インタビュー

【9期生対談vol.23】「人為と自然をはじめとする『二項対立』から下りる」を考える 対談:髙部達也(デザイナー)+中巛ルナ(アーティスト)

クマ財団9期生による、クロストークを行う本企画。第23回は「人為と自然をはじめとする『二項対立』から下りる」をベーステーマに掲げ、髙部達也(デザイナー)中巛ルナ(アーティスト)の2名が互いの持ち寄った質問に答える形で意見を交わします。

聞き手:クマ財団事務局
執筆:小泉悠莉亜
クリエイター写真撮影:コムラマイ

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———今回は「人為と自然をはじめとする『二項対立』から下りる」を起点に対話をしていただきたい2名のアーティストに集まっていただきました。まずは読者のみなさまに、自身の活動を含めた自己紹介をお願いいたします。

髙部:髙部達也と申します。慶應義塾大学政策・メディア研究科の松川研究室に所属する修士2年生でして、井戸掘り、マニュアル出版、テラスの設計・施工などアナログなものづくりと並行して、井戸アプリや自動水耕栽培システムの開発といったデジタルな制作にも取り組んでいます。多様な技術を身につけ、百の生業をもつ“新百姓”になりたいと考えています。よろしくお願いします。


髙部達也《井戸を掘り、井戸群を楽しむ》2024
井戸群を水道以外のオルタナティブな自律分散協調型水インフラとして位置づけ、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの敷地内に髙部1人で3基の井戸を掘削、整備した。この活動を通じて確立した手法は、書籍『井戸掘り完全理解マニュアル』として出版し、誰もが手軽に井戸掘れるようノウハウを公開。同時に地域に点在する井戸それぞれの状況を可視化するオンラインマップも開発した。

中巛:中巛ルナです。​​東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻に在籍しています。プラスチックを食やる虫や微生物などの非人間存在との共創を通じて、ファッションやエコロジー文脈における、自然と人工、生命と非生命など、様々な境界を問い直すような表現を行っています。最近は、ポストヒューマニズム的身体性への関心から、デジタルファッションのブランド「LNOA」を起業家と共同で立ち上げました。よろしくお願いします。

中巛ルナ《文明を食べる精霊》2023
プラスチックを食べ、生分解するワックスワームをシャーレの中で培養し、人工物を内包した自然のサイクルを擬似的に作り出す「文明を食べる精霊」として捉え、制作した作品。これを中巛自らの体内に招き入れることで、身体・自然・文明の在り方を考える。


———ここからはおふたりに持ち寄っていただいた質問を軸に展開します。まずは「ミルワームやワックスワームと共生しつつ制御もする絶妙なバランス感覚を踏まえて、作品制作で想定外だったことを教えてください(髙部さん)」です。

髙部:そのままなのですが、作品制作のプロセスでいろいろと苦労されたことを以前お聞かせいただいたので、今回は逆にめちゃめちゃポジティブに驚きがあったことや「いやそうなっちゃうか!」と残念だったことについてお聞きしたいです。

中巛:基本的に虫たちは、全部ポジティブに予想を超えてきてくれる生き物ですね。思った以上にプラスチックを食べてくれるし、思った以上に創作もしてくれます。ひとつ、トラウマだったことはあります。「鬼の脱走劇」と呼んでいるものですが。当時まだ飼育環境が十分でなかったときに、自室で育てていたワックスワームが脱走をして、部屋中あちこちに登ってはクモみたいな糸を吐きまくることがありました。卒業制作のタイミングでしたが、夢にも出るくらい鮮明に記憶に焼き付いていますね……。

髙部:それはそれは……。虫たちのサイズ感のイメージが湧かないんですが、一体どのくらいの大きさなんですか。

中巛ルナ《Appetite for Destruction》2024

中巛:展示には1〜2センチ程度の大きさの個体を使いますが、繁殖段階では1ミリ以下の個体もままいます。それが部屋中に散らばりました……。生態系のエコシステム上、自己繁殖させたものを外部に逃がしてはいけないので、石鹸水を使って殺さなきゃいけなくなるジレンマにも陥りました。「ごめんね」と思いながらも、致し方なく。

髙部:万が一外部環境に出てしまえば、既存の生態系のバランスが崩れかねないですよね。

中巛:そうです。虫たちそのものを制御することはできませんが、生殺与奪の権は私にある。その関係性がすごく人間中心に感じられて、脱走した虫が石鹸水に沈んでいくのを見ながら、虫たちに罪悪感を抱いていました。
髙部:逆に食いっぷりが良すぎて、作品の生分解プラスチックが食い尽くされてしまって何も残らなかったですとか、形が崩れるなどの制御しきれない「ままならなさ」みたいな出来事はこれまでにありませんでしたか?

