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活動支援生インタビュー Vol.4 古舘 壮真 デザイン&アートフェスティバル『DESIGNART』

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
>活動支援生インタビュー、はじめます!


Sohma Furutate|古舘 壮

人々のまなざしの変容や多元的な視点を打ち出すような、思索的なものづくりをする古舘。 今年10月には、渋谷にて彼の所属する MULTISTANDARDでのグループ展『1-15-22 Apartment』がデザイン&アートフェスティバルDESIGNARTの展示として開催。このインタビューでは、本展示の背景から作品制作のプロセスに焦点を当て、古舘の目指すものづくりへのヴィジョンや思想を明らかにしていく。

インタビュアー・ライター:川地真史


MULTISTANDARD WORK “chopping” “oozing”

DESIGNARTの展示、おつかれさまでした。改めて本展示を振り返ってみていかがでしたか。

古舘:今回の展示ではMULTISTANDARDで企画・キュレーションを行ったのですが、僕らのクリエイションがどのように受け取られるのか反応をみたいという望みもあり、普段あまり関わりを持たない異分野の作家さん達をお呼びしました。去年のDESIGNARTもグループで展示を開いたんですが、今年の参加登録をした際に「廃ビル1棟、まるごと使いませんか」とオファーされて。面白そう…と思いつつ、4フロアの空間をぼくらの作品だけでどう見せるかと悩み4階建の廃墟ビルをアパートメントと見立てて、僕ら以外のクリエイターもこの共同住宅に“入居”させるというコンセプトのもと、「1-15-22 Apartment」と名付けた企画展に至りました。1-15-22は廃墟ビルの住所です。

それもあってか、展示を見に来てくださる方も僕らと異分野の方が多くいて。現代では社会の多様性が求められ、それはぼくも仲間も強く感じています。その時代背景の中で制作するとなると、見る側の「視点の多様性」も重要です。僕らとしても作品を見る人の視点を変えたかったので、いろんな角度から反応をもらえた展示になりました。その点は、参加してくれた招待作家の皆さんにも共通する部分があったと思います。

見る側の視点の多様性が増えることで「視点の変わり方」のバリエーションも増えそうですね。MULTISTANDARDでの活動はいつ頃からされていたのでしょう。

古舘:去年の展示のタイミングに結成しました。今はMULTISTANDARDでの作品づくりや展示の機会も増えていますが、元々は展示のために寄り合い的にはじまったものです。大学時代の同級生や先輩といった、ほぼ同世代のメンバーで構成されています。最初はみんな個々で出展する予定でしたが、ものづくりへのヴィジョンが共鳴し、一緒にやろう、となりました。

ものづくりのヴィジョンについて、もう少し詳しく教えてください。

古舘:これはグループのテーマでもあるんですが、僕らは社会全体が求めている”最適解”を提案するわけではなく、”新しい視点”をツールとしてデザインやかたちに埋め込むことを目指しています。現代社会は、これまでよりもオープンに多様な価値観や美意識、慣習が生み出され、あらゆる固定概念や枠組みが上書きされる時代です。ものづくりでも同様に、産業が均質なものを大量生産する時代が終わりかけている。

これからの社会に重要なのは一定のスタンダードの共有よりも、多視点的な基準や、認識の枠を押し広げること、これがMULTISTANDARDの語源でもあります。そのために、AIや演算処理などテクノロジーの恩恵を受けつつも、そこに閉じないアナログとデジタルの交差点に立ったものづくりをしていきたいと思っています。

MULTISTANDARD WORK “chopping”

ひとつの価値観に収斂されるのではなく、多様な良さのあり方なんですね。ここから、作品について伺いたいと思います。まず、choppingという作品の背景を教えて下さい。

古舘:choppingは、国産材の価値が下がる中でその価値を見つめ直したい、という要望をいただいて参加したプロジェクトがきっかけでした。これまでデザイナーの木への関わり方というと、規格化・コントロールされた木材として扱う類のもの。木を「材料」として見ることはあっても、「木」として見ることはありませんでした。

でも今回は、デザイナー自身が森に踏み入れて、木が土中に植わっている状態から関わりました。移動中、小屋の前に積まれている薪が気になりました。現地の人にとっては生活のツールとして割られた材料に過ぎませんが、僕らには薪が「材料」ではなくて「木」そのものに見えたのかもしれません。素材が生きている場所に踏み入れることで普段は得られない感覚があり、とても面白い体験でした。

そこで、帰ったあとにいろんな材で薪割りをしはじめました。都市部では丸太がないので、まずホームセンターで角材を買って。その角材を薪割りの要領で割り、背合わせることでchoppingの形になります。きれいに垂直に製材できる現代技術と薪割りという先人の知恵を掛け合わせてプロダクトになったらいいな、と。

林業の現場では、木を伐採するための道をつくる必要があり、ジャマな根株を排除するのですが、その伐採後の根株はほぼ価値がないものと見なされます。製材したくても石を巻き込んでいるのでコストがかかり、廃棄するにも輸送費はかさみ…結果として林業の文脈では「悪もの」扱いです。でも、木を割ったときのうねりを出したければ、根っこ部分のほうが適しており、その観点から木々をすくいあげていったらどうだろう、と今後の展開も考えています。

“chopping”制作風景

埋まっている根株もきれいな丸太も「同じ1本の木」なのに、市場原理によりいのちに格付けがされてしまうんですね…。また、コントロールを手放す面白さもあります。「木」に委ねて、「木」とともに制作している感覚というか。

