インタビュー
活動支援生インタビュー Vol.75 斉藤七海「自然と人工物の境界を曖昧に行き来する私として」
クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。
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活動支援生インタビュー、はじめます!
Nanami Saito|斉藤 七海

「自然と人工物の境界を曖昧に行き来する」ことをコンセプトに、陶器に金網を巻いて焼成する作品をこれまでに数多く発表してきた斉藤七海。そのインスピレーションは物理的にも時制的にも離れた英国・ケルトの世界観にはじまり、国内ではイタコ(霊媒師)の生きる土地・恐山や、悠久の時を刻みつづける大樹林の賢者を育む屋久島など、人々の信仰に根ざした土地に育まれた。本記事では、2026年3月にひかえた斉藤の初個展につながる根本的な制作思想や、個展への構想を聞いた。
取材・執筆:小泉悠莉亜
私は、最も身近な自然物であり、人工物である
———まずは斉藤さんがアートに興味をもったきっかけを教えていただけますか。
斉藤:小さい頃から工作や絵を描くことが好きで、美術の授業でも成績は良いほうでした。ただ当時思い描いていた「美術」は、浮世絵の《東海道五十三次》やクロード・モネ、縄文土器のような重厚なイメージで、自分とは少し距離のあるものに感じていたのが正直なところです。
その固定観念を取り払ってくれたのが、中学・高校の美術の教科書で知った奈良美智さんの作品でした。「表現としての美術」がこの世には存在するんだ、と衝撃を受けて。それをきっかけにアートに強く興味を持つようになりました。
私にとってアートとは、言葉では言い表せない自分の気持ちや感覚、目には見えないものを表現するための手段であり、同時に他者と感覚的に“つながる”ことができるものだと考えています。
———京都造形大学空間デザイン学科に進学されましたが、最終的には今おっしゃっていた気づきをもとにアートへの道を進むことを決意され、在学中にはアーティスト・名和晃平さんのスタジオで作品制作の手伝いをされていたと伺いました。そうした過程を経て、現在掲げている「自然物と人工物、それらの曖昧な境界を行き来する」という制作コンセプトに行き着いた、思索のプロセスをお聞かせいただけますか。
斉藤:学部では空間演習デザイン専攻に所属していて、プロジェクトの一環でファッション——つまり人工物ですね——を大量に制作したり、某大手アパレルでアルバイトをしたりしていました。そうした経験を通して、大量生産・大量消費の現場で生まれるネガティブな循環を、自分の肌で強く実感してしまったことが大きいと思います。
日々はとても楽しかったですし、服そのものは今でも好きです。でも、このサイクルはできる限り避けるべきなのではないか、ましてやそこに加担するように自分がさらに新しい服を作る必要はないのではないか、と考えるようになりました。この経験が、「自分にとって本当に大切なことは何か」を見つめ直すきっかけになったんです。
その流れの中で、地球上のより根源的なもの——自然物のような存在——へと関心が向かっていきました。
———その頃に接近された素材が、現在の制作でも多く用いられている陶芸(土)だったのでしょうか。
斉藤:名和さんのスタジオで制作に携わる中で、大きな立体作品を自分でも作ってみたいという思いが芽生えました。大学4年のときに、陶芸家の松井利夫先生のゼミをきっかけに陶芸を始めたんです。
窯の中で、土が釉薬と溶け合いながらまったく別のものへと変容していくプロセスを見たときに、「ここには地球の根源的な要素がすべて入っている」と感じました。火と水と土、地球のエネルギーが凝縮されていて、「これはまるでビッグバンみたいだな」と。ちょっと厨二病っぽい発想なんですけど(笑)、そのときは本気で「陶芸って最強だ…!」と思ってしまったんです。(笑)
個展「間」出展作品(kokyu kyoto(京都)にて開催)
———陶器であれば900〜1300度ものカロリーがかかる窯焚きの現場は、確かに人を圧倒する力があるように思われます。そうした世界に触れながら、自然物一辺倒にならず、自然物と人工物を融合、あるいはそれらの境界を行き来しようとする態度が養われたのはなぜなのでしょうか。
斉藤:現代において「完全な自然」というものは、もはや存在しないと思っています。だからこそ、人工物と自然物の両方をどう共存させていくか、という思考に至りました。こうした考え方は今では比較的一般的になりつつあるかもしれませんが、私自身はジル・クレマンの著作『動いている庭』や、エマヌエーレ・コッチャの『植物の生の哲学』から大きな影響を受けています。
