インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.60 まちだリな「多様なアプローチで追求するアニメーションの可能性」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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活動支援生インタビュー、はじめます!


Machida Lina|まちだリな

絵の具の質感を生かしたペインタリーなアニメーションが魅力のまちだリな。彼女の作品は、すでにオタワ国際アニメーション映画祭をはじめ、数々の国際的なアニメーション映画祭で上映されている。近年はMVやCMでその仕事を見る機会も増え、活躍の幅を広げている。最新作「くっきりとぼやけた」をフィーチャーした個展の開催も控えるなか、自身の活動について語ってもらった。

聞き手:塚田優

 

アニメーション制作をはじめたきっかけ

——まずアニメーション制作を始めることになったきっかけや、影響を受けた作家について教えてください。

まちだ:私は音楽が好きで、10代のころから様々なMVやライブ映像を見るのが趣味でした。その中でも、特に加藤隆さんが作ったPeople In The BoxのMVには衝撃を受けました。加藤さんは当時アナログでアニメーションを制作されていて、一枚ずつ描いて撮影して動かしているという狂気に惹かれ、自分もまず絵を描いて生きていこうと思うようになりました。その後東京藝術大学のデザイン科に入学するのですが、在学中の2019年に六本木の21_21 DESIGN SIGHTで「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR 」で展示されていた久里洋二さんの作品を観たことがアニメーション制作をはじめる最終的なきっかけになりました。

加藤隆さんが作ったPeople In The Box

21_21の展示で綺麗に整頓された作品のなかで、久里さんのアニメーションはずば抜けてめちゃくちゃな世界観を展開していました。それが良いなって思ったんです。社会とか文明に対してブラックユーモアで諷刺し、カリカチュアライズするところもデザイン科では巡り会えなかった強烈さで。その日展示から帰って、家にある画材でアニメーションをはじめました。あの日以来ずっとアニメーションを描いています。フィル・ムロイの作品も好きだったり、ユーモラスで諷刺的な要素は表現としていつまでも魅力に感じているので、自分の作品にも入れておきたいと思っています。

そのほかにも好きな作家はたくさんいますが、イタリアのロベルト・カターニは教えている学校に留学に行こうか悩んでたくらい好きですね。でも影響を受け過ぎたコピーのようにはなりたくないので、好きな作家や尊敬している人には近づき過ぎないようにしてます。

——まちださんはアクリルガッシュを使った不透明な表現をベースに作画されていますが、どうしてこうした作風を選択されたのでしょうか?

まちだ:もともとイラストレーションを厚塗りで描いていたので、そのままアニメーションになった流れです。そもそもペンタブも持っていないしフォトショで絵を描くのも苦手で、デザイン科時代からフィジカルを大切にはしていたので、机の上にはいつも絵の具と紙があったんです。久里さんの作品を見て帰ったその日、すぐにアニメーションを作るために都合がよかったのでそれを手に取りました。それより前から少しアニメーションに興味はあったのですが、ただ途方に暮れるような量を書くのでなかなか踏ん切りがつかなかったんです。でも実際に動かしてみるとすごい楽しくて、労力とか全然どうでも良くなっちゃったんですよね。最近はデジタル作画のアニメーションも多いですが、アナログはそれに対する戦略性とかではなくて、きっかけは偶然とフィジカル的気持ちよさへの執着でした。

デジタルでしかできない表現もあるので、デジタルかアナログかという論争にはあまり意味がないと思っていますが、偶然できる瞬間がデジタルよりアナログの方が楽しいですね。作品には常に手の中に収まらず、私を裏切り続けて欲しいです。あとはなんだろう、アナログはより感情に近いというか…私は昔ヴィオラをやってたのですが、ヴィオラはピアノのように複雑な構造を通して同じ音が出るのと違って、弦を震わせて直接音が出るんですね。なんかアナログとデジタルの差も、こういうふうに生々しさを一気に出せるのかどうかというところにあると思います。

——HAZAMA feat.FiJA「MONJOE」(2022)のMVではカットアウト(切り紙アニメーション)や粘土を使ったり、異なる素材もしばしば試されていますね。

まちだ:厚塗りの絵柄もけっこう変わってきているなと自分では思うのですが、とにかく私は飽き性なんです。ずっと同じ手法では慣れてきてしまって面白くないので、アナログでつくることは基本としつつも、いろんな手法を試すと新たな発見に出会えて良いかなって。MVは音楽が自分にない要素を持ってきてくれるので、新しいイメージが湧いたりします。作品だとその手法を用いる意味のようなものを検証せざるをえないですが、MVはよりラフな感覚でいろんな表現手法を試す場としても使っています。特に音楽は私にとって表現の発端なので、MVの依頼をいただくのはとても嬉しいです。

