、生物の模様や色と同じように、エラー性が潜んだ記号として存在します。人造界と自然界を横断する記号(=もの)を「生の模様」として解釈した時、「あなた」と「わたし」の間にもたらされる認知の境界は常に揺らぎ、複雑化しつつで秩序(=模様)を形成するでしょう。

サカイ:都市を観察すると、その都市特有の「余白」にいつも興味を引かれます。例えば、街を高い場所から俯瞰すると、道路が文字の間の空白のように感じられます。この感覚は、文字を読んでいるときにも感じる字と字の間の余白と似ています。また、電車に乗って窓の外を眺めると、ビルの間の隙間が縮まったり広がったりする。都市の中でこれらの空間が動いているような感覚は、文字を眺める際の模様感(ゆらぎ)とも通じるものがあると思います。

——立体的な街や建物を平面的な文字と重ねて感じ取るのはユニークですね。

サカイ:二次元のものにおける「余白」という表現には多くの人が馴染みがあるかもしれませんが、三次元の環境であるビルとビルの間の「余白」という言葉は、一般的ではないかもしれません。私的には三次元の空間での際間に当たるものを「余白」としてるのは馴染みがあり、二次元と三次元を行き来しながら「余白」(隙間)を意識してものを日々観察しています。また、意味や機能への関心が薄いと自分自身に感じます。例えば映画を見ているときに、映画館のスクリーンと映像の比率が異なることが気になり、物語よりも形の要素に注目してしまうことがあります。周囲と中央が入れ替わるような、あるいは図と地が入れ替わるような現象に、普段の生活の中で気付くことが多いのです。

——最近の活動にも、そのような視点は反映されていますね。サカイさんのLINEシリーズは、学部生の時に制作し2019年にCAF賞を受賞した《命がけ》とは、かなり異なるアプローチを取っていると感じます。この変化や視点の違いがどのようにして生まれたのかを伺いたいです。

作品《命がけ》

サカイ:修士1年の時から突如としてLINEシリーズを制作し始めたのですが、学部3.4年生の時は一貫して識字に関する認知をテーマに制作をしていました。学部時代は、作る時に色々と課題というか作りづらさみたいなものが実はあって。具体的な読み書き障がいのエピソードを作品にしていたのですが、当時は文字の認知に興味があったのでテーマを絞って《命がけ》や《Mikke》など既製品を使って制作していましたね。そこからだんだんと文字ばかりやっているのもどうなのかというか、この領域から逃れらなくなりそうで。どうにかして文字から距離を取れないかと考えていた時に、もう少しテーマを広く設けて「ヒューマンエラー」等の認知を今後の主題にして行こうと思いLINEシリーズを制作しました。あと、人の認知や身体に対する興味が前々からあったので、新しいプロジェクトとして錯視表現を試すとより幅が広がり面白いのではと思いました。

このアプローチの違いは、文字の問題点を指摘し、観る人にそれを知ってもらう活動から、ヒューマンエラーというキーワードを引き出し、障がいに直接言及することなく作品を制作する方法へと変化したためだと思います。

例外を取り入れる:柔軟で、プロセス的に

——いずれのアプローチも、観る人に感じてもらうことを意識していますね

サカイ:確かに、私は他人に共感してもらいたいという気持ちがありますが、作品の解釈や理解についてはそれほど関心を持っていません。言葉の扱いが緩くなると誤解が生じやすいこともありますが、完璧な言葉選びよりも、ある程度意味が伝われば良いと考えています。読み書き障がいについての理解を深めるきっかけになればと思っています。

——曖昧さや見えなさを彫刻的に表現するときの限界や度合いはどのようにコントロールしていますか?

サカイ:私は作品を制作する際、よくパターンやルールを設けています。その上で、教授である伊藤誠さんから「例外をどのように取り入れるか」という質問をされたことがあります。例外を作ったり受け入れたりすることの重要性にその時気づかされ、それが非常に驚きであり、同時に難しい課題でした。単にパターンを作るだけではなく、もう一歩先を見る必要があると教えられました。

例えば、《命がけ》の制作初期は、最初は直感的にハンガーを曲げてその造形の面白さを追求します。理論やコンセプトは後から考えますが、その過程で「この造形は面白いけれど、これは何なのだろう」という疑問に直面することがあります。このようなモヤモヤとする時間が、新しいシリーズを生み出すための動機となっています。ただ、このプロセスだと形が既にでき上がっているため、理解が追いつかない場合もあります。まだ展示するタイミングではないと感じたら、作品を取り下げることもありました。

——一人でひたすら作るだけでなく、サカイさんは、キュレーター、デザイナーやイラストレーターとのコラボレーションする場合も多く見られます。その時に、どのような考えでコミュニケーションをとっていますか?

