インタビュー
【9期生対談vol.24】「誇大化された記号性」を考える 対談: 古賀悠悟(彫刻家) + 佐藤伸輝(作曲家)

クマ財団9期生による、クロストークを行う本企画。最終回となる第24回は「誇大化された記号性」をベーステーマに掲げ、古賀悠悟(彫刻家) + 佐藤伸輝(作曲家)の2名が互いの持ち寄った質問に答える形で意見を交わします。
聞き手:クマ財団事務局
執筆:小泉悠莉亜
クリエイター写真撮影:コムラマイ
9期生対談シリーズ一覧はこちら|https://kuma-foundation.org/news/13491/
———今回は「誇大化された記号性」を起点に対話をしていただきたい2名のアーティストに集まっていただきました。まずは読者のみなさまに、自身の活動を含めた自己紹介をお願いいたします。
古賀:東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻在籍の、古賀悠悟です。現代都市における標識や動線の配置などの記号としての構造に着目し、インスタレーション、写真などの多様なメディアを通じて、私たちが「どのように空間と関わっていくべきか」を考えるための作品を制作しています。

古賀 悠悟《At a Junction – Forest》2025
都市に点在する標識やカーブミラーを緑に染め、傾けて配置した本作。本来の機能や意味を失った標識たちは「そこにいるなにか」として立ち現れる。作品を通じて都市空間そのものの存在と違和感を浮かび上がらせた。
佐藤:佐藤伸輝です。日本生まれですが、11年ほど中国の現地校に在籍していました。現在は、古賀くんと同じく東京藝術大学で、作曲科に籍を置き、大衆文化から出発し、抒情・暴力・不器用さが生むプリミティヴィズムを探求しています。近作「Asian Music Guide」シリーズでは、自身のルーツに立ち戻り、現代アジアの文化表象について再考しました。日中作曲家コレクティブ「東京烤鴨」代表も務めています。
佐藤伸輝《Asian Music Guide》2024
日本のマスメディアの言論空間によって形成される歪んだ「中国」の像を探り、作者自身の日本と中国のハーフとしてのアイデンティティをそこに重ねようと模索した映像作品。
———ここからはおふたりに持ち寄っていただいた質問を軸に展開します。まずは「作品のなかで情動をどのように扱っていますか?(佐藤さん)」です。
佐藤:古賀さんの作品には、人間という主体や、物語性を排除したかのような質感や印象がありますが、一方でどこか情緒的なもの———ポエティックなトーンも同時に感じます。その相反する感覚はどこからくるのか、その答え合わせをしたいといいますか、古賀さんの考えをお聞きしたいです。
古賀:そうですね。現在はどちらかと言えば、人間を対する冷たさよりも、情緒的な側面にフォーカスしたいと思っています。記号としての「冷たさ」が備わっているオブジェクトを、どうしたら情緒的に崩していけるだろうか? というアプローチで制作しているので、記号的な力強さの裏側にあるものの気配や、もの自体の存在の表面をどうしたら剥がして取り出せるかは常に考えているというか。そうすることで記号的なモノのコントラストが際立って、そこに潜む情緒的なエッセンセスも引き立つんじゃ無いかなと。
佐藤:ありがとうございます。程度は違うかもしれませんが、僕の作品もめちゃくちゃ情動的なんですよね。ふたりとも記号を扱っているけれども、おそらく扱っている情動と記号———「冷たい記号」との割合みたいなのがお互い違うだけなのかなとも思いました。
古賀:そうかもしれません。カウンターとしての、記号的なものを扱っているというような。
佐藤:カウンター?