中巛:よくありました。その対策として、作品「Memento Vitae in Plastica」では、ここぞという塩梅を見計らうために何時間も経過観察していました。他の作品も同時並行だったので、アラームをかけながら確認したり。作品になることなく、虫たちに食い尽くされたものもあります。

髙部:虫たちの食欲に際限はないんですね。中巛さんの場合は、時間を固定せず———動的な流れの中で崩壊にまで持っていくのが面白いです。服=物体を固有している時間が短いと言うか、食物連鎖の中に位置付けられる特異さというか。

中巛:ファストファッションに象徴されるように、ファッションの消費スピードはますます加速しています。コレクションを発表しては販売し、また翌年も新しいものが作られ、繰り返されていく。そうしたサイクルとは一線を画した別の存在の提案として、「虫に食べられることで、なくなる服があってもいいのでは」とも考えました。

髙部:なるほど。

中巛:いわゆる「コレクション」の発表時点が、服とデザインの一番旬で、最も見せたいタイミングじゃないでしょうか。販売されて、私たちの手元に届く時点ではもうアーカイブ的な価値しかないような気もします。それがファストファッションによって検証されたというか、文脈が切り離して引用されて、消費サイクルだけがただただ回り続けることへの問題意識はずっとありますし、この問題意識をデザイナーが語ることはあまりない気がしています。

サステナブルファッションをリサーチしていた当初、ファッションの世界では、消費構造そのものではなく、「生分解性」「リサイクル素材」など、素材をいかに代替するか、という議論が進んでいる印象を受けました。それに対して私は新しいものを生み出すことへの罪悪感みたいなものから逃れることができないまま、自身が持続的な制作を続けるための模索をするうちに行き着いたのがスペキュラティブデザインの思想———従来の問題解決を促すデザインではなく、「問い」を投げかけるデザイン手法です。また、並行してプラスチック繊維の環境問題を調べるうちに出会ったのがプラスチックを生分解する虫の存在でした。プラスチック製品を虫たちが食べた時にはものすごく面食らいましたね。気づいたら虫たちを飼っていました。

髙部:面白いですね。自分が指導教員やファッションで起業した先輩から聞いて思うのは、服は自分の肌に極めて近い、建築的な要素を持っているものだということです。寒いから服を着るという行為は、建築言語で言い換えると、寒いから壁の内側に断熱材を入れる行為と一緒。そのスケール感が建築とファッションでは異なるだけで、消費サイクルや経年変化、あるいは劣化に関する感覚も近しく感じています。かつ中巛さんの制作が、ポストヒューマニズムにありながらも懐古主義に陥らず、人と昔から共生してきた虫たちとともになにか新しいものを提案しようとする態度には、僕自身との思想的な近さを感じています。

中巛:ありがとうございます。私自身も近しいものを感じていますし、髙部さんへお尋ねしたいことがたくさんあります。

———きりが良いところで次の質問にうつります。「インフラにおけるアナキスト的な思想はありますか?(中巛さん))」。いかがでしょうか。

中巛:髙部さんの活動を「THEインフラ先進国」の日本でされていること自体がパンクだと思うんです。サミュエル・スマイルズの思想———自助・公助・共助的———にも似ているように感じます。日本の戦後復興期には、共助的なコミュニティが存在していたこととも類似点がありそうです。生粋の江戸っ子だった私の曽祖母から聞いた話ですが、家の敷地にある井戸にはあちこちから水を汲みに来る人がいて、井戸はみんなに開かれた助け合いの源泉だったそうです。門や外壁などで土地が区切られていなかったので、自由に訪れることができたんですね。けれども時代が推移するにつれて、公助的な政府の政策によるインフラ整備や核家族化によって前述のコミュニティは喪失してしまった。この一連の流れを、髙部さんは変えようとしているように感じると言いますか、ブラックボックス化してしまったテクノロジー自体を自分自身あるいは周辺集団で理解して、どういう仕組みになっているのかを解体して、そこに入り込める状態にして、その知見をコミュニティに共有・分散させていっている。見ようによっては、アナキストであり人類学者でもあるデヴィッド・グレーバーっぽくもあります。

髙部:ありがとうございます。なぜインフラが全く不満なくある日本、しかもトップダウン的な社会インフラが人口減少社会でも生き残る可能性の高い首都圏で活動するのか? はずっと考えているんです。活動発表をしても「アフリカなどのインフラ後進国に行けば、あなたはめちゃくちゃ活躍できるんじゃないですか?」と言われますが……。そこまでの責任を負うインフラ技術ではないんだよな、と自分自身では思っています。

中巛:豊かさが前提にあるからこそできる?

