インタビュー
目指すは、誰が観ても面白い商業映画。そのためにも今は人生修業です。〜4期生インタビューVol.41 水口紋蔵さん〜
クマ財団が支援する学生クリエイターたち。
彼らはどんなコンセプトやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。
今という時代に新たな表現でアプローチする彼らの想いをお届けします。
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4期生41名のインタビュー、始めます!
水口紋蔵
1997年東京都生まれ。
武蔵野美術大学 造形学部映像学科に在籍。
中学1年生のときから実写を主体とした映像表現を追求。
木村拓哉「ローリングストーン」のMV監督、映画、ドキュメンタリー、企業PV、WebCMなど多岐にわたる映像領域に携わる。
愛媛国際映画祭、なしおばら映画祭、山形国際ムービーフェスティバルなど様々な映画祭で上映し、受賞歴多数。監督して初の長編映画『アクトレスモンタージュ』(2021年秋公開予定)を制作中。
https://kuma-foundation.org/student/monzo-minakuchi/
「面白かった」「泣ける」と言われる商業映画を作りたい
――短編映画やドキュメンタリー、企業PVやMVなど様々な映像制作を手掛けていますが、自分で映像を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
水口 中学1年生のときに『水曜どうでしょう』に大ハマリしまして、あのスタイルなら自分でもできるんじゃないかと思って真似るところから始めたのがきっかけでした。わざわざ『水曜どうでしょう』で使われている機材や編集ソフトと同じものを揃えて、友達と3人で東北を旅行して『水曜どうでしょう』風の映像を作ったのが最初でしたね。編集やテロップは似せて作ることができるんですけど、ただただ大泉洋さんの面白さを実感するだけで、中身のコンテンツの部分がまったく追いついてないという現実を突きつけられた中学時代でした(苦笑)。
――映画を目指していたというより、映像全般に関心があった?
水口 そうですね。自分は映像を作ること自体が大好きな映像バカなので(笑)。高校時代はコマ撮りやプロジェクションマッピングに挑戦していて、藝大の映像学科先端芸術表現科を目指すようになってからは、ずっと実験映像を作ってました。ところが見事、受験に落ちまして、浪人が決まったことが僕にとって大きな転機でしたね。それまでずっと一人で映像制作していたのが、浪人というフリーな時間ができたことで、グループで映像を作ってみたいと思うようになったんです。
そこで自分が作った映像作品をネットに全部上げて、「一緒に映像制作団体を立ち上げませんか?」と募集をかけたところ、15人くらい集まってくれたんです。それからグループで映像を作るようになって、紆余曲折あって今は主なメンバーが二人だけなんですけど、その方が業界のプロデューサーなので、企業PVやWebCMのお仕事を一緒にやらせてもらってます。
――物語のある映像を撮り始めたのはその頃から?
水口 そうですね。物語というとちょっと語弊がありますが、浪人時代にグループで映像作品を作ろうとなったとき、「映画の予告編を作ろう」ということになったんです。映画を丸々一本撮るとかなりの労力がかかるので、あたかも本編があるように見せかけて、美味しい部分だけを切り取っていくようなかたちで2分ほどの予告編を作ったのが、僕にとって最初の物語的な映像でしたね。
――大学時代はどうでしたか? 「映画を撮りたい」という情熱のあまり、かえってテーマやコンセプトで悩む学生も多いと聞きますが。
水口 僕もかなり苦手です(苦笑)。自分は白紙から何かを描き出していくアーティスト的な表現には向いてなくて、与えられた枠の中にピシッと収めていくデザイン的な思考の方が得意だと思います。それもあって企業PVやドキュメンタリーなど、外に向けた映像制作を中心にしていたと思いますね。
さらに遡ると、自分はもともと学芸会の演劇で主役を張ったり、お笑い芸人を目指していた時期もあって、クリエイター側というより演者に近い感じがあるので、人を楽しませるエンターテインメントを作りたいという気持ちが根幹にあります。だから世界に何かを問いかけたいとか、自分の世界観を伝えたいというより、「面白かった」「泣けるいい話だった」と言ってもらえるような作品を作りたいというのがあって、映画監督を目指しているのも、商業映画を作りたいという気持ちなんですよね。
――19歳で初めて短編映画『家族の地図』を作ってみて、どんな経験が得られましたか?