古賀:カウンターカルチャーの「カウンター」。ちなみに佐藤さんは、その意識で制作するなかで見えてきたものってありますか?自分の作品だったら、記号的なものを過剰に使うことで、その後ろにある気配を探る、みたいなことです。
佐藤:そうですね……。ステレオタイプや既存の価値観へのカウンター的な要素もありますが、素直に「自分が作っていて楽しい」という現象的な喜びや、「こういう音楽があったらいいな」という作ること自体の喜びもあります。ただ音楽が記号として感情を強く喚起する性質をもつ以上、そこには政治的な危険性も常に合わせ持っていると感じていますい。ナチス・ドイツがワーグナーの音楽を用いて、自身の思想を浸透させたように、音楽は容易にイデオロギーの道具になり得る。戦時中の日本や現代の中国のように、芸術と政治が不可分になる状況は今でも存在しています。それにもかかわらず、現在は音楽と政治の関係がむしろ避けられているようにも感じます。だからこそ、あえてプロパガンダ的な要素や強い揺さぶりを作品に組み込んで、その構造自体を可視化したいと思っています。
古賀:たとえばJ-POPはエンタメ寄りの音楽だから、政治と関わるななどと言われるのかなと思いますけど、それって邦楽ならではなんでしょうか?
佐藤:より純粋な芸術音楽であればあるほど、政治との結びつきを研究されるようです。ヨーロッパの現代音楽とかも、割とそういうものは多いと聞きます。
古賀:象徴的なモチーフを用いることは、世界に対して無意識にもっている見方や前提をそのまま示すことではなく、一度ぼかしたり、ずらしたりする行為ですよね。完全に解体するというよりは、実存の認識を「異化」して、その奥に潜む感覚や構造を探るという意味で、僕たちは共通することをやっているのかもしれないですね。
佐藤:そうですね。僕にとって「記号」は、現実そのものというよりも、特定のイメージが強調されて立ち上げられたものだと捉えています。僕が育ったのは中国・上海ですが、皆さんが想像する大都会「上海」ではなく、昔ながらの古き良き街並みが残る郊外なんです。製塩業で発達したエリアで、歴史のある場所ですが的、素朴に近代化していき、ほとんど普通の郊外の姿をしている5年ほど前だったかと思うんですが、久しぶりに帰ってみたらその街の景色は一変していました。久しぶりに帰ってみると、街は全体的に整備されていて、建物も新しくなっていました。ただ興味深かったのは、「古さ」を歴史に沿って意図的に演出するようなデザインが増えていたことです、演出された「由緒唯式古い街並み」に変わっていました。街の古いイメージを強調するために、わざわざ「古いもの」を新しく作ったんですよ。新しいのに古い。日本で言うと町おこし的な、そういった本質からズレたイメージを過剰に摂取して、「これは僕の故郷では無い」という憤懣やる方ない気持ちになったわけですが……。
古賀:なるほど。
佐藤:それと同じように、僕たちのしていることは作品でなにかを強調して「異化」させているのかもとちょっと思いました。記号がもつ、実際の現実とかけ離れた感覚を増幅させるようなこと。
古賀:ひとつの特徴を無理やり作り出しているとも言えるかもしれません。存在していたものを、人工的に新しく作り直すようなこと。
佐藤:少し極端な例かもしれませんが、中国のアダルトサイトは、ものすごい極彩色で明滅するやばい広告で溢れているんです。そういったものを見ると、かなり「冷たい」資本主義的なレッテルが貼られてもおかしくないはずなんですが、一方で、それを作っている人はかなり切実だったりするんですよね。そういうものを作らないと餓死してしまうみたいな……生への切実な渇望がある。だからこそいかに目立つかが重要で、熾烈な競争(お金稼ぎ)に勝つために競い合って鮮やかな色を纏うようになっていく。まさに動物の求愛行動みたいな、原初的な生命力にあふれた行為だとも思うようになってきたんです、最近。
古賀:たしかに。渋谷の街並みを見ても、それぞれがお互いを押しのけて「いかに目立つか」みたいなのが全開になっている気がします。人間の欲望全開という感じで。すごく薄っぺらい感じもするけれども、でも実はその奥に人間の切なる本能が隠されているのかもしれないですね。
———クマ財団からも質問させてください。おふたりは、これまで話してきた過剰な広告や都市のイメージ戦略といった資本主義的な側面に対して、批評やアンチテーゼだけでなく、切実さや面白さも感じて制作に落とし込んでいるのではないかと感じています。実際のところ、どのようなスタンスで制作されていますか?