髙部:そうです。既存のインフラがほぼ絶対的に安全だからこういう趣味みたいなことができる。既存のインフラだけを無自覚に選ばされてしまっている状態が不満だし、やっていて僕自身が楽しいからやっているんです。夏、井戸を掘りながら安全な水道水をガンガン飲んだりしていますから。いずれにしても先ほど中巛さんがおっしゃったように、インフラってコミュニティになり得る潜在的な可能性は感じています。あらゆるものが便利になって、商品化されて、インフラも魔法のように各家庭に供給されている状態で、新たなインフラ群(パーソナルインフラのネットワーク)が地域に生まれると、今までなかった人と人、人と物、人と環境とのやりとりをも身体的に獲得でき、その結果いろんな気づきを得たり、繋がりが獲得できるということは伝えていきたいです。繰り返しではありますが、なにより僕にとってインフラを作ることは楽しい(笑)。

髙部:以前、井戸で有名な長野県の松本市にお伺いしましたが、そこは街中の至る所で水が湧いて、昼も夜もごはんどきになると、わらわらと住民の人がタンクを持って井戸に集まってくるんですよ。もちろん松本市内は当たり前のように上水道が普及しているにも関わらず。聞くと「水道水より、この井戸水がうまいんだよ」という話があったり、人によっては、コーヒーを飲む時とアク抜きする時で井戸水を使い分けるようなんです。

中巛:すごい。水質が違うんでしょうか?

髙部:そうなんです。目の前の井戸と数十メートル離れた井戸で、水の味も水質も全然違うんです。。都心部ではそんなことはないじゃないですか。コーヒーにしろアク抜きするにしろ全部一律で水道水でまかなう。あらためて松本の人ってすごく豊かだなと思います。水の微差にまで気づくその感性がある。「利き水」みたいなことができるわけです。その術を生活のなかで身体的に獲得している。整えられた現代的な上水道生活を捨てずに、井戸群も維持管理してその恩恵に預かる別種の豊かさがここにはある。そういう世界や社会のあり方をつくりたい、とは松本での経験を経てあらためて思ったことですね。

中巛:なるほど。たとえばガンジス川の水を日本人が摂取するとだいたいお腹を下しますが、インド人はピンピンしていますよね? それってガンジス側の整備されていない水にインド人が日常的に触れている分、腸内細菌が豊富で、ある意味で「別種の豊かさ」があるように思うんです。

 
髙部:確かにそうですね。環境が人を変えているのか、環境に適用するように人が生き残ってきたのか。生物進化学的な話になるかもしれませんが、もし環境ありきで人が変わるならば、「環境を変える」とは破壊に紐づくネガティブな意味ではないでしょう。環境をポジティブに変えていくことことで、人も変わっていくのではないかと思います。インドでも同じで、ガンジス川の水で体調を崩す人は淘汰されて、ガンジス川の水にも屈しない耐えうる強靭な人たちが残っていった結果だとは思うんですが、似た話かもしれません。

中巛:まさに私もプラスチック成分解能力を得ようと、ワックスワームを食べてみたので一緒ですね。能力を自分に移植させたいなと思ってのことなので。

髙部:それ面白いですね。究極の話、中巛さんがプラスチック生分解能力を持つ個体である場合、、ワックスワームの代わりに中巛さんが服をかじって制作することになるかもしれない。中巛さんの腸内細菌がプラスチックを分解できるようになったら。

中巛:そうなんです。有名な例でも、バニラの香料成分バニリンをプラスチックから作るという研究もあって。普通に人間がプラスチック由来の食品を食べる取り組みもSFではなくなっていくかもしれません。そういう豊かさが今後生まれるんじゃないかと。「これタイヤからできているんだけど、とっても美味しいよ」みたいな世界線が。

髙部:いわゆる環境意識などではなく、豊かさの多様性なんですよね。しかもそうなるのは、面白いからだと。タイヤの話で言えば、驚きと美味しさのギャップがあるのが良いですね。社会的に環境を気遣うことは大事だと思いますが、僕も中巛さんと同じように、割と興味関心が先行して活動して———「井戸の水うめえじゃん!」、「掘ってみたらおもろいじゃん!」———あとからいろんな文脈をくっつけてきているので、いろんな語り口がありそうです。

中巛:そうですね。「石油製品(人工物)は悪だ!」みたいな言説もありますが、そもそも石油は数十万年かけて生物の死骸が変容していった自然物です。だとすると人工物と自然物の境界は曖昧で、人間の手に負えるものが人工物で、手に負えなくなったら自然とするような考え自体も詭弁に感じます。そうした西洋思想的な文脈に対しても考えを深めていければと。最近ではラトゥールをはじめ「善悪は共存している」みたいな文脈で語られることも増えてきましたが、日本の禅的な思想がもとより語っていたことだなと思ったりしますね。

髙部:そうですね。ままならないものを制御するでもなければ、見放すこともなく、それらとうまく付き合うことをしていこうと。

中巛:そうですね。世間的に散見される二項対立みたいなものから一旦下りて世の中の環境だったり、各人のインナーエンバイロメントだったりから考え直す視点をずらすみたいなところができたらいいですよね。

———おふたりともありがとうございます。区切りの良いところで今日の対談はおしまいにします。

 


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クリエイター9期生が参加する大型成果発表展「KUMA EXHIBITION 2026」 が、2026年3月28日(土)・29日(日)に開催決定!東京の青山・スパイラルにて、アート、テクノロジー、音楽、建築など多様なジャンルの若手クリエイターが集う本展。新進気鋭のクリエイターたちによる作品が一堂に会する、刺激的な2日間をお届けします。

特設サイト|https://exhibition.kuma-foundation.org/exhibition2026/

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