古舘:choppingは、割れ方が外形のフォルムを決定づける作品です。材となる針葉樹は、木が若くて細いときに風に揺られて曲がった後に、時間とともに成長し、年輪が巻かれ太く真っ直ぐになっていくという生育過程を持っています。なので、丸太の内と外をひっくり返すと、曲がったときの若い姿がそのまま浮かび上がってきます。

つまり、外側に見えるかたちは全て、元々は木の内側のかたち=木が若いときの曲がった姿で。ひっくり返すことで若い木が姿を現わすことから、ぼくはこれを「タイムカプセル」と呼び、当時の姿を想像できるロマンを感じます。素材に委ねることで、新しい発見や、人の手で作り得ないかたちが出来上がる面白みがありました。

ありがとうございます。次に、oozingの制作背景に関して伺いたいと思います。

古舘:ものづくりする人にとって接着剤は、少年時代の工作から家具作りや建築まで、あらゆる場面で大事な存在です。これだけ利用されるのに、プロダクトの完成形において接着痕は不良品とみなされ、接着剤そのものは存在していないようにふるまってほしい、と期待されます。また、素材表記にも記載されることなく、素材なのに素材と認識されていない。

その裏方感がかわいそうだなという話をメンバーとしていました。僕らからすれば全て素材だし、全て扱えるようになりたい想いもあります。それに加えて、視点を変えるために光を当てたかったので、接着剤を主役にするべくoozingをつくりました。

MULTISTANDARD WORK “oozing”

―choppingの”価値のない根株”、oozingの”素材以下とされる接着剤”など、「モノのインクルージョン(包摂)」へのまなざしが独特です。非常に社会的な視点の投げかけですが、こうした視点の多様性を掲げるにあたり、今回の2作品や過去作品の共通点として、”素材”へのアプローチが強いように感じました。

古舘:スペキュラティヴ(思索的)な視点を軸に制作していますが、その提案をものに置き換えるとき、素材はすごく入りやすい入り口です。素材によって使われてきた歴史や文化、期待されている用途も全て異なり、そのコンテクストを読み替えて新たなシナリオを作る行為に意味を見出しています。いろんな実験を重ねる中で、素材がなりたい形を想像していくようなプロセスです。

例えばoozingの場合だと「接着剤を格上げする」テーマの元、いろんな接着剤の見せ方を模索しました。板の部分にU字やギザギザな溝を彫り、その板で接着剤をはさむことで、接着剤が主役として現れていくアプローチです。本来はものをくっつける機能である接着剤が、はみ出すことで元々の躯体が型にすぎない存在へと変化するように、モノ同士の関係性が置き換えられる点にも面白さを感じています。

オルタナティヴな視点をつくる上で、その他に大切していることはありますか。

古舘:実験の中では肯定・否定を行き来しながら、想像力を働かせたものづくりを行いたいと思います。ぼくはものづくりをはじめると、入り込むタイプというか、1点に集中して考えがちで。一歩さがった視点・もう少し踏み込んだ視点など、相対化できる視点を取り入れていきたい。その視点の行き来は、制作中の自分に対する肯定とともに、否定が必要です。

“oozing”制作風景

ありがとうございます。次に、活動の仕方に関しての今後の展望などがあれば教えて下さい。

古舘:今はインハウス・個人の制作・MULTISTANDARDの3本軸で活動しています。これからもその複数の活動体は続けたいですね。一方、これまでは、インハウスは製品をより多くの人に向けて作っていくこと、作家活動は今の社会が求めている解に応えるよりもその先を提示する、といったように両者を切り離して考えていました。でも、最近はあまり境界を引けるものではない、と思い始めています。というのも、ある対象をどんな角度から照らすのか、人の認識の仕方で見えてくるものの実像は変わり得るからです。価値観が日に日にアップデートされる現代で、視点の多様性を訴えたいのに、自分自身でインハウスと作家活動と単純に切り分けていたことに気づきました。

「インハウス=市場に求められるものへの適合」という自分の中での意味付けが固定化することで、インハウスでもオルタナティヴな価値観を打ち出せる可能性が潰えてしまう、ということでしょうか。そうした感覚になってきたきっかけはありますか。

古舘:まさに、そういったニュアンスです。ここ最近、展示が忙しくなり集中している中で、インハウスの仕事でも一層クオリティを上げたい…と葛藤が強くなりました。では、インハウスも自分個人の作家活動だと捉えてみたら、どういうスペキュラティヴな可能性があり得るだろうか、と考えて。

すると「市場の大多数の人々に向けて会社の中で制作している、と囚われているからではないか。しかし、どちらもものづくりには変わりない」と感じ始め、境界を曖昧にしていきたいと思いました。

経済とピュアな活動の両立への向き合い方として考えさせられますね。最後の質問となりますが、活動支援事業として予定されている個展のプランについて教えて下さい。

古舘:卒業制作で制作し、クマ財団でも展示をしたMASSという作品をベースに、さらなる模索をしたいと考えています。人のものごとの認識には、例えば影の落ち方や素材の感触、動き、それが置かれている場所、など、過去の経験則が影響します。子どものときに幽霊が見える人も、大人になって経験が増えるうちに、見えなくなってしまう現象も経験が影響しているのでは、と思います。

経験則と認識の関係が破綻しはじめることで幽霊的に感じはじめるのではないか。違和感ある景色を目の当たりにしたときに、認識のあり方はどうなるのか。要素から読み解くことで、揺さぶりをかけて認識のアップデートが出来ないかと実験してみました。そのテーマで引き続き、研究と制作を行い、半年後のクマ財団の展示で発表できたらと思います。

古舘壮真”MASS”

個展も非常に楽しみになりました、それでは本日はどうもありがとうございました。

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