インタビュー
人のような物のような不思議な存在を描く、曖昧であることへのこだわり。〜4期生インタビュー Vol.12 中澤ふくみさん〜
クマ財団が支援する学生クリエイターたち。
彼らはどんなコンセプトやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。
今という時代に新たな表現でアプローチする彼らの想いをお届けします。
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4期生41名のインタビュー、始めます!
中澤ふくみ
1996年高知県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科油絵コース卒。
現在、エストニア芸術アカデミー大学院 アニメーションコースに在籍。
人間が身体を変形させて道具や施設などになり変わることで、生活のほとんどを人間のみで担うことができる世界をコンセプトに、絵画とアニメーションを制作。
アニメーション作品『ある町 A町』で京都造形芸術大学卒展の学長賞を受賞。
OFFICIALSITE:https://fukuminakazawa.carbonmade.com
https://kuma-foundation.org/student/fukumi-nakazawa/
物の中にある“人間だと感じられる形”に魅力を感じて
――今年からエストニアの大学院に留学されているそうですが、その目的を教えてください。
中澤 私はもともと油絵を専攻していたんですけど、自分の絵をアニメーション化するようになってアニメーションの基礎を学んでみたいと思ったのと、ヨーロッパで学ぶことで日本と西洋が混じった中性的な作品ができるんじゃないかと思いました。あとは日本でずっと制作活動を続けていくと自分に甘えが出てきそうな気がして、自分を追い込んでみようと思ったんです。
――エストニアはアニメーションが発展しているんでしょうか?
中澤 たまたまゼミの先生にエストニア在住の友人がいたので留学について聞いてみたところ、エストニア芸術アカデミーは世界各国から学生が集まり、卒業生の作品も質が高いという話だったので、まさに自分が求めている環境だと思ったんです。世界的に有名なアニメーション作家のプリート・パルンという方がちょっと前まで教授を務めていたので、彼の作品を見て入学したいと思いました。
――エストニアは日本人にはあまり馴染みがありませんが、どんな国なんでしょうか。コロナ過ということもあり、生活や授業で困ったことは?
中澤 エストニアはIT先進国として知られています。国民にIDカードが発行され、生活のさまざまな場面で使えるようになっています。コロナに関しては、私がエストニアに来たときは誰もマスクを付けていなかったんですが、最近、感染者が増えてきて、大学構内でのマスク着用が義務化されました。授業は普通に行われていますが、困ったこととしては、英語で授業が行われるので、ちょっと言語の壁を感じています。
――中澤さんの作品は、ドローイングの絵がアニメーションになることで独特の動きを表現しています。なぜ油絵からアニメーションへと表現が変わっていったのですか?
中澤 油絵をちゃんと描いていたのは大学の2年間くらいなんです。色を塗るとき、一般ウケしそうなお洒落な色や流行りの色使いをしていることが、自分でも気持ちわるく感じてしまってモノクロで描くようになったんです。私は人物のドローイングが好きだったので、線だけで描くほうがしっくりきたんですね。それから線が上手く描ける墨に移行していきました。
下地材のムードンを使って、墨で描いては消して描いては消してのレイヤーを重ねているとき、透けている和紙ならもっとレイヤーを重ねられると思って、今度は和紙に墨で描くようになりました。それをさらにアニメーションにしたら面白いと思って、和紙を重ねながらちょっとずつ線をズラして動きを描いていくようになったんです。こんなふうに私の中ではけっこう段階を踏んでいるんですよね。
――人間と物が融合した不思議な絵を描いていますが、あの独特の世界観はどんなふうに生まれてきたものなんでしょうか?
