インタビュー

活動支援生インタビュー Vol. 25 岡 ともみ個展「サカサゴト」インタビュー

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Tomomi Oka| 岡 ともみ

第16回shiseido art egg 岡ともみ「サカサゴト」展示風景 2023 (撮影:加藤健)

個人の記憶や日本古来の風習をモチーフに、時間軸のあるインスタレーションを制作してきた美術家の岡ともみ。新進アーティストを応援する公募プログラム第16回shiseido art egg(シセイドウアートエッグ)に入選し、今年1月から2月26日(日)まで資生堂ギャラリーで個展「サカサゴト」を開催。祖父の葬儀をきっかけに死や葬送といったテーマにより直面するようになった岡はいま、どのようなことを考えて制作にのぞんでいるのか。開催中の個展会場に伺い、《サカサゴト》という作品が生まれた背景を中心に、東京藝術大学博士課程に在籍しながら制作を続ける岡の現在の関心についてお話を伺った。

聞き手・書き手:中島水緒

個展「サカサゴト」の制作背景

——今回の個展「サカサゴト」で展開されている作品は、去年の東京藝術大学の卒業修了作品展で最初に発表されたものだそうですね。最初の発表から一年を経て、あらためて資生堂ギャラリーでの新展開となったわけですが、柱時計を中心とする構成は基本的に変わっていないのでしょうか?

岡:そうですね。でも結構違いもあります。たとえば、時計が掛かっている柱。修了作品展のときは天井が低い部屋だったので、柱は天井と床に突っ張っている状態でした。資生堂ギャラリーは天井が高い空間なので、柱を突っ張らせず、あたかも空中に浮遊しているかのように見せています。あと、いちばん奥の小部屋は今回新しく作ったものです。

——資生堂ギャラリーは大展示室とひとまわり小さい小展示室があって空間が広いので、そのぶん展示の苦労もあったのかなと思ったのですが。

岡:苦労というよりは、「ああ、良い空間だなあ」と思いながら設営していました。どちらかというと、今回の空間のほうが修了作品展のときよりも私のなかではしっくりきています。柱を浮かせたのも、柱をどこか別の空間から移動させてきたような、少し抽象化したようなかたちを作りたかったからです。

——確かに柱が浮いていると、その場固有の構造物というより、どこか別の場所から柱だけがやってきた感じがしますね。あと、時計が非常に年代物で、どれも個性的ですね。どうやって収集されたのでしょうか?

岡:アンティーク時計だと綺麗にクリーニングされてしまっているので、針が動かないとかガラス面が割れているとか、もう使うことのできないジャンクの時計を選んで集めてきています。

——通常の時計と違って、《サカサゴト》の時計はどれも文字盤が反転していて、針が逆回りに動いています。そこから生じる違和感がすごい。さらに時計の下部をガラス越しに見ると、小さな建具が設えてあって、その奥に映像が投影されていますね。

岡:建具を入れるのは、「のぞきからくり」という江戸時代の興行もヒントになっています。「のぞきからくり」はいわば半立体の紙芝居です。押絵ってありますよね。羽子板などに付いている布張りの人形。それが登場人物になっていて、パースのかかった背景画をバックに紙芝居を見せていくのですが、紙芝居がさらに大きな箱のなかに入っていて、箱の側面には複数のレンズがあり、そこから子どもたちが覗き込めるようになっています。《サカサゴト》に使っている時計の内部も「のぞきからくり」を参考に制作しています。

——なるほど。CGなども使用されているかと思ったのですが、結構アナログな手法で作られているのですね。

岡:そうですね。映像は全部実写で撮影しています。あとは、実写で撮ったものを合成したり。

《サカサゴト》2023(撮影: 岡ともみ)

——実写と言えば、亡霊のようにゆらゆらと人が通り過ぎていく映像がありましたが、これは誰かに頼んで演じてもらっているのですか?

岡:映像のなかに登場する人物は私自身です。自分で死装束風の衣装を着てウロウロしているところを撮影しています。これも昔の風習なのですが、生者が死者の格好をすることで、亡くなった人を生者として扱う儀式があったそうです。

——死の世界と生の世界が混じり合っているイメージでしょうか。まさにサカサゴトですね。そういえば、柱時計の数に意味合いはあるのでしょうか?

