インタビュー

武正晴監督に密着してドキュメンタリーを制作。新たな世代は何を撮るべきか?〜4期生インタビュー Vol.18 安田杏さん〜

クマ財団が支援する学生クリエイターたち。
彼らはどんなコンセプトやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。
今という時代に新たな表現でアプローチする彼らの想いをお届けします。

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4期生41名のインタビュー、始めます!

安田 杏

2001年東京都生まれ。
高校1年生からPV、ドキュメンタリー、フィルム撮影などさまざまな映像作品を制作する。
2020年、春のコロナ禍で武蔵野美術大学 映像学科に入学。映画制作を目指す。
太陽の塔、三十三間堂のような“映画”が作りたい。

https://kuma-foundation.org/student/an-yasuda/

 

 

映画監督になりたい。その想いをドキュメンタリー作品に

 

――高校1年生の頃から映像作品を制作しているそうですが、映画監督を目指すようになったきっかけを教えてください。

 

安田 グザヴィエ・ドランというカナダ人の監督がいるんですが、19歳で初監督作品の『マイ・マザー』を発表して、20代前半にしてカンヌの賞をいくつも受賞しているんです。中学生のときに彼の受賞スピーチを見たんですが、若い世代に向けて“やりたいことがあるならやるべきだ”といったメッセージを発していて、自分に近い年齢の彼がすごく輝いて見えた。純粋に「映画監督ってかっこいいな」と思ったのが最初でしたね。

それもあって進路を決める際、普通の高校に通っていていいのか?と疑問を感じて、美術系の高校に進学しました。油絵やデザインを教える高校で、映像学科があったわけではないのですが、美術を目指している周りの人に刺激を受けて、自分で映像を創りはじめたんです。

8mmフィルムカメラでの作品だが、長時間の露光で撮影した結果、画像のような閃光が飛び交うような映像となった。

 

――これまでどんな作品を撮ってきましたか? また、15歳から19歳の現在に至るまでに変化してきたことは?

 

安田 最初の頃はPV的な映像が多かったですね。映画やPVを観てイメージや構図が思いついたら撮ってみるという感じで、最初は模倣から入っていきました。高校2年生のときは、父が持っていた8ミリフィルムのカメラで映像を撮ったんですが、長時間露光で撮影したところ、閃光が飛び交っているような映像になって、いい作品が撮れたと思えたことが自分の中では大きかったです。

最初はイメージビデオのような映像を撮っていたのが、途中から「もっと人を撮りたい」と思うようになったんです。高校の卒業記念映画の制作では、かなりの数の卒業生にインタビューして映像を撮ったりしていて、中でも自分にとって大きかったのが、武正晴監督に2週間密着して撮ったドキュメンタリー作品です。高校生にして撮影現場に密着したことをスゴイと言われたりもするんですが、僕の中では失敗したという思いも大きいんです。

 

――武正晴監督というと『全裸監督』や『百円の恋』など今をときめく監督ですが、ドキュメンタリーを見ると、さすがに迫力がありますね。

 

安田 そうなんですよ。現場に入った初日に、監督の目線に入ってはいけないことや、撮影していることを周囲に悟られてはいけないと教えられたんですが、監督もスタッフも緊張感が張り詰めていて、すごくおっかなかったですね。その中で自分はただただ臆していただけというのがあって、それが僕の中ではあの作品の失敗なんです。本当はもっと監督に話を聞けたかもしれないし、スタッフの方にも話を聞けたかもしれない。「もっとやれたはずだ」という心残りがあります。

 

――「映画監督になりたい」という安田さんの想いが詰まったようドキュメンタリーですが、武監督を撮ることになった経緯を教えてください。

 

安田 両親が共に映画関係の仕事をしていて、母が武監督とよく仕事をしていたんです。あるとき近くのミニシアターで武監督の作品が上映され、舞台挨拶に来たことがあったんです。そのときご挨拶させてもらったのが、映画監督という職業の方に初めて会う経験だったんですけど、実は初対面ではなく、僕が赤ちゃんのときに会ったことがあるという話でした。

武監督に「映画監督になるにはどうしたらいいですか?」と質問したんですが、「とりあえず映画を死ぬほど観て、あとは創るだけだよ」といった助言をされました。映画監督ってそういう職業なんだと感動して、自転車の帰り道、ドキドキが止まらなかったですね。その後、武蔵野美術大学の試験で作品を提出することになったんですが、母がその話を武監督にしたらしくて、武監督が自ら「じゃあ僕を撮ればいいじゃない」と言ってくださったんです。

 

「FirstDocumentary」初めてのドキュメンタリーとして、制作。武監督を2週間密着し撮影した。

 

 

自問自答する今になって、武正晴監督の言葉が響いてきた

 

――映画監督を目指す人にとって、プロの現場を体験できることは、すごく貴重な機会だと思います。どんな印象でしたか?