中澤 大学3年のときにウイーンに留学していたんですが、ヌードデッサンの授業が好きで通っていました。でも、週に5回も授業があると退屈になってくる。それで退屈しないように線を省略したり、人間の形を崩して描くようになったんです。それと同時に解剖学の授業があって、博物館で奇形児や皮膚病の人の標本を見たり、病院で解剖された人の身体をドローイングする経験があって、“人間だと感じられる形”というものに魅力を感じるようになったんです。
その頃の私は、ドローイングで人間ばかり描いていたので、他のものも描けるようになりたくて道具や機械を描く練習をしていました。そうすると椅子の曲線が人間の背中に見えたりして、物の中に人間の輪郭線が含まれているように感じたんです。それで人と物をくっつけて描いてみようと思いついたのが最初でしたね。
人によってキャラクターの見え方が違うことに興味がある
――子供の頃は誰に見せるわけでもなく、思いつくまま自由に描くのが楽しかったりしますよね。あの感覚の延長線上に中澤さんの感覚があるのかな、と想像します。
中澤 自分ではけっこう頭が固いほうだと思っているんです。油絵コースの1、2年のときの私は見たものをそのまま描くことしかできなくて、マルレーネ・デュマスなどのちょっと崩した感じの自由な描き方が羨ましかったんです。私もそんなふうに描きたくて、わざと歪めて描いてみたりしたんですけど、たとえ最終的に見た目が良くなっても、自分の絵じゃない気がして納得できなかったんです。その後、ウイーンから帰国して人と物をくっつけた絵を描いてみたとき、ようやく自分の絵にしっくりきたんです。これは自分が描きたかった絵かもしれないって。
――中澤さんの作品は、見方によっていろんな解釈が生まれます。作者としては、どんなふうに感じ取ってほしいですか?
中澤 私としては、あえてかっちり描かないようにしている部分もあって、線画ならではの錯覚の起こりやすさから、鑑賞者の解釈が違ってくるとうれしいです。あえて何の物であるのか、はっきりわからないように描くことで、人によってキャラクターの捉え方が違ってくればいいと思っていて、たとえばポストみたいな形を描いたことがあるんですけど、トースターに見えたという人もいて、私としては人によってどんなふうに見えたかを聞きたいんです。一度だけ、はっきりミシンとわかる絵を描いてしまって、あれはあれでいいのかな、と思いつつ、本当はもっと曖昧にしておきたいんです。曖昧なのが一番だと思っていますね。
――なぜ、人からすると不完全に見える形に惹かれるのでしょうか?
中澤 見たことのない形というものを描きたくなるんです。人間と物が混じった絵を描くようになってから、友達に『家畜人ヤプー』という小説を教えられて読んだんですけど、私の世界観とすごく一致していると思いました。違うところとしては、小説は洗脳された人たちが身体を変形させられているという内容でしたけど、私の作品では、自分から喜んで身体を変形させていったことにしようと思っているんです。なので彼らの世界観は平和なんですよね。
――20世紀最大の奇書といわれる『家畜人ヤプー』は、戦後日本人の白人コンプレックスが背景にあったと思うのですが、中澤さんの作品に、今の時代性が投影されることはありますか?
中澤 私は機械があんまり好きじゃなくて、スマホもなくなればいいと思っているんです。スマホやインターネットに考える時間が持っていかれて、どんどん阿呆になっていく気がするんです。だけど今はAIがどんどん発展したり、身体にマイクロチップを埋め込むようになったりして、機械が飛び交う世界になりつつありますよね。効率的なものや機能的なものばかり重視されて、どんどん人間的なものが失われていく気がしています。無駄なものが排除されていく方向には、芸術も含まれているのかな……と考えたりもしますね。
なので私が描く世界は、人間が道具に変形することで機械に頼らずに生きていける世界なんです。そうなれば、自分の身体を消費するだけなので好きに生きられそうだなって思って描いてますね。
――エストニアでアニメーションを学んだ後は、どんな作家になっていきたいですか?
中澤 2年間はアニメーションの勉強をしますが、その後もアニメーションを制作していくかはまだわからないです。今のところ最終的に平面作品に戻りたいと思っていて、作品を制作する上で、平面では表せない動きの視点が欲しくて勉強しているというのがあります。人と物が混じり合うコンセプトについては、キャラクターが思いつく限り描き続けていきたいですね。
――本日はありがとうございました!
中澤ふくみinformation
■チャリティーオークション
「見えない世界 invisible world」出展
http://www.plus1art.jp/Ja_+1/+1NEXT.html
+1art/大阪市中央区谷町6−4−40
2020年11月25日~12月12日/12:00~19:00(最終日 ~17:00)日・月・火 休廊
※11月28日(土)はトークイベントのため16:30に閉廊します。
■「ARTISTSʼ FAIR KYOTO 2021」出展
https://artists-fair.kyoto/
2021年3月6日~7日/10:00~18:00
京都府京都文化博物館 別館/京都新聞ビル 地下1階
Text by 大寺明