HAZAMA feat.FiJA「MONJOE」(2022)

コンテを描かないことにより生まれる作品の余白

——東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品「ニンジンは待ってくれない」(2023)は様々な映画祭で上映され、まちださんのキャリアをステップアップさせた重要な作品になったと思います。同作の制作背景を教えてください。

まちだ:前の作品にあたる「蟻たちの塔」(2021)が理屈で考えすぎて、丁寧に絵コンテを描いて検証した結果、自分的に面白くないものになってしまいました。なので「ニンジン」では余白を持たせることを意識し、コンテを描かずに完成させました。こうしたアプローチは現在も続いています。

ニンジンは待ってくれない / Carrots Don’t wait 【予告映像】

——大学の制作では授業で教員からアドバイスを受けると思うのですが、コンテを描かないというのは大胆な決断だったと思います。

まちだ:そうですね。「ニンジン」はまず2022年の1月に大学の企画発表で30枚のストーリーボードを見せました。それで指導教員から「このまま進めて良い」と言われましたが、納得いかず白紙に戻しました。私は詩やことばが表現の発端にあることが多く、アニメーションも詩を書くかのように、制作したかったんです。詩は自分の左脳的理解の外側に連れていってくれます。ただ自分の外側にいけるような映像が簡単に思いつくわけではなかったので、先行して音楽と、自作の詩、あとは興味のあったペイントオングラス(ガラス板に絵の具で絵を描く手法)で描こうという気持ちだけがある状態でした。

夏ごろまで映像は白紙でしたが、あまり焦りはなく漠然とイメージが訪れるのを待っていたんですけど、ある日昼寝して起きたくらいに、これ描こうって思う映像が浮かび一気に制作に入りました。それをひたすらに描き始めて。ただ今度は、技法として選択したペイントオングラスと作品がどうにもマッチせず途中まで描いたものを破棄することになりました。テクニックとしては好きなので、技法がその作品の良さを引き出す場合があれば、再挑戦したいと考えているのですが、この時は主観的な視点を滑稽なほどに強く描きたかったので、カメラとガラスの間に距離があるのがどうしても許せなかったんです。

なのでまた11月後半ぐらいからアクリルガッシュで紙にシーンを描いていきました。そしてそれらの断片を編集で繋ぎ合わせ、完成させました。作品のなかで確定的に決まっていたのは、ちょうど真ん中あたりにある無音のシーンだけでした。ただその結果として、制作中は非常に曖昧なものでしたが、完成したときは、これを作りたかったのだと確信しました。自分の想定していない要素を残しながらも、それすらはじめから描きたかったという7分半になりました。「ニンジン」はこのような経緯で生まれたのですが、当時持っていた反抗的な気持ちも含め、もがいている感じが世の中的に面白がってくれたのかなと思っています。

——「ニンジン」はオタワ国際アニメーション映画祭でもコンペインしました。オタワはアヌシー、ザグレブに並ぶ3大アニメーション映画祭として知られていますが、現地には行かれましたか?

まちだ:はい。行ってきました。海外の映画祭は初めてだったのですが、街中あちこちでアニメーションが映し出されていて、展示をガッツリやっている人もいました。規模が大きくて、多分世界中からたくさん人が来てたんだと思います。上映も全部満席ぐらいの勢いでした。

——プログラムの印象は日本のアニメーション映画祭と比べていかがでしたか。

まちだ:そこまで違いは感じませんでしたが、オタワは間口が広く、ナラティブなものから実験的なものまでジャンルは雑多でした。アニメーションをあくまでも表現の一種として捉えているような。方向性が違って当たり前なんですが、例えば一方で、新千歳空港国際アニメーション映画はけっこう尖った作品を選んでるような気がしました。また、新千歳はナラティブな作品が多く、アニメーション分野へのこだわりを感じたような印象です。

——8月の個展での発表が控えている最新作「くっきりとぼやけた」(2024)についても教えてください。途中でコマを落として意識的にアニメーション内の時間を操作したり、より緻密な演出が際立つ作品だったと思うのですが、これもコンテを描かずに進めたのでしょうか?