 

安田 監督もスタッフの方も全員ものすごく情熱を持っていることが印象的でした。2週間というタイトな撮影期間だったんですが、カット割りや芝居が入念に準備されていて、現場で完璧に実行していくんです。やっぱり生半可な気持ちではないんだと実感しましたね。そういう状況の中で、僕はちょっとビビってしまっていたわけです(苦笑)。

「First Documentary」武監督の撮影現場にて撮影。

 

――武監督からすると、情熱を持った若者にアドバイスをしたいという気持ちもあったと思うんです。武監督が話したことで心に残っている言葉は?

 

安田 僕が話しかけるまで君とはしゃべらないみたいな雰囲気だったので、なかなか話しかけづらかったんですけど、いざ話しかけてみると、好きな映画の話や助監督時代の話など、すごくいろんな話をしてくださりましたね。途中から「君たちの世代はこれからどう映画を撮っていくか?」という話になったんです。海外に行っていろんなものを見て経験して、そこから映画を創っていくのが、今の時代のあり方だと話されていて、自分たちの世代にはできなかったことを僕らの世代に教えてくれているように感じましたね。

 

――助監督時代の武監督は、「俺はいったい何がしたいのか?」と自問自答していたという話ですが、安田さんはどう感じましたか?

 

安田 当時は言っている意味がわかっているようで、わかってなかったと思います。高校3年生の頃は、まだ体感的なものではなかったんです。それが武蔵野美術大学の映像科に入ってから、自分は何が撮りたいんだ?と毎日すごく考えるようになって、今になって武監督の言葉が深く響いてきました。どれだけ自分が作品創りに対して考えが甘かったか、最近になって気づかされた感じです。

 

――コロナ禍もあって思うように作品制作ができない状況だと思いますが、大学ではどんな作品を創ろうとしていますか?

 

安田 映像科にはすごく才能のある人がたくさんいるんですが、僕と同じように「自分は何を撮りたいんだ?」とみんな悩んでますね。話している中で、撮りたいテーマやストーリーを思いつくんですけど、実行に移せていない時点で、結局それは本当に撮りたいものじゃないんだな、と思ったりして……。僕も含め周りの友達も「今年1年を無駄にしかけている」という危機感を持っていて、そうした友達7、8人で集まって映像作品を制作しようとしています。それぞれが監督として自分の作品を撮って、お互いに照明や音響などで協力していくようにしていて、今はみんなで意見を出し合いながら脚本を練っている段階です。自主制作による初めての映画的な作品がようやく走りはじめた感じですね。

 

――将来はどんな作家になっていきたいですか? また、そのために努力していることは?

 

安田 漠然と思うのは、純粋に映画を創りたいということです。この1年で映画監督の方と話す機会が何度かあったんですけど、みなさん映画監督になろうと思ったことが一度もなくて、気づいたら映画監督になっていたと言うんです。まず自分が創りたいものがあって、それを追い続けているうちに映画になっていたとか、周りの人の応援があって映画監督になったという経緯が多くて、最初から映画監督を目指すのは違うんじゃないかって思いはじめました。お前は映画監督という職業に憧れていただけなんじゃないか?という迷いが出てきて、その前に“撮りたいもの”があるべきだと考えるようになりましたね。

そのために努力していることというと、武監督が言うように、映画を死ぬほど観ることは昔から今もやり続けているんですけど、逆に言うと、それしかやってこなかったというのがあって、今は自分以外の周りのものに目を向けるようにしています。男の自分とは異なる女性や、日本とは環境が違う異国の人々、社会的に弱い立ち場にある人など、自分の外にある世界に目を向けて“撮りたい”と思えるものを見つけていきたいと思っています。

 

――本日はありがとうございました!

 

新型コロナウィルス感染防止のため、オンラインにて取材。

 

 

Text by 大寺明

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