インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.17 倉敷 安耶 インタビュー 「駒込倉庫、共同キュレーション展「(((((,」を終えて」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Kurashiki Aya | 倉敷 安耶

倉敷安耶は、「転写」という技法を用いて制作を行なう作家である。彼女が制作に用いるモチーフは、西洋絵画やポルノグラフィをWebからダウンロードした画像、自身で撮影した写真などである。作品の制作は、そのようなモチーフのデジタルコラージュを行ない、キャンバスなどの支持体にイメージを転写して定着することで進められる。

倉敷の作品の特徴ともいえる転写とは、本来、絵画などの平面作品を制作する際に、その下絵として用いられる技法であり、一般には転写されたイメージの上に絵の具などのメディウムを用いてペインティングが施されることが多い。しかし、転写をそのまま表層に残すことで発表される倉敷の作品には、コラージュによって作られたイメージの所々に転写の際に生じたクラックから、下地となっているキャンバスが表情を覗かせる。その表面の薄い膜が剥がれ落ちることで、内部が露出したかのように見える画面は、物質とイメージの中間といえる状況である。それはまるでデジタル空間のテクスチャが現前化したかのようだ。

このようなアプローチから作り出される平面作品には、モチーフとなっている西洋絵画、ポルノグラフィなど重層化された意味とは、相反に独自の軽やかさがある。このような軽やかさは、現在のインターネットなどデジタルインフラが整備されることで、可能となっている作品の制作環境が大きく影響しているのだろう。そのような環境下において、デジタルイメージの主体化と客体化を交互に織りなすことで展開される倉敷の制作は、今日における私たちとデジタルインフラとの関係そのものなのかもしれない。

本インタビューは、2022年2月26日(土)〜3月20日(日)まで駒込倉庫において開催された、アーティスト久保田智広、キュレーター原田美緒との共同キュレーション展「(((((,」を中心にこれまでの取り組みと、同展についてお話を伺った。

話し手☞倉敷 安耶
聞き手☞岡田 翔

「転写」という技法、制作について

――倉敷さんの作品は、昨年に西武渋谷で開催された「SHIBUYA STYLE vol.15」にて、《Salome》を拝見させていただきました。はじめに、制作について伺いたいと思うのですが、倉敷さんが使用されている「転写」という技法について教えて下さい。また、「転写」を選択されている、積極的に用いる理由なども合わせてお伺いしたいです。

《Salome》作品写真

倉敷:「転写」を使い始めたきっかけとしては、ペインティングで絵画の制作を行っていた頃に、大学の先輩が下絵として転写を用いていたのを見たことです。私もその頃に写真を編集して、それをペインティングの絵画に落とし込むという方法で制作を行っていたので、便利そうだなと思い使い始めました。転写を行なう際には、クラック、スクラッチが入りやすいのですが、それを見ているうちに転写の上に絵具をのせて覆ってしまうよりも、転写をメインに見せたほうがよいかなと思うようになってやり始めました。最初は、転写とペインティングの統合みたいな感じで制作していたのですが、ペインティングを進めていくうちにペインティングという行為自体、自分が油画科出身だから無意識にしなくてはいけないと思っていることに気が付きました。なので、それからは自分が求めている表現を率直に行える方法を検討していくうちに絵具を使わなくなりましたね。今後、作品の表現で必要性が出たらまた転写に絵の具をのせたり、ペインティングもしていこうかなと思っています。

――「転写」の制作手順はどのようなプロセスを踏んで、行なっているのですか。

倉敷:「転写」は、メディウム転写とシンナー転写という技法を素材によって使い分けています。どちらの技法も最初にデジタルをベースに写真や画像をパソコンで編集して印刷するところまでは共通です。メディウム転写の場合は、支持体か紙のインク面にアクリルメディウム樹脂を塗り、そのインクが載っている面を支持体に貼り付けます。そうすると支持体−メディウム−インク−紙という順番で層が出来ます。それを完全に乾燥させてから、一番上にある紙を濡らして少しずつ刮いでいくというやり方です。シンナー転写の場合は、インク面を同じく支持体に貼り付けて、その上からシンナー溶剤を掛けます。そして溶剤が揮発しないようにビニールシートなどで覆います。溶剤でトナーインクを溶かすことで、支持体に転写しています。支持体との相性もあるので結構表情が変化しますね。トナーインクでの転写は少しぼけた感じというか、少し掠れた感じになったりするので、その時々によって表情を使い分けています。

――デジタルコラージュをそのまま作品として発表するのではなく、メディアに転写することで発表をされるのは、デジタルとの像の違い、または物理的なメディアに転写する行為自体を重要視されているのかなという印象を持ちました。

倉敷:転写に使用しているイメージそのものを作品に出来るのではないかと思い、それを写真作品として発表したことはあります。ですが、それはそれで気に入ってはいるものの、転写をしていない状態では、写真作品であってもあくまでイメージであって、肉体を持たないという感じです。それが転写する際に入る傷や擦った跡のような痕跡が入ることで物質性、ボディーを持つように思えます。その物質性が自分の中の信仰というか、制作の信仰に必要だと思っています。

