インタビュー
日本画の伝統的行程をリスペクトしつつ「絵画」という“行為”を再構築していく。〜4期生インタビュー Vol.5 土田翔さん〜
クマ財団が支援する学生クリエイターたち。
彼らはどんなコンセプトやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。
今という時代に新たな表現でアプローチする彼らの想いをお届けします。
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4期生41名のインタビュー、始めます!
土田 翔
1997年福島県生まれ。
東北芸術工科大学美術科日本画コースを卒業後、同大学院に在学中。
日本画をベースとしながら、美術制作等の「行為」を表現の根源とし、絵画だけでなく、インスタレーション作品や映像作品などの複合表現を模索している。
https://kuma-foundation.org/student/tsuchida-sho/
インスタレーション作品は、自分としては「絵画」
――立体作品を発表されているので、最初は現代アートの方だと思ったのですが、もともと日本画を専攻されているんですね。日本画の道に進んだきっかけを教えてください。
土田 地元の福島で伊藤若冲の展覧会を観たことがきっかけでした。繊細なタッチでありながら筆の動かし方に勢いがあって衝撃を受けたんです。その後、東京の美術館で河鍋暁斎の作品展を観て、日本画の持つ繊細さと迫力に感銘を受け、大学では日本画コースを専攻しました。高校は普通科だったので、かなり珍しい進路選択だったと思います。
――インスタレーション作品の「re-start」は、日本画の「胡粉の百叩き」をメタファーとして表現したということですが、どういう意味が込められていますか?
土田 日本画を描くまでには、画材を一から準備するという伝統的な行程がありまして、岩を砕いてそれを振るいにかけて粒子分けをして絵の具を作ったり、和紙を自分で漉いて作ったりするんです。そうした日本画の制作行程を僕は心からリスペクトしていて、その“行為”をモチーフにして立体作品を創るようになりました。
「胡粉の百叩き」は、胡粉ににかわを混ぜ合わせた塊を100回叩きつけると、きれいな白色の絵の具になるという大事な行程なんですが、それをやっているうちに、だんだんグローブをはめてボールを投げる行為のように思えてきたんです。その行為の延長線上にストラックアウトがあると考え、「re-start」を制作しました。
――同じような行為なのに、まったく別のものになってしまうわけですね。
土田 僕はモノの本来の扱い方や定型であることに疑問を持ち、行為が表現の根源にあると考えています。絵画を表現の中心としながら、廃棄物や電化製品などを用いた表現活動を行ってきましたが、一つひとつの行為を入れ替えたり、道具を筆から電動ドリルやノコギリに変えただけなのに、まったく別のものに変換されるのが面白いと感じています。
行為を分解して再構築するようなかたちで、僕としては絵画制作を行っているつもりですが、一般的には絵画というフォーマットには当てはまらない。それで絵画の再始動という意味を込めて「re-start」と名づけています。あとは自分の制作プロセスの開示という意味もあります。まず行為へのリスペクトがあり、その行為の痕跡を見てほしいと思っています。
――スロットマシンと浄水器で構成された「re-clean」のコンセプトを教えてください。
土田 大学2年のときに山形県出身の小松均という日本画家に出会いまして、その方の写生方法が「直写」というものなんです。自分が見ているモチーフと絵画の紙面が一直線上に重なるような描き方なんですが、それがスロットマシンを目で見て瞬時にボタンを押すという行為に重なると思いました。この作品は「直写」、そして広い意味で絵画の制作行為に言及したものになります。
――一方で「推本遡源」は絵画ですね。かなり大きな作品のようですが?