サカイ:コラボレーションでは、具体的な指示を出すよりは、相手に任せることが多いです。私自身はこだわりがそれほど強くなく、デザイナーとの協力を通じて、どのように作品が解釈されるかも期待しながら、柔軟な姿勢を保っています。展示の際、ある程度の配置レイアウトは自分で決めますが、細かい部分はお任せするタイプです。

以前あった出来事ですごく興味深かったのが、ある展示で私が描いた200枚の漫画のドローイングが、上下逆に貼られていたことがあって。直そうにも、壁に両面テープで固定していて剥がすことができなくなってしまいました(笑)。ただ、改めて眺めてみると、元々の意図とは異なりますが意外にも新しい視点を提供してくれる面白いエラーだなと感じました。

――なるほど、ある意味で「誤認を誘う様な」アプローチで成り立った新しいエラーですね

サカイ:はい、展示された作品の中に、空中の上で破裂した擬音の線のドローイングがあったのですが、逆さまになることで下に落ちて爆発したようなイメージに変わりました。ほとんどの意味や印象が変わっちゃう。これが意外と面白く、訪れた人々にも新しい方法で作品を見てもらうことができました。

——サカイさんは他にも漫画をメデイアとした作品シリーズを展開していますよね。「図象ーイメージーストーリー」や先ほど言及した図と地、自分と世界の「理解の図式」のような提案をしているのではないかと感じました。「漫画擬音ドローイング」シリーズはどのように取り組んでいるんですか?

作品《999》(漫画擬音ドローイング)

サカイ:作品《999》は、伝言ゲームをするように一枚のドローイングから想起した線を次のドローイングで描いてみるという実験を行いました。4年間の研究で目的にしたことは意識できないことをいかに創造して新たな音の線を作るのかということです。漫画のストーリーを楽しむことはあまりありません。漫画で気になること・つい気にしてしまうことは線の流れやコマ割りなどの形です。意味を重視しない自己感覚を意識すると、やはり自分が見ているポイントのズレ(他人にとって背景として見えること)が存在し、中央と周縁の関係が反転しているのだと感じます。

なのでこのシリーズでは、999枚のドローイングを風景として眺めたとき、私とあなたには何が見えていて、どのポイントを意識しているのだろうかということが気になり始め、とにかく長い時間、線と向き合ってみることにしました。それぞれが見えている世界の背景に当たる部分とはどういったものなのか私は知りたいです。私が4年間辿った線の実験からさまざまな認知について考えるきっかけになればと思い、制作しました。

——サカイさんの漫画シリーズをきっかけに、作品におけるサイズ感について話を伺いたいのですが、例えば、漫画の作品には原寸大のものもあれば、A1サイズほどに拡大されたものも存在します。作品のサイズ設定はどのようにされているのでしょうか?

サカイ:私は基本的に、新作を展示する場所に合わせてサイズを決めています。特に小さい場所での展示が決まった際には、作品を適切なサイズに小さくすることもあります。そのサイズ感は、展示が終わるまでに一回限りの調整で決定しています。

また、漫画家さんとコラボして作品を制作した際には、空間上でのサイズ感も鑑みつつ、漫画家さんにも相談をして最終的にどのくらいの大きさにするかは委ねました。

作品《Composition of colors》(サカイケイタ×芦藻彬コラボ漫画作品)

 私は日常の生活で起こる認知のズレ(=エラー)から「見る」ことについてよく思考を巡らせます。見えるものをそう「見る」こととは何だろう?私たちは何をリアルとして見ているのだろう?この問いは自分に見えている世界をどうして・どれほど・どのようにそして何をもとに信じるのかということであり、延いては自分の価値基準にまで及びます。

私たちは何を信用して世界を認識しているのでしょうか。私にとってはそれは模様なのかもしれません。しかしその強調された世界を全面的に信用できたりはしませんが、私がつい見てしまうことやそう捉えて生活していることは確かです。偏った認知はエラーとして捉えられる側面が一般的に多いですが、エラーはエラーのままに別の面白い側面があると思います。

* * *

私は小学生の頃から漫画は絵本のように楽しむことが多くあった。キャラクターのセリフを読むことなく擬音語や描写からストーリを予想して読んでいた。そのため読むということよりも眺める感覚が漫画にはある。そんな眺めものとしての漫画で楽しめるところは黒く印刷された描写ではなく余白のリズム性である。多くの人は意味を主格に情報を読み取るため黒い線に注目をすることが多いかもしれない。しかし私は図と地を反転させた世界を好む。日常の中でこのような認知の偏りを大人になって気づいたことから周囲に中央がある関係性でものを観察していた状況下にいることを知った。

読むこと、見ることが曖昧になる時私たちは見える世界について何を考えるだろう。

何を見ているのか。

何が見えているのだろうか。

自己の認知について向き合うと見える世界の不確かさに気付かされる。

漫画作品はこちらからご覧いただけます:https://artsticker.app/works/11917

手つきのトレーニング: 「形とは何か」というテーマで新しさへ

——修士研究での制作と今のアーティスト活動の違いはどんな感じですか?