クレマンが『動いている庭』で述べているように、自然は常に変化していて、人間の関与もまた“生態系の一部”にすぎません。「動き続ける生態系のプロセスそのものが庭である」という考え方です。私の制作も、変化し続ける環境や物質の運動を陶芸という行為と重ね合わせながら、人間が完全には制御できない生成の力を可視化しようとする試みだと思っています。そこでは、意図や設計を超えて立ち現れる変化そのものが、作品の構成要素になることもあります。自分がきっかけとして制作を始めるけれど、最終的に何が現れるかは素材や環境との共同作業です。
一方、コッチャの『植物の生の哲学』は、植物を単なる受動的な存在ではなく「世界をつくり出す存在」として捉え直し、人間中心主義を超えた存在論へと視点を開いてくれます。生命を「関係の網」として理解するその思想に触発されて、私の作品は、人のようでもあり植物のようでもある彫刻へと展開していきました。人と人工物、自然物のあいだを行き来するような存在をかたちにしようとしているのだと思います。
———ありがとうございます。そうした関係性の中で、斉藤さんは自分自身をどこに据え置いているのでしょうか。近代的な目線で見れば、自然対人(人工)というような二項対立がメジャーでしたが、おそらく斉藤さん自身の捉え方はそれとは異なるように思われます。
斉藤:自然物と人工物のあいだに「私」が位置している、という感覚があります。ただ同時に、私自身が「いちばん身近な自然物」でもあり、「いちばん身近な人工物」でもあるとも思っているんです。自然と人工物がゆるやかなグラデーションとして連なっているとすれば、その中に偏在しながら、両極をつなぐような立ち位置にいるのかな、と感じています。
———理解しました。その感覚はどのように築かれたのでしょうか。
斉藤:きっかけになったのは、2020年頃に行った屋久島でのフィールドワークや、その後の制作だと思います。最初は特に深く考えずに、粘土で樹のようなモチーフを作っていたんです。その制作の途中で屋久島を訪れる機会がありました。
斉藤が屋久島で撮影したフィルム写真
斉藤:実は中学生の頃にも一度屋久島を訪れたことがあって、そのときに見た縄文杉の記憶がずっと鮮明に残っていたんです。圧倒的な時間のスケールというか、自分の存在がとても小さく感じられた体験でした。その記憶がどこかに引っかかり続けていて、再び屋久島を訪れたときには、今度は制作と結びついた視点でその風景を見ている自分に気づきました。そこで見た樹木の姿に強く惹かれて、帰ってからも屋久島の樹木をモチーフに作陶を続けていました。
そうしているうちに、樹木がだんだん自分の身体のように感じられてきたり、スケッチした樹木の姿が自分の中に内在化されていくような感覚があって。当時は、そうした自然と自分との距離感、あるいはそのあいだを流れる感覚のようなものを、作品の一部として取り込めたらと考えていました。
———土をこね、成型していく積み重ねからなる陶芸もまた身体の拡張、あるいは身体との融合的な感覚が生まれる作業なのではないでしょうか。
斉藤:そうですね。陶芸はとても身体的な行為だと感じています。土を練ればそこに自分の手の痕が残りますし、自分の身体の動きがそのまま形に現れていく。それと同時に、土の側からの反発というか、レスポンスのようなものもあって、ひび割れたり歪んだりする現象に自然の力を感じるんです。そういう瞬間に「あ、やるやん」って思ったりもします(笑)。
人間がすべてをコントロールできるわけではない、その“ままならなさ”のようなものが、私はすごく好きなんですよね。
レモンから始まる、新たな挑戦
———2026年3月には、東京にある「Yutaka Kikutake Gallery 京橋」での初個展を予定されています。こちらでの展示発表は奈良美智さんがキュレーターを務めたグループ展「ささめきあまき万象の森」以来ですが、展示内容はどのようなものになりそうでしょうか。
斉藤:大変ありがたいことに、一昨年の11月に憧れだった奈良さんがキュレーションされた展覧会に参加させていただきました。そうしたご縁もあって、同じスペースで今回の個展を開催することになりました。
今回の個展では、レモンをモチーフにした作品を制作しようと考えています。レモンは、東京に引っ越してきたときに新居祝いとして買ったもので、自然物でありながらどこか人工物のようでもある、アンビバレントな存在なんです。実った果実を食べながら、2年ほど育てていました。
ただ、地方や海外への長期滞在が続いたこともあって、世話が行き届かず、最終的に枯らしてしまって……。そのショックがとても大きくて、気づけばレモンについての作品を作りたいと強く思うようになっていました。

Good bye, Lemon, 2026 撮影:坂本理