岡:大展示室に11個、小展示室に1個の時計があり、全部で12個です。時計の文字盤には12の時間があるので、ひとつひとつの時計に時間を割り当てるイメージです。12というのは重要な数字かなと思っています。修了作品展のときは空間に黒いアクリル板を貼り付けて反射を出していたので、反射に映り込む時計も含めると24個になります。

——24時というわけですね。修了作品展で最初にこの作品を発表してから資生堂ギャラリーで展示するまで1年間あったわけですよね。その期間に、岡さんのなかで《サカサゴト》が深まっていくようなことはあったのでしょうか?

岡:時計のなかのお話自体は変えていないのですが、新しく増やした小部屋で何を展開すべきかについてはかなり考えました。《サカサゴト》の制作のきっかけは祖父の葬儀だったので、そこをピックアップしたいと思いました。

——最初のきっかけは個人的なエピソードですよね。お祖父さんが亡くなったときに棺に紫陽花の花を手向けたら、遺骨に紫陽花の色が移って青く染まったという……。

岡:本当にびっくりしました。紫陽花って、アルカリ性と酸性で色が変わるみたいなんです。他の花とは違う何かがあるんですよね。

——では、小展示室のほうも見てみましょうか。文字盤の文字も消えているほど古い時計がありますね。映像を見ると、紫陽花の花が映像に映されていて、雨が降り続けています。紫陽花を手向けたというのは、おじいさんの好きな花だったとか?

岡:ちょうど祖父が亡くなったのが梅雨の紫陽花の時期だったんです。花屋さんで見たときに、紫陽花の綺麗さがとても目に入って……。作品を作ったことで、紫陽花が自分のなかでどんどん特別な花になっていきました。

——音響も印象的。雨の音を意識させる作品ですね。

岡:資生堂ギャラリーに入るとまず階段を下って小さな踊り場に辿り着くのですが、そこに設置した電話の作品にも同じ雨音を入れています。それを聞いた鑑賞者の方が「何だろうな?」と思って階段を降りてきて、最後にこの小部屋でまた雨の音を聞くことで体験がつながってほしいなと考えています。

——展示全体として、テーマが明確であるように感じます。

岡:展示の構成として、大展示室も小展示室も踊り場の電話も、全部を含めてひとつの体験、ひとつのタイムラインを作りたいと思っていました。あと、鑑賞者の方が自分で見つけていくような展示にしたかった。たとえば、離れた場所から時計を見て、映像の部分がちょっと光っているけど何かは分からない。なんだろう、と思って近づいていくと、だんだん何が起こっているか分かる、というふうに。時計の文字盤がバラバラな方向を向いているのも、鑑賞者の方が能動的に次の時計を探すような導線にしたかったからです。そういう意味では、私の作品はウォークスルー型の舞台に近いかもしれません。

活動の軌跡と今後の展望

——ここまで実際に展示を見ながら作品に即したお話を伺ってきたので、今度は《サカサゴト》が生まれた背景について深く聞いていきたいと思います。このテーマが作品として結実するまでに、岡さんのなかではきっと色んなことが起こってきただろうと思います。作品化するまでのプロセスではどういったことを考えていたのでしょうか?

岡:じつは、時計自体はだいぶ前から集めていました。4年くらい前かな。そのときは《サカサゴト》の作品に向かっていたというより、時計のなかに映像が入れられるのではないか、という単純な興味でした。《サカサゴト》の前に《岡山市柳町1-8-19》(2018)という私の祖母の家をモチーフとしたインスタレーションを学部の卒業制作展で発表していまして、古いものを使った作品に関心を持っていたのはこの頃からですね。古いものと、それが見てきた景色、持っている記憶を作品化したいという気持ちがあり、その流れで古時計も面白いなと思うようになって。《サカサゴト》では時計の内部に映像と建具がまとまっていますが、当時は時計の後ろに穴を開けて広めの空間と接続したり、色んな実験を繰り返していました。その後、ベルリンに留学し、一年弱ほど時計の作品は寝かせていました。帰国してきてすぐに祖父が亡くなり、そこから葬送というテーマが発生して、じゃあ、時計と葬送というテーマは組み合わさるかな、と。

たとえば、巻き時計なら人間がまず自分の手で螺子を巻き、それが巻き戻っていくことで時計が動くわけですよね。それってつまり、時計が終わりに向かって動いているということじゃないですか。普通に民家にあったであろう時計が、いわば人の死みたいなものと同期している。人が時計のある空間と一緒に存在しているあいだは動いているけれど、巻く人がいなくなったら止まってしまう。人がいなくなったとき、時計の巻きだけが最後にちょっとだけ残って少しだけ動き、完全に針が止まったあとは、空間自体も止まる。そのようなイメージを持っていました。だから、祖父の死が自分のテーマとして入ってくる以前に、すでに時計と死というテーマには近づいていたと思います。

《岡山市柳町1-8-19》2018 (撮影:野口羊)

——古いものが気になるというのは、幼少の頃からそういう傾向があったとか?