サカイ:明確に変わったことはないように思いますが、LINEシリーズに関して言えば近年ではパターンを作ることで錯視的効果のある作品になっています。初期のLINEシリーズでは、もう少し観念的に色やエラーについて考えて制作していました。

例えば《LINE02》のような床置き作品は駅階段のテープをモチーフに、線をランダムに置くようにして展示しています。このテープは視力の弱い方向けに距離感を測るためのもので、段と段の境を強調する役割が一般的にあります。しかし人によっては、このコントラストが逆に転ける原因になったりする方もいらっしゃいます。認知について調べているうちにこういった色々な見え方や、色の体験を発見したのでもの(=色)に潜むエラー性に注目した作品を作りたくなり《LINE02》を制作しました。近年のパターン的なわかりやすい錯視がある展示の仕方ではないですが、修士の初めの頃は色やエラーについて色々と試して制作していました。

学生の頃は展示スペースも大きかったので、インスタレーションとしてシリーズを作れないかという意識で、サインと向き合い、空間からオブジェクトを考えるように作っていました。製作方法も変化し、今は、かなりコンパクトに模様を作れるようになってきており、作品の単位を空間に応じてどこまで伸び縮みさせられるかといった、デザイン的な感覚が強くなっています。

クマ財団の支援のおかげで機材の購入ができ、作品作りや研究が進んだのはありがたいことですし、小さいサイズでも効果的な表現をどう実現するかを考えるようになりました。例えば、漫画を切り分けたり、ドローイングをパソコン上で行うことなど、研究が進む中で製作手法も変化してきました。

——特定の支持体や手法を選ぶよりも、サカイさんの素材選びと、素材に合わせて形を作ることに重なりを感じています。

サカイ:素材選びは、扱いやすさを重視しています。例えば、LINEシリーズのような木材の作品は加工しやすく、組み合わせが容易なため、よく使用します。また、紙やアクリルなど新しい素材を試す際には、それがどのようにリズムや単位として機能するかを考えながら選びます。また、しばしば無印良品や100円ショップ、ホームセンターなどを訪れては、購入せずにただ眺めることも多いです。素材を選ぶことは、素材との出会いのようなものですね。

——サカイさんは昨年の個展で紙を素材として使用していました。この素材変更に至った経緯や、紙の作品に対する考え方について少し話しましょう。通常、都市のイメージは直線やエラー、錯視が連想されがちですが、紙の作品においては、どのようにしてこれらの要素を表現したのでしょうか?

サカイ:紙のプロジェクトは「ルールと輪郭の実験1」と名付け、手の中に収まる範囲での空気感と、手とルールとの関係を探ることを目的としています。基礎造形的な研究を自分に課し、形の良さを優先しながら、「形とは何か」というテーマで作品を制作するところから始めました。

このプロジェクトは今後5年間続けることを考えており、初めての作品もその一環として制作しました。紙を素材として選んだ理由については、私自身がこれまで馴染みがなかったため、新しい挑戦として興味深いと感じたからです。先輩や先生たちが付箋やチラシを使って彫刻的なオブジェクトを制作するのを見て、未経験の素材を採用することが面白いと思い、それに触発されて紙を選びました。

個展『Sequence-手とルールの輪郭実験1』 作品《連面体》

 普段、意識されないがそこにあるもの。普段ではない方法で感じてみる。紙は印刷されると途端に、上と下、表と裏が存在し始める。読み物として効果付けられた紙は、情報(図)の背後へと遠のいていく。印刷物の支持体として最も身近でこれだけ手に取る機会が多いにも関わらず、紙自体の存在に触れている意識はない。紙に側面はあるのだろうか。または、紙一枚いちまいの側面を線と捉えることもできるだろう。子どもの頃に本のページを何度も捲り、触覚的に遊んでいたのを思い出す。そのときに感じていたのは、指の腹をビャーッと通り抜ける紙が発する一枚一枚の振動と、そしてそれらが集まることで形成された朧げな面の存在だった。 本展示では誰しも一度は触れ・扱ったことのある紙そのものを見つめ彫刻として再構成することで、視知覚では捉えられない領域を、地を地のままに感じるような方法で探ることを試みた。

——手つきのトレーニングみたいですね。

サカイ:最近、作品テーマには認知が含まれているとよく言ってきましたが、実際には線という共通点が多いことに気付きました。改めて線について考えたいと思ったのは、この紙シリーズの展示をしていた時です。その際に、社会人類学者ティム・インゴルドの『ラインズ  線の文化史』という本に出会い、線についての考察を深めました。

インゴルドの本は、様々な現象を線から読み解くユニークなものでした。例えば、親から子へ、さらにその子へと遺伝子が繋がることを線として捉えたり、風が砂漠地帯を吹き抜けることで砂に軌跡を描く現象を線として分析したりしています。このように、線を通じて現象を語る方法に魅力を感じました。

これまで、記号論やゲシュタルト心理学の視点から現象を捉えてきましたが、線として語るというアプローチは新鮮でした。文字に関する話も線として語ってきましたが、全く異なる視点から紙や形を線として読み解くことができるのではないかと考えました。

——紙のシリーズも今後さらに発展を遂げていきそうですね。本日はありがとうございました。

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