――なるほど。以前に《Salome》を拝見したときの感想なのですが、モチーフとして扱っているものは、西洋絵画が中心ですが、ポルノグラフィのイメージが部分的に重なってくる。そういったモチーフのある種の重さに対して、転写によって作られる作品には、軽やかさがあるように思いました。Webを用いてリサーチや、モチーフを集めることが多いと仰っていましたが、倉敷さんご自身とSNSをはじめとしたWebとの関係が、制作にも反映されているのでしょうか。

倉敷:最近、デジタルタトゥーという言葉をよく耳にします。これは、一度Web上に個人の裸体や書き込みなどが拡散した場合に、元に戻すことが出来ない状態のことを、完全に消すことが難しいタトゥーに見立てて作られた造語です。そういったWeb上に拡散されているイメージを使用して作品を展開しているので、絶対に関連性はあると思っています。ですが、支持体との関係性においては、私は物質性に対して信仰がありますね。作品に関して言えば、作品の重量や厚み、あるいは物質としての強硬さを強調することを好んで制作しています。作品に対して、軽やかと言われたことがこれまでになかったので驚きましたが、確かにそうかもしれないですね。例えば西武で展示していた《Salome》は、クラックの隙間から見える支持体の厚みとかは多分見えているのですが、キャンバスにのっているイメージ自体は転写なので、とても薄い膜のように見えたのだと思います。軽やかというか、ずっと純粋にイメージなのだと思います。

――そのように感じました。ペインティングによって、同じイメージの平面作品を作り出したとしても、ずっしりと重たいような印象を受けると思います。それが転写という技法によって、マチエールを伴わないダイレクトなイメージとして視覚に入ってきました。

倉敷:最終的な作品の調整は、転写後にキャンバス上で行っていますが、作品に用いる画像の編集は、パソコン上で行っています。そういったプロセスを経ているので、パソコン上で作り出した画像を転写によってリアルな世界に持ってくることは、絵の具のみで画面を構成していくことと結構違うものとして捉えています。

駒込倉庫での展示「(((((,」

「(((((,」展覧会の様子

――次に、駒込倉庫での展示について伺っていきたいと思います。初めに駒込倉庫での展示の感想を聞かせて下さい

倉敷:はじめに、駒込倉庫での展示に行き着いた流れを説明させて下さい。この企画はキュレーターの原田美緒さんが、私やアーティストの久保田智広さんをグループ展にオファーしたことが始まりになっています。その展示は結局、実現することは出来なかったのですが、その時のことを端緒に久保田さんが別の企画としてコンセプトを練り直して、キュレーター側として原田さんと共に企画を行ったものです。当初はジェンダー論やアイデンティティをキーワードに、雑誌というフォーマットを展示に落とし込むというコンセプトを持っていたのですが、打ち合わせを進め、作家を決めていく中で、企画の内容も変化していきました。今回の展示のタイトルは「(((((,」として便宜的に「かっことじない」と読むことにしています。これは別の企画の打ち合わせの際に久保田さんがミスタイプをしたものが元になっています。なので今回の展示は、当初の企画から変化を遂げて完成されたものですね。私の作品も当初は、ボードゲームなどの作品を考えていたのですが、駒込倉庫の展示を行うにあたっては、大きく変更しています。ですが、テーブルを用いて展示を行なうという点は引き継いでいます。これは現在がコロナ禍ということもあり、ここ数年の間、食事をする際にも人数制限などがありましたので、同じテーブルを囲むというシチュエーションそのものに関心がありました。今回の出展作品は、テーブルを用いた作品が中心となっていますが、他にも、鏡を使った作品、料理のイベントなど様々です。このように作品の形は様々ですが、今回の作品を制作するにあたり「距離」というものがテーマとしてありました。

――制作テーマである「距離」というのは、物理的、心理的な尺度を変えていくことで、鏡の作品にあるような自己や他者のイメージを重ねるということを試みているのですか。

倉敷:そうですね。《私達は家族》は、テーブルと椅子で構成したインスタレーション作品で、中央の椅子に座ってもらうことで鑑賞してもらいます。椅子に座ってもらうと真向かいに三面鏡があるので、鑑賞者の顔が3面の鏡に写るんですよね。そして、食卓を囲むように両サイドに椅子があるので3人の自分が座っているように見えます。また、テーブルも鏡の中に写るので奥行きが生じて、ダイニングテーブルの大きさに見えたり、テーブルのお皿にも鏡が入っているので、料理がある位置にも鑑賞者の顔が写ります。背面も合わせ鏡になっているので、自分の背後に自分が立っているようなシチュエーションになります。このように本来、他者がいるはずの周囲や背後に自身の姿があることで、自己と他者の境目が交差するような空間を作りたいと考えて制作しました。こういったアプローチには、私の幼少期における両親との食事に纏わる記憶が影響していますね。また、私の写真を素材とした《距離(millefeuille〜KISS)》という作品を制作しました。これは円い鏡が対になっていまして、見る角度によって違うのですが、印刷された私の像の後ろに丸鏡が光輪のように輝いて見えます。この鏡の作品の表面にのっている印刷した私自身の像は、なんというか結構、生っぽい感じというか、皮膚のような質感です。ところどころベースとなっている鏡には、インクがのっていないところがあるため、鏡を見ている方の顔が写ります。なので、鑑賞者の方が鏡にキス出来るくらいまで鏡に近寄ってもらうと、印刷された私の皮膚と、鑑賞者の方の皮膚が重なることで、皮膚の感じが混ざり合って見えます。