岡:一番最初に古いものを作品として使ったのは2018年の卒制のときですが、それが祖母の家を扱ったものだったというのは自分にとって大きいですね。子どもの頃、たまに訪れる祖母の家はとても独特な場所でした。奇妙な感じの人形や小物が並んでいたり、廊下にお面が飾られていたり。祖母はいわゆるハイカラな人で、当時としてはめずらしい輸入物の品々が家にたくさんありました。子ども心に奇妙さ、異様さは感じていましたし、祖母の家の影響はあると思います。

——岡さんは舞台美術を手掛けられた経験があるそうですが、その経験はどのように今回の個展に反映されているでしょうか? 建具を使った作品は演劇の舞台のようですね。

岡:《サカサゴト》については、時計のひとつひとつが小さい舞台で、映像内にも空間があるというイメージを持っています。蝋燭の炎が揺れている映像も、蝋燭の映像だけを映しているのではなく、後ろに小部屋をつくり、その小部屋ごと撮影しています。映像の手前には建具もありますから、二次元と三次元の世界を馴染ませるイメージですね。

舞台美術の映像を担当したときは、16:9の既存のスクリーンを用いて普通に映像を映すような見せ方はまったくしなかったですね。映像を投影する支持体自体をいかに変えていくか、映像をどのような支持体に当ててどのように見せるかということに関心がありました。たとえば、糸を張ったスクリーンに風を吹きつけたり、水道管のパイプで打楽器を作って紗膜で囲んで、それを一艘の船に見立てて映像を投影したり。

現代オペラ《PLATHOME》2021 (撮影:屋上)

——今後また舞台美術のお仕事が来たらチャレンジしたいですか?

岡:舞台美術は基本的に共同制作で、大人数のチームで動くことになりますよね。舞台の仕事のあと、卒業制作を一人で作ったら、一人で作ることにハマッてしまって。責任は全部自分にありますが、コンセプトを貫けるし、コントロールも出来る。そのほうが自分には合っていますね。もちろん、舞台美術では共同制作の楽しさがありますし、関心もあるので、岡ともみという一人の美術作家として舞台美術に呼ばれるのであれば参加してみたいです。次の作品も演劇要素のあるものを考えています。自動演奏ピアノと影を使った無人演劇的な作品です。自分のやってきたことがふたたび舞台のほうに帰ってくるような方向性にもなると思います。

——近年、インスタレーションを手掛ける若い作家さんが増えている印象があります。しかも完成度の高いものを作る人が多い。岡さんもその一人だと思うのですが、岡さんにとって、インスタレーションという表現形式はどのようなものでしょうか? 

岡:舞台の影響はやっぱり大きいですね。舞台のなかに入れる、作品に入れる、ということが自分としては重要。時計のひとつひとつが作品ということではなくて、全体の鑑賞体験が作品だと思っています。空間と時間の両方が入っていることが私の作品の出発点となっていますし、タイムラインを作るとなると、インスタレーション以外ではちょっと考えられない。それと、鑑賞者ひとりひとりのなかに、風景的なものが残ってほしい。これは必ずしも全体風景ということではなくて、自分で気に入った時計の一個でもよくて。

インスタレーションは、展示が終わったあとは全部消えていきますよね。実体はなくなるんだけど、私としては、作品の実体は鑑賞者のなかに残る風景だと思っています。

——インスタレーションって一過性で、手の込んだ完成度の高いものを作っても、会期が終わったら消えてしまう。そのことをインスタレーション作家の人がどのように捉えているか常々気になっていたので、岡さんが「最終的に鑑賞者のなかに残っているのが実体」と言い切れるのが強さのようにも感じられました。

岡:自分の作品の実体が時計の一個一個とは思っていないので。《サカサゴト》は時計があるので、自分の作品のなかではまだ実体があるほうだと思います。《岡山市柳町1-8-19》のほうが実体がなかったんじゃないかな。一部屋の空間で祖母の家を抽象化した感じで再現しているのですが、その見え方は、視界のなかで気になるものをピックアップしている人間の視覚というか、記憶のなかの風景に近いと思います。

