インタビュー

【9期生対談vol.18】「伝えすぎない言葉、伝えすぎる身体」を考える 対談:橋本真那(パフォーマンスアーティスト) + 今枝祐人(メディアアーティスト)

クマ財団9期生による、クロストークを行う本企画。第18回は「伝えすぎない言葉、伝えすぎる身体」をベーステーマに掲げ、橋本真那(パフォーマンスアーティスト) + 今枝祐人(メディアアーティスト)の2名が互いの持ち寄った質問に答える形で意見を交わします。

聞き手:クマ財団事務局
執筆:小泉悠莉亜
クリエイター写真撮影:コムラマイ

9期生対談シリーズ一覧はこちら|https://kuma-foundation.org/news/13491/


 

———今回は「伝えすぎない言葉、伝えすぎる身体」を起点に対話をしていただきたい2名のアーティストに集まっていただきました。まずは読者のみなさまに、自身の活動を含めた自己紹介をお願いいたします。

橋本:橋本真那と申します。大学4年間を国立台湾芸術大学表演芸術学部舞踊学科で学び、現在は東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻に籍を置いています。他者を通じて自己を知ることを創作の軸として、コンテンポラリーダンスを用いたパフォーマンス作品の制作や交流プロジェクトの実施を行っています。台湾への留学を決めた背景には、日本では学べない日本の一面が台湾にあり、それらは台湾という国や文化を通じて知ることができるのではないかという関心があったからです。私が思う「日本人よりも『日本人』だけれども、日本人とは認められない」方々との交流などが、留学への根本的な後押しとなりました。

橋本真那《DEAR NRIGHBOR(COMMA)》2024
他者の存在を通じて自己を見つめ直すためのプラクティス。本作では慣れの二面性をテーマに、日本と、台湾にそれぞれルーツを有する2名の作者が、日本でも多くの議論がなされてきた「台湾有事は日本有事」について身体的交流を通じて考察を試みた。

今枝:今枝祐人です。橋本さんと同じく、東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻に在籍しています。短歌や詩などの言語表現をもとに、電光掲示板などのメディアを用いたインスタレーション作品を制作してきました。大衆広告と私的な言葉という対比する存在を合わせることで、不特定多数の個人の日常に詩を登場させたいと考えています。また友人たちとともに、おもちゃを軸としたプロダクト作品の制作・発表を行うスタジオ、アーティストユニット“Bombori Studio”としても活動中です。

今枝祐人《Inword facing Outward》(2025)
自作の詩を表示した、持ち運べる電光掲示板を持って街を歩き回る様子を撮影したインスタレーション作品。。街から言葉を持ち帰り、自分の言葉に濾過してから、また街に還すという循環的な行為を目指した。個人的な感覚をどのように社会に立ち向かわせていくか、あるいは曝け出すかを考えた、今枝自身にとってもエポックメイキングな作品。

———ここからはおふたりに持ち寄っていただいた質問を軸に展開します。まずは「身体的なパフォーマンスを介して、自分の気持ちが素直に伝わりすぎたり、逆に自分の気持ちに嘘をついたりすることはありますか?(今枝さん)」です。

今枝:国際的な問題や人の間にあるものを、言葉で解決することは難しいから「体を使う」と仰っていた橋本さんのエピソードが深く印象に残っています。本当に僕はその逆のスタンスでして、自分自身がフロントラインに出ていくことがすごく苦手だから「言葉」を代わりさにしています。嘘をつくというと表現は良くないですが———言葉を使うと、一枚壁ができるというか、僕という実体からすこし距離が生まれる気がするんです。僕の作品だけを知っていて、生みの親である僕を知らない人に会うと「実はそういう感じなんですね」という反応がよくあるんですが、僕はその「乖離がある状態」を良しとしていますし、それは「成功」だと思うんです。つまりそれが言葉の効能だと僕は思うのですが、橋本さんが体を使っていろんな人と関わろうとする時はどうなのかなと思いまして。

橋本:私はどうしても言葉をどう扱えばいいのかがわからなくて、苦手なんです。……私としては身体をつかって表現するとき、できるだけ自分自身に正直でありたいと思っています。ただしパフォーマンスは観客の存在があってはじめて立ち上がるものでもあるので、よりよく届く形を探ろうとする意識が働くようにも思います。動きひとつをとっても、その瞬間に最も適切なかたちを選ぼうとする。それが装っているように見えることもあるかもしれません。質問に対して、あんまりはっきり答えられないのですが。

今枝:いえいえ、興味深いです。なぜ身体的なパフォーマンスを通じたコミュニケーションを強化していったのですか。不得手だという「言語」を克服するという全く別のベクトルもあったかと思うのですが。

橋本:自分ができる表現のひとつとして、「コンテンポラリーがあったから」とも言えますし、「それしか自分にはなかったから」とも言えますね。身体的なパフォーマンスを通じた新たな対話の場を作ろうと思い立ったのは、異国の地で活動をするにあたって言葉が全く喋れなくても、身体をつかったコミュニケーションの助けのすごい力や可能性を実感したことにあります。ジェスチャーだけでなく、人の手を握る、触れるだけでも「同じ人間なんだ」と正面から体感するんです。共有された言語で思いの丈を分かち合えれば、それも素晴らしいのですが、ただその人の温度を感じたり、重みを感じたりするだけで「なにか」が深まるんだなと。激しく長く踊らなくても、短い時間で繋がるものがある。そうした私の個人的な敬遠をより開いていくことを目指して、現在いろんなプロジェクトを実施しているところです。

今枝:なるほど。

橋本:掲げているテーマから、一見ポリティカルに捉えられがちなのですが、それよりも「今、目の前にいる人とどう対話をすればいいのか/関係をもてばいいのか/自分はどうあるべきなのか」を考えるためにやっているというのが、最も根源的な狙いです。

今枝:ありがとうございます。理解が深まりました!