《私達は家族》作品写真

――鏡というメディアを用いながら、そこに写る像に対して、または鑑賞者と作品の物理的な位置関係というところで、様々な「距離」が意味を結んでいるのですね。

倉敷:その他にも、2階の展示会場へ向けて階段を上がり切ったところにある壁に作品を設置しましたこの作品も鏡を使ったものなのですが、身長がうまく当てはまると、鑑賞者の方の顔が印刷された私の身体と重なるように見ることができます。また、「晩餐会」という料理を振る舞うイベントも行ないました。このイベントは、一晩限りの家族という想定のもと、抽選で3名の方に参加していただき、作者である私が「他者の身体」をキーワードに選んだ食材を調理して、食事を振る舞いました。《私達は家族》に使用していたテーブルやカラトリーを用いた食事では、テーブルトークも「家族」についての話題が中心となるようにファシリテーションを行ないました。今回の展示では、私自身と他者のイメージとが重なり合うことで関係性が生まれてくるアプローチや、食事という時間や行為を通じて「距離」を変えていく試みが出来たと思います。

実施された晩餐会の様子

キュレーションとの関わり方と今後の展望

――今回の展示においては、キュレーションというものがどのように影響していると思いますか。

倉敷:そうですね。いつもと違っているなと思ったことは、いつも1人で自分のことを掘り下げながら作品を制作していくのですが、今回は積極的に他者の反応を作品に取り入れていこうと思えたことです。展示を作っていく中で、作品に使用するイメージについて悩んでいたことがあったのですが、その際に久保田さんから私自身の画像を素材に使ってみたらどうか、と提案をしていただきました。そのような感じで今回の展示では、作品の相談に乗ってもらうことが多くありましたし、そこでの反応を作品に取り入れています。ですので、今回制作した作品の中には、私一人では作ることが出来なかったものも多くありますね。

――ライブ感というか、設営現場でのキュレーターとのコミュニケーションで作品が組み上がっていったという流れなのですね。

倉敷:はい。合わせ鏡やテーブルを使うといった漠然とした作品の構想はあったので、キュレーターに相談をしながら作品を組み上げていきました。そうですね、駒込倉庫の展示では、インストーラーの方も多くいたので、そういった方々からもたくさんの影響を受けて制作していました。

距離(millefeuille〜KISS)作品画像

――今回の展示では、自身のポートレートを鏡に転写することなど、これまでのスタイルとは違うアプローチを試みられていたと思います。今回の試みは、これまでのWebからモチーフを探して制作していた作品と比べると、何か違いはありますか。

倉敷:それはあると思います。やはり私自身のイメージを用いているので、作品との距離感は違うと思います。これまでは、私が作品の説明をする位置にいるというか、黒子のような気持ちで作品に接していたんですけれども。今回は自分の写真を使うことで、作品が自分に近いところにあるため、これまでと作品を通した他者との関係性の持ち方が違いました。なんというか、ダイレクトに繋がったような感覚がありましたね。

――そこにはキュレーターが介在することやグループ展という形式の中だからこそ出てきた作品の展開や新たな気付きがあったのですね。

倉敷:はい。これまでにも浴槽に水を張ったインスタレーションは制作したことがありましたが、それは水を張ったものがその空間にあることに対して、意味を持たせるものでした。それに対して、今回のように仕掛けがある空間は、キュレーターを含めていろいろな人の話し合いの中で形作られたものなのだと思います。

――今回の展示に関するお話を踏まえて、今後の作品の着想はありますか。また、展望などもお伺いしたいです。

倉敷:今回制作したインスタレーション作品などは、積極的に制作していこうと思っています。なんというか、今回の展示は自分でもこういう作品が作れるのだと思えた瞬間でした。ですので、これからも何か作品を展示空間に飾るということより、鑑賞をする方がいることで初めてその場が成り立つような、作品を通して自分と他者が交差する空間を展開していきたいですね。今回も料理のイベントを行ったのですが、料理が好きなので食に関する制作をもう少し深度を掘り下げて進めていければと考えています。また、私の作品はキーワードとして、フェミニズム、ジェンダー、家族、自己と他者、身体、死などが挙げられると思うのですが、言葉だけ見るとあまりまとまりが無いようにも思えてしまいます。私にとっては、そういった要素は制作の根幹において繋がっているものではありますので、それぞれの関係を繋げていく制作をしていきたいと思います。

――なるほど。今後の新たな取り組みを楽しみにしています。

倉敷:ありがとうございます。

――今回は長時間に渡り、ありがとうございました。

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