——記憶は《サカサゴト》のキーワードでもありますね。では次の質問を。日頃、制作で大切にしていることがあれば教えて下さい。

岡:時間軸にはとてもこだわっています。今回の作品で言うと、体験する人が通る時間軸をどのように作るか。《岡山市柳町1-8-19》では完全にタイムラインが組んであるので、それをどのくらいの時間をかけてどう見せるか、とか。

一方で、私は長い時間軸で作品を見せるのには少し苦手意識があります。時計のなかに入っている映像は、尺としては短いほうです。自分自身、せっかちなところがあるので……。たまに映画館で映画を見ると、二時間くらい拘束されて長時間見ざるを得ない状況になりますよね。最初は「この感じで二時間いくのか?耐えられるだろうか」とか思ったりするけれど、最後まで見ると「これはこの作品にとって必要な時間だったんだ!」と分かる。長尺でしか見せられないものがあるわけですよね。なので、自分の作品もこのまま短くていいのか?という疑問が最近出てきました。このあたりは将来的な課題ですね。

——今回、資生堂ギャラリーで約一か月に及ぶ個展を開催されて、鑑賞者の方からも色んな反応があったと思うのですが、展示を経てあらためてご自身で《サカサゴト》について思うこと、気づいたことはありますか?

岡:鑑賞者の方で、自分の大切な人を亡くされた体験を思い出した、というお話をして下さる方が多くて、それがとても印象的でした。誰かを亡くしたときにこんな風景が印象に残ったとか、ちょっと不思議な体験をしたとか。自分の作品がその人の体験を引っ張り出したことが嬉しかったし、感動しました。今回は風習を参照して作っていますが、次の展開として、個人の小さいストーリーを入れた時計も作ってみたいですね。

この展示を始める最初のきっかけは祖父の死を体験したことでしたが、展示を通じて、自分の身のまわりの人も亡くなることがあるんだな、というのが実感として出てきました。祖父のときは紫陽花の色が骨に移ったことで納得というか、死に関われたという気持ちになれたのですが、それは偶然の出来事だったので、そういうものをあらかじめ用意できないかなと考えています。

——あらかじめ用意する?

岡:自分でもまだ、どうやるのかは分からないですけれど。たとえば私の父は高齢なので、亡くなったときにどうしてほしいか父に聞いておくとか、父が喋っているのを録音して古電話に入れておいて聞けるようにしようかな、とか。でも、鑑賞者の方が体験されたお話などを聞いていると、偶然そこにあった風景であったり、偶然起こった出来事を誰かの死と関連づけて、自分のなかでストーリーとして完結させるようなことが多い気がして。結局、そういうことって、作れることではないのかも、と思ったり。作ろうとすることで、その日偶然に起こることを見逃すこともあるかもしれない。あらかじめ準備することは、できるのか、それともできないのか?……みたいなことを、いま会期が半ばまで来たところで考えています。

——実現したらまた凄みのある展開になりそうですね。

岡:あと、今回の作品に向けて行っていた風習のリサーチが楽しかったので、それは続けていきたいですね。今回の展示の前に小さな個展「誰そ彼時の部屋」(ギャラリーASK?P、京橋)を開催したのですが、そちらは水を使ったインスタレーションの作品で、水が持っている境界性、水関係の風習などを調べていました。時代としては大正、昭和初期が面白いですね。なので、いまの私の関心としては、個人の記憶と日本の記憶という二軸が重要になってきています。

個展『誰そ彼時の部屋』2022(撮影:岡ともみ)

——パーソナルなことも突き詰めると普遍的なことに辿り着いたりしますよね。最後に、今後の活動予定を教えて下さい。

岡:東京藝術大学大学美術館で開催される「藝大コレクション展2023 買上展」(3月31日~5月7日)で《岡山市柳町1-8-19》が展示されます。あと、岐阜県美術館での「ART AWARD IN THE CUBE 2023」(4月22日~6月18日)では《サカサゴト》をIN THE CUBEバージョンで展示します。4.8m×4.8m×3.6mのキューブ空間で展示するので、資生堂ギャラリーのときとはまた違う構成になると思います。

《サカサゴト》で初めて私の作品を知った方は、《岡山市柳町1-8-19》もぜひ見て頂きたいです。やっぱり作品を継続的に見て頂けるのがいちばん嬉しいので。

——どちらの展覧会も気になりますね。次回作も楽しみにしています。

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