橋本真那《In the Distance: 距離之中》2026
私たちは今、日本をどう見るか。本作では2014年の台湾・ひまわり学生運動や、2019年の香港民主化デモ、そして2022年以降語られるようになった「台湾有事は日本有事」など、近年の東アジアにおける政治的・社会的動きに目を向けながら、それらが私たち一人ひとりの暮らしや思考にどのような影響を及ぼし得るのかを模索する。

———ひと区切りついたところで次の質問です。「作品における時間性をどのように考えていますか?(橋本さん)」。いかがでしょうか。

橋本:《Inword facing Outward》の作品で、掲示板が動くことを筆頭に、今枝さんの作品には物語的な気配を色濃く感じます。物語ひいては「時間の流れ」がやっぱり重要なのかなというように見ているのですが、時間や構成を含めた物語はどのように立ち上がるのかを伺いたいです。

今枝:まず時間の流れという観点では、自分がよく新幹線ですとか、強制的に拘束される移動時間のなかから言葉が生まれてくるというのがひとつあります。現実における時間の軸がありつつも、頭の中では過去を遡ったり、思いを巡らせたり。それとは全く別に、手元のスマホでテキストをスクロールしていったり———言葉が左に流れていくアクションだったりもありますね。

今枝祐人《270キロの逃避》2024

今枝:《270キロの逃避》は新幹線のような空間に、横書きから縦書きに回転する2枚の電光掲示板を用いた作品です。掌編的なストーリーを作って、それを再現したような構成で「演劇的/映像的だ」との感想が多く寄せられた作品で……椅子もあって、音もあって、まさにその場にいるような感覚で物事を追体験させるようなテキストがあると、いわゆる読書体験とは全く違う———新たな言葉を考える体験構成になっていたんだろうなと振り返って思います。始まりがあって終わりがある一方向性に進む時間軸の存在と、何度も回転してスクロールする、無限ループする時間の組み合わせも面白かったのかもしれません。……僕もあまり上手に返事ができていませんが、時間っていうのはものすごく重要ですよね。

橋本:時間に拘束されている時にアイデアが生まれるという着眼点は面白いですね。言われてみれば、自分も同じです。人の舞台を鑑賞している時に勝手に構想が広がって……見ているけれども見ていないみたいな。

今枝:本当にそうだなと思います。本を読んでいる時も、知らぬうちに自分の言葉で読み替えていたりしますよね……。

橋本:《270キロの逃避》に関して言うと、これは男女の物語なのでしょうか?

今枝:そうですね、逃避行というんでしょうか。その中で、男女の胸の内のようなことが詩というか、物語として流れている立て付けです。

橋本:なるほど。

今枝:男女が相手に対して求めるもの———それが恋愛なのか、憧れなのか。そうした気持ちがすれ違っていったりとか、相手のもつ一側面を肥大化させて、追いかけて、追いつこうとしたり、逆に利用しようとしたり。そういう男女のリアルなやりとりがストーリーラインとして存在しつつ、もうひとつのレイヤーとして存在しているのは、まさに僕の、言葉からの「逃避」———逃避行というテーマに直接的につながります———すなわち僕自身がスランプに陥って「言葉から逃げてしまった」という現実とリンクしています。僕自身の体験をそのままフィクションのストーリーラインに埋め込んで、男性を「スランプ気味の詩人」、女性を「男性への恋心と、ミューズとして詩にしてくれることの自尊心を満たしてくれることを交錯している人物」として登場させました。作中では女は男を追いかけて行くのに対して、男は逆方面へと新幹線で乗り込むのですが、これはまさに現実の僕と対応していて、制作に関するリアルな自分の気持ちを投影しつつ、交差させることで、スランプをスランプ状態のまま脱却しようとした鋭意作でもあります。その意味では正直に当時のことを語ること自体が、今の自分からすると「半分嘘」に思えるので、今ならなんでもできる、みたいな感じになってきました。

橋本:この作品は視覚で言葉だけを追い続けるだけではなくて、新幹線の座席を模した椅子の接面———お尻と触れている面からも体験が始まっていて、臨場感が相乗効果として出ていく感じもありますよね。

今枝:そうなんです。ウーファーを仕込んで、新幹線の振動と同じになるようにしました。

橋本:徹底していますね。これまで私の作品では、言葉をほとんど用いてこなかったのですが、つい最近中国語でセリフを入れて上演し、終演後にその言葉を印刷したペライチを観客の方に配ってみたんです。いわゆる「時間的なズレ」を意識して作ったもので……そうした時間的な感覚について、今枝さんにお伺いしてみたかったので嬉しかったです。ありがとうございます。

———おふたりともありがとうございます。区切りの良いところで今日の対談はおしまいにします。

 


「KUMA EXHIBITION 2026」が2026年3月に開催決定!

クリエイター9期生が参加する大型成果発表展「KUMA EXHIBITION 2026」 が、2026年3月28日(土)・29日(日)に開催決定!東京の青山・スパイラルにて、アート、テクノロジー、音楽、建築など多様なジャンルの若手クリエイターが集う本展。新進気鋭のクリエイターたちによる作品が一堂に会する、刺激的な2日間をお届けします。

特設サイト|https://exhibition.kuma-foundation.org/exhibition2026/

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