古賀:これまでの話と重なりますが、自分の作品で社会を直接変えようとしているわけではなく、むしろ、ものごとを別の視点から見せることに関心があります。情報が過剰にあふれる都市空間は個人的にはあまり得意ではないのですが、それを単なるカオスとして捉えるのではなく、その奥に一本筋の通った、通底する何かがあることを示したいのです。次回のスパイラルでの展示では、「ねずみ」をモチーフにする予定で、これは最近引っ越した家で、実際にねずみの気配と日常的に向き合う中で、守られているはずの室内や、表参道のような華やかな街のイメージの下にも、別の存在や層が確かに潜んでいるのではないかと感じるようになったことに起因しています。

古賀悠悟《『彼らはきっともう私達のことを見ていない』部分 》2025
古賀:たぶん「それに気づく」ということ自体に、すごく意味があると思っています。私たちの住む空間は、どんどんディズニーランドのようにきれいに整えられていっていますが、実際にはその下にもう一層、いや一層どころか、いくつものレイヤーが重なって存在しているもの。それは私たちの存在する空間であり、生の空間です。そのことに気づき、理解する視点を持って、そうしたものたちへの意識が向くきっかけをつくれたらと思っています。
佐藤:情報過多の話で思い出したことをお話ししてもいいですか? 2年くらい前に読んだ、韓国の哲学者チョン・ビョンチョル『疲労社会』の議論がすごく近いなと思っていまして、彼は、昔の社会は「否定的な社会」で、学校や病院、監獄といった制度によって人を規律づけ、「ダメなものはダメ」と線を引く社会だったと著書で説明しています。一方で、現代は「肯定的な社会」で、すべてを「できる」「もっとやれる」と肯定し続けることで、人が自分自身の奴隷になり、働き続け、疲弊していく社会だと。スマホはまさにその象徴だと思っていまして、たとえば昔なら、列に並んでいる時間は友達と話したり、ぼーっとしたりする余白の時間だったところ、今はショート動画や過剰な情報でその時間がすべて埋め尽くされてしまいます。そうやって私たちは、常に刺激を受け続けて、どんどん疲れていきます。
佐藤伸輝《オーケストラのための『ロマンスをぶち殺す』》2024
感動を生み出すための音楽的装置を、意図的に誤作動させ、破壊する作品。
佐藤:そうした状況の中で、自分の作品は、過剰な情報から一度切り離すための装置のような役割を担えたらいいなと思っています。今まで当たり前だと思って受け入れてきたものを、あえて一度壊してみる。ときには少し暴力的なくらいに破壊することで、思考を中断させる。すべてを肯定的に受け流すのではなく、否定や破壊を強く差し込むことで、そこに独特のダイナミズムが生まれるんじゃないかと感じていて。そういう意味では、作品の作り方としては古賀さんとは少し違うな、と今回の対話で改めて思いました。古賀さんが日常の風景の中から不穏さやエラー、非日常的な要素を掬い上げていくとしたら、僕はむしろ日常的なものをそのまま取り出して、反復させて、最終的に壊していく。そこに、はっきりした違いがあるなと気づいたところです。
———おふたりともありがとうございます。区切りの良いところで今日の対談はおしまいにします。
「KUMA EXHIBITION 2026」が2026年3月に開催決定!

クリエイター9期生が参加する大型成果発表展「KUMA EXHIBITION 2026」 が、2026年3月28日(土)・29日(日)に開催決定!東京の青山・スパイラルにて、アート、テクノロジー、音楽、建築など多様なジャンルの若手クリエイターが集う本展。新進気鋭のクリエイターたちによる作品が一堂に会する、刺激的な2日間をお届けします。
特設サイト|https://exhibition.kuma-foundation.org/exhibition2026/