まちだ:そうですね。やっぱりコンテを描いちゃうと、制作中自分でびっくりしないんですよ。私は「ニンジン」よりも「くっきりとぼやけた」のほうが好きですね。というのも「くっきりとぼやけた」のほうが、本当に素直に自分が作りたいものを作れたという実感があるからです。首が切られて転がったらリンゴになるとか、終盤は映像がつながっていく「映画しりとり」みたいな感じがありますが、これもバラバラにシーンを描いて自分が面白みを見つけられる方向に、あるいは私自身も想定し得なかった伏線を織っていくように編集していきました。

——「ニンジン」は観てるとずっと背中をぞわぞわ触られているような、ちょっと不安な感覚を覚えるのですが、「くっきりとぼやけた」はどこか浮遊観のある作品になっています。

まちだ:個人的な話をすると、制作中に身近な人の死を経験しました。それをきっかけに途中までつくっていたシーンがしっくりこなくなってまたゼロからスタートになりました。それまで見てきたものはすごい狭かったなと。視点が変わったというか、結果的に肩の力は抜けつつも、ずっとどこかに死の感覚があるようなものになりました。

展示への挑戦

——2022年から翌年にかけて開催されたクマ財団奨学生のグループ展「KUMA experiment 2022」では「ニンジンは待ってくれない」をインスタレーションとしても発表されています。

まちだ:劇場で上映するために作った映像をそのまま展示するのは違うと思い、空間として鑑賞者に認識される場所でやる意味が欲しかったんです。なのでモニターで「ニンジン」を流しながら、そのそばに24本のニンジンを袋に入れ、設置しました。なぜ24本だったかというとアニメーションは 24 枚の絵で 1 秒を表すので、それ自体がもうアニメーションなんです。

——近年はアニメーションと現代美術を意識的に接近させようとする志向が岩崎宏俊さんや副島しのぶさんらの活動から感じられますが、そういう同時代的な潮流をまちださんはどのように見ていますか?

まちだ:それこそ、最初にアニメーションとそれを見せる場所について考えることに興味を持ったのは今お名前の出た岩崎さんの授業だったりします……(笑)。藝大大学院のアニメーション専攻では、短編アニメーションを作って、映画祭で良い賞をとって、良い作品として認められるっていう価値基準が主流です。ただ、やっていくうちにアニメーションが地産地消のような文化にしかなり得ないことに疑問が湧いてきました。もちろん劇場を否定するのではなく、でも自分の作品をどこに置くべきか考えつづける必要があるなと思います。

8月の個展では「くっきりとぼやけた」を空間的に作品発表しますが、作品上映時間の5分間まるまる座って見ててくれるとは限りません。だから空間を使って、どう感じさせるかを考えています。

自分の場所を耕すこと

——まちださんはMOVOPという若手アニメーション作家たち自身で現在のアニメーションを再考しようというグループを立ち上げました。どのような想いでこうした活動を始めたのでしょうか?

まちだ:アニメーションを作る個人作家の価値観が映画祭的なものに限定されやすいということもあり、そうした風潮に対するアクションを起こしたかったんです。だからメンバーは意図的にアートの人とか、YouTubeがメインの人とかごちゃごちゃにして、良いなと思う人に私が声を掛けました。

——MOVOPは3月に初のイベントも行われました。この時は上映だけではなく、展示もありました。やってみた後の感想を聞かせてください。

まちだ:良い悪いの話ではないのですが、個人的にMOVOPは上映の良さを再認識する機会になりました。例えばシー・チェンの「鶏の墳丘」(2021)なんかは、劇場内の人が一緒に固定されているっていう状況が彼の世界観に本当にマッチしてますよね。それと同じような感じで、MOVOPでも上映した川畑那奈さんの「永久点」(2024)なんかは拡大した細胞が観客の前で動き続けていて、そういう状況がすごく面白いと思ったんです。劇場をひとつの空間としてどんな機能を果たすか、展示空間との差を検証した結果、見えてきたことでした。

MOVOPの記録写真

——グループでの活動は制作だけではなく、様々な実務が要求される大変なものだと思います。それでも「やろう」というモチベーションはどこから来るのでしょうか?

まちだ:私は、作家たちが自ら上映や展示の機会をつくっていくという経験を必ずすべきだと思っています。現代美術をやっている人たちは作品をどう置くかとか、動線を考えていて、キュレーターがいたとしても任せきりにはできない。それに対してアニメーションを作っている人たちは、映像が出来たら終わりで、どこかで上映されればいいなみたいな状態なんです。藝大大学院の場合は作品の上映会がありますが、近年客足が遠のいていて、それを変えようとしないとやる気がないと見られかねない。

実際に現在の映画祭というアニメーションの流れをつくってきた人たちも、自分で自分の場所を耕してきているんです。だからMOVOPの活動も、最終的には今後の自分の作品にプラスになると思ってやっています。

——まちださんの作品ももちろんですが、グループでの活動も楽しみにしています。本日はどうもありがとうございました。

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