水口 「こういう見え方をするんだ」と気づけた部分が大きかったですね。自分としてはこういうふうに見せたいと思っていても、観る人は違う捉え方をしていることがあって、たとえば親父をすごく嫌なやつとして演出しているつもりでも、意外と観た人からは「そんなに親父さん悪くないよね」とか「むしろ息子の方が悪いよね」と言われたりするんですよ。あらためて、伝えたいことをきちんと伝えることの難しさを実感しましたね。そんなふうに実際に一本作ってみると見えてくる世界があって、次の作品でまた違う世界が見えてくるという感じで、一歩一歩の積み重ねですね。
本物を知らないと、フィクションは作れない
――今の時代は、SNSでバズることを狙って映画表現も過激なものやトリッキーなものが増えたように感じます。そんな中で水口さんの作品は、ヒューマンドラマをストレートに描いているように感じるのですが、時代性についてはどんな考えを持っていますか?
水口 時代に逆行した古臭い考え方かもしれないけど、自分はSNSがあまり好きじゃなくて、人間同士が顔を合わせて出会っていくことに価値を感じるんです。なのでSNSでバズりたいと思ったことは今まで一度もないですね。今の時代はSNSをはじめ、聞こえすぎるし見えすぎるしで、いろんな情報が入ってきやすい状況ですけど、僕は居酒屋や道端の会話で消費されていくくらいの方が良かったんじゃないかって思うんです。現代についていけないのかもしれないけど、時代がそっちに進んでいるなら自分は逆を向いて走ろう、という感覚があるのかもしれないですね。
――ドキュメンタリーも積極的に撮っているようですが、『ホットミルクロード』を作ることで見えてきたことは?
水口 自分の中では、分岐点だったと思えるくらい一番大切な作品です。もともと那須塩原市にアーティスト・イン・レジデンスとしてアートユニットが招かれるにあたり、現地制作に密着する企画だったんですけど、作品が参加型アートだったので、参加した6人の地元の人をフィーチャリングして群像劇みたいに撮れないかと考えたんです。
これが不思議なもので、アーティストに限らずその地に生きている人々を撮るのも面白いんですよね。極端な言い方をすると、アーティストは東京から来て一時的に住んでいるフィクションみたいな見え方で、地域の文化や食に精通している地元の人たちは、その地に足が付いた感じがする。なぜそう見えるのかは僕にもわからないですけど、たぶん全部の要素なんですよね。そのとき感じたのが、“本物を知らないとフィクションは作れない”ということでした。そこまで徹底させないと、そういう見え方はしないんだろうなって。
――木村拓哉のMVを学生が撮るというGYAO!の企画でMV監督を務めていますが、普通じゃ考えられない状況ですよね。あらためて感想は?
水口 プレッシャーがハンパなくて、決まったその日からヤバかったです(苦笑)。でも、是が非でもいいものにしたかったので、自分の全ネットワークを使ってプロのカメラマンさんや照明さんを集めて当日を迎えました。そうすることで監督業に専念するつもりだったんですけど、実際は若手が監督することの難しさを痛感しましたね。
相手はプロで自分は学生なので、どうしても言われたことに対して「はい、わかりました。そうします」となっちゃうんですよ。いざ完成してみて、自分としては達成感よりも非力な自分への悔しさの方が大きかったですね。木村拓哉さんという一流の人が出ればいいMVになるというものでもなくて、監督の僕が一流になれたとき、初めて最高のMVができるんだろうなって思います。
――将来的にどんな監督を目指していますか?
水口 本広克行監督みたいに誰が見ても面白いと思える商業映画を作りたいですよね。今、僕は本広監督にすごくお世話になっていて、初の長編映画『アクトレスモンタージュ』という作品も本広監督の企画で、僕が監督をやらせてもらって連日のように密に関わらせてもらってます。本広監督はすごくいい人なんですよ。それもあって本広監督の元に集まってくるスタッフさんも人間ができている方ばかりなんですよね。映画製作というとオラついてるイメージがありますけど、そういう雰囲気がまったくない現場を見て、映画監督は人格者じゃないとなれない職業だと実感しましたね。
自分もそういう監督になりたいし、いいメンバーを作っていきたい。そのためにも大学卒業後の第二幕は、社会に出て一から修業しなければいけないと思っていて、これからは自分磨きです(笑)。僕の中では“人の痛み”が一番のテーマなんですけど、人間の喜怒哀楽という感情を知るためにも、人と関わっていろんな社会経験を積みたいと思ってます。
――本日はありがとうございました!
水口紋蔵 information
■『アクトレスモンタージュ』
初の長編映画監督作品が2021年秋に公開予定。
Text by 大寺明