土田 縦と横が5メートル近くあります。上部の山の絵が木炭、和紙といった自然素材で描かれていまして、下部の街の絵がモルタルや炭酸カルシウムといった人工素材を用いて描いています。自分の身体スケールを超えたいという思いがあって挑戦したのですが、自分を制御しながら、制御できないものを制御しようとするプロセスという感覚がありました。
僕は作品が本来あるべき場所というのを探しています。絵画は屋内に展示するのがテンプレートですが、この作品は木製パネルに和紙を貼ったもので、和紙は外気に触れることで湿気を吸って呼吸をします。それが目に見える展示方法というと、やはり屋外に展示するしかないと考えました。
屋外に展示することで、山が借景になって絵画の山の稜線とつながり、絵画の空が実際の空と交わる。そういう作品を生み出したくて、外に展示することにこだわっています。
制御することができない自然を暴力的に描きたい
――身体スケールを超えた作品を描くことで、表現しようとしたことは?
土田 制御することができない自然の激しさ、過剰性といったものを暴力的に描き出そうとしました。白と黒のコントラストは、白が生物が踏み込むことを拒む雪山の白で、自然の崇高さや畏怖、美しさを表しています。それとは逆に、人間の無自覚さや無知、道徳の欠如、数々の暴力といったものがあると思っていて、そのギャップを白と黒の圧倒的なコントラストによって表現しています。
自分の作品のスケールや制御のできなさは、自然への向き合い方に近いものを感じています。僕は平和だと思われている自然や安全というものに常に不安定さを感じていて、これは人間関係でも言えることですが、安定した状況というものに危機感を感じてもらいたい、という思いがあります。
――小松均さんの「直写」を実践されていますが、どんな影響を受けましたか?
土田 実際に山に入って、現場で和紙を広げて描ききるといった小松均さんの「直写」は、僕の制作プロセスと重なるところがありまして本当に心から尊敬しています。
小松さんの描く水は「音が聴こえる」と評されるんですが、本当に水飛沫や川の流れが聴こえてくるような絵なんです。もともと僕は実体感を伴った経験を大事していまして、現場で触れる空気や温度、風や匂いといったものを五感を通して自分に刻み込み、それをアウトプットするというやり方をしていたんですけど、「直写」を知ってからは、実際に川に入って冷たさを知る、という制作プロセスを行うようになりました。
――冷たさを体感してから描くと、やはり絵も変わってくるものですか?
土田 やはり川に入ったり、雪に触れた後に描く絵は、絵が持つ空気や冷たさがまったく変わってきます。それは感覚的なリアルだと思っていまして、写真のようなリアルさとは違い、そのものに触れないと表現できないリアルだと思っています。対象と同化するような体感を通して、物事の本質を見ようと常に格闘しています。
――土田さんの作品は、既成概念を超えたところにある本質と向き合おうとしている印象があります。表現に対して、どんな考えを持っていますか?
土田 制作の際、僕はよく「暴力」という言葉を使うんですが、それは精神的なものとして抑圧されたものが解放される瞬間という意味で使っています。身体スケールを超えたものを目にすると、凄いとか圧倒的だと言いますが、ただ言葉で表現するのは物足りない気がしていて、それを表出しようとする絵画においては、小さく収まらず気づけば既存の枠を超えてしまっていた……そんな感じで、一般的に絵画と呼ばれる形ではなくなってしまったわけですが、それも言ってしまえば、暴力なのかなと思います。
これまでも絵画を中心としながら、ジャンク品を集めてアッサンブラージュ的な立体作品を創ったり、絵画に釘を刺したり、既成概念に捕らわれない作品制作を行ってきました。絵画の拡張というコンセプトから始まった自分の表現によって、既存の制作プロセスの概念を変えていけるような作家になりたいと思っています。
――本日はありがとうございました!
土田 翔information
■最上川芸術祭2020 Vol.2 土田翔展 ENCOUNT―最上川に刻む―
日程:2020年9月4日~9月29日(水曜休館)
会場:最上川美術館/真下慶治記念館
※大淀を望みながら「直写」ライブペインティング(不定期開催)
■ART AWARD TOKYO MARUNOUCHI 2020
作品展示
日程:9月10日~9月25日
展示場所:国際ビル1Fエントランス(入場無料)
以下のような作品ダイジェスト等、様々な作品をInstagramにて配信。
Text by 大寺明