———弔いのような感覚なのでしょうか。
斉藤:そうですね。もともと私自身、信仰や宗教といったものへの関心が強くて、過去に恐山を訪れたときに目にした風景も、今回の作品に織り込めたらと考えていました。恐山は、特定の宗教に限定されず、ある意味で万人に開かれた場所でもありますよね。現在は水子供養の場としての側面が強く、訪れた人たちが弔いの気持ちを込めて石を積んでいく。その光景がとても衝撃的だったんです。
それをどこかオマージュするようなかたちで、レモンを縦に積み重ねてみようかと考えています。

斉藤が恐山で撮影したフィルム写真
大学の学科長・植島啓司氏、大学院のゼミ・伊藤俊治氏らとのバリ島の祭りをフィールドワークするなど、世界の儀式や祭りのフィールドワークに数多く足を運んできた斉藤さん。反復されるリズミカルな音楽で踊る人々がトランス状態に入る様子や、ときにはグロテスクな場面にも遭遇してきた。
———こと現代日本の空気感で言えば、信仰や宗教はこわいもの、嫌厭されがちな対象ですし、石積みと聞くと、まず三途の川の石積みが思い出されます。ところがレモンをモチーフにすることで、すこしそのネガティブさが払拭される感じもありますね。
斉藤:「楽しい感じの信仰」というキーワードは、なんとなく考えているところです。自分なりの恐山、というイメージもあって、そこには少しキャッチーさもあるような気がしています。石積みという動作から見えてくる「繰り返し、繰り返し」が、案外と作品の核になっているんです。
———繰り返し、というのは。
斉藤:これまでの制作でも影響を受けたり、リサーチを重ねたりしてきたケルトの考え方に、「毎日は同じ円環ではなく、螺旋状に展開していく」というものがあります。レモンと私の関係で言えば、水やりという行為は日々繰り返されていますが、その都度与える水の量やタイミングは微妙に違う。それでも行為としては同じことを続けている。そうした積み重ねの中に、信仰的な感性が宿るのではないかと感じているんです。
こうした日常の体験を踏まえてあらためて「信仰とは何だろう」と考えると、それは人が生み出すものだと気づきました。聖なる山や土地とされる場所は数多くありますが、それ自体だけではおそらく信仰は成立しません。やはり人、あるいは人の意思がその場所に繰り返し向かうことで、特定の土地が聖域化されていくのだと思います。
———人の意思が繰り返し向かうことで、その対象である無機物が意味を帯び、その一連のやりとりが信仰行為になる、という理解でよいでしょうか。斉藤さんの水やりを引き合いに出すなら、レモンが信仰対象だったとも言えそうです。
斉藤:はい。この構造は、日常のさまざまな行為にも当てはまると思っています。水やりもそうですし、育ったレモンを実際に食べているので、信仰を超えた新しいコミュニケーションも生まれているように感じます。その流れの中で、土から生まれたレモンを、そのレモンを食べた私が、自分の手で土を使って作り出すという、この入り組んだ関係性もまた面白いと思っていて。
今回のレモンの作品は「鋳込み」という陶芸の技法で制作しています。レモンの石膏型を作り、その型を使って粘土のレモンを複製していく。その制作プロセス自体も、「繰り返し」というキーワードと強く結びついているんです。
———斉藤さん自身は、信仰や宗教などにまつわる事象を一歩引いて見つめている態度が興味深いです。
斉藤:特定の文化圏ではあまり大きな声で言えるわけではないと自覚しているのですが……信仰行為の面白さみたいなものを確かに俯瞰して見ています。その面白さのオリジンは、かつて科学技術がない時代を生きた人々がどうやってより善く生きるか?を思考するための手立てとして、うまく宗教を活用した点にある気がします。それってすごい賢いことだなと思っていて。レトリックと言えばレトリックなんですが、世の理としても感覚的にも正しいこともありますし。余計なことを一切考えずに、自分の信じたいものだけ信じていれば楽っていう気持ちもすごいわかりますし(笑)。
———かと言って、特定の宗教に帰依することもない。
斉藤:そうですね。思考することを手放したくないので、何かにすがるような形にはなりたくないんです。言い換えれば、自分を信じて生きているというか、ある種の「自分教」みたいなものかもしれません(笑)。信者でもあり、教祖でもある、みたいな。
斉藤七海 個展『Good bye!』
会場:Yutaka Kikutake Gallery 京橋
会期:2026年3月14日(土) – 5月9日(土)
時間:11:00 – 19:00 日・月・祝日休廊
詳細URL:https://www.yutakakikutakegallery.com/ja/exhibitions/good-bye/



