インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.28 植田 爽介「流動していきながら作品を制作すること」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Sosuke Ueta | 植田 爽介

「未踏領域の拡大 we land, turn, float…over?」EUKARYOTE 1階展示風景(Photo by Ujin Matsuo)

版画作品から立体作品まで、形態を変えながら一貫した観察者の視点を感じさせる植田爽介。「Chicago Maps」や「Mexico City」など記名的な土地が固有する要素を扱いつつ、「Virtual Device of Urban Structure」では架空の都市を見出し、「(whereabouts of the)ANIMA(TAKU SOMETANI GALLERY、2019年)」や「Assembling textures into new specimen(東京藝術大学卒業・修了作品展、2019年)」では同時に相似・相同として捉える視点を感じる。観察によるディティールとは裏腹に、対象に一定の距離を感じさせるその視点はどこから来るのか。2022年2月から3月に東京・神宮前にあるEUKARYOTEにて荒木美由と行った二人展「未踏領域の拡大 we land, turn, float…over?」を振り返りながら、制作に対する考え方、自身のルーツを伺った。

インタビュアー:松田洋和(グラフィックデザイナー)

荒木美由さんとの二人展について

「未踏領域の拡大 we land, turn, float…over?」メインビジュアル(Design by HOO VOE)

━━荒木さんとお二人で展示をすることになったきっかけを教えてください。

植田:EUKARYOTEへは展示を見に行ったり、前からお付き合いがあったんです。ある時、EUKARYOTEの鈴木さんから「展示をしませんか」とお誘いいただいて、「個展かグループ展、どちらがいいですか」という話になったんです。そのとき既に個展の予定があったので、できれば2人展がいいです、と。
荒木さんはEUKARYOTEでのグループ展(「para nature」2018年)に出品なさっていて、そこで石に穴を開ける作品を見たんです。この時に荒木さんと、作風というか、僕もこういうのを平面でやっていて、少し似てるよね、という会話をしたことを思い出して。版画と彫刻は違うジャンルなのですが、どうせなら近いジャンルじゃなく、自分がやったことがない人というか、違うジャンルの人とやりたいなと思い、僕から荒木さんにお声がけをしました。
じゃあ、どういう展示にしようか、という話になるんですけど。お互いにお互いの作品は知っていて、ジャンルは違えど作品のフォルムは似てるということがあったけど、普段やっているその制作の技術だったり、どうやっているのかは、やっぱり、全然お互い知らないわけです。そういうのを一度交換してみるというのはどうかな、と。つまり、荒木さんが版画をやって、僕が石彫をやるのはどうだろう、と。それを展示に組み込むかどうかは後で考えても面白いんじゃないかと思って。実際やってみると、やっぱりもう全然違う。簡単に言うと、石彫は自然と対峙しているというか、石と格闘している感じがあって、逆に版画は、いわゆる工業製品というか。銅版画は特に工業製品や無機物と向き合っている感じなんです。向き合う物質がそもそも全く違うんですね。
そのような背景で制作する中で、普段はない気づきも生まれたりして……制作の際は、ただ自然と対峙して掘ったり叩いたり切ったり、というだけじゃなくて、その石の一つ一つに自分の中で何かストーリーを考えて作ろうというのがありました。「Hometown Stars」の作品名についてですが、石に打ち付けをすると、点ができますよね。石彫ではその点を「星」と呼ぶらしいんです。それを荒木さんから初めて聞いたときに、自分にとっての星のリアリティについて考えたら、地元の香川県で見た夜景だったんです。そこで僕が地元で見てる星をイメージして制作しました。

植田 爽介《Hometown Stars》作品群 2022 「未踏領域の拡大 we land, turn, float…over?」2階展示会場にて(Photo by Ujin Matsuo)

━━2人展ですが、個展のようにも見える展示でした。

植田:各々の作風へのリスペクトを保ちながら、二人の間でどういうふうにやるといいのか、というのを考えました。実験的だったんですけど、フォルムが似てるということもあり、1階を同じ作家の立体作品と平面作品のように見せ、2階でそれぞれ着地方向を変える、という構成で展示を組み立てました。ジャンルが違うからこそできる2人展だったんじゃないかな、と思います。

━━植田さんの作品も荒木さんの作品からも、オーパーツのような感触がありますよね。

植田:そうですね。確かに少し古代感じゃないですけど。荒木さんも僕も、素材に対する興味じゃないですけど、これとこれを組み合わせたらどうなるんだろう?ということを楽しみながらやっているところがあると思います。

━━最終的な美意識はもちろん異なるけれど、アプローチの姿勢は共通するところがあるのですね。

荒木 美由《Zeit》作品群 2013-2022 「未踏領域の拡大 we land, turn, float…over?」1階展示にて(Photo by Ujin Matsuo)

相似・近似・類似
版画について

━━植田さんは、近似系と相似形を行き来する作品をずっと制作なさっているように感じています。例えばお2人の展示も、2人は異なる人間だけど、相似形が見える。過去にはMRAを用いて脳血管をモチーフにした作品制作をなさっていたり。近似や相似、あるいは相違・相同については、常に考えていらっしゃるのでしょうか。

植田:そうですね。脳の構造や、血管などをモチーフにして、多摩美の卒業制作で制作したのが最初でしょうか。そこからこのモチーフをそのまま踏襲し扱った上で、フォルムをそこに当てはめていくというか、自分の思考とか脳の動きに対してフォルムが輪郭から形づくられていく、というのを作品化しようと思いました。そのあたりがimagine -FLY-などの作品になります。
でも、もともと版画という分野自体が、やっぱり相似性や類似性にすごく近い。複製という技術・技法もそうですよね。初めて版画をやったときは版を作って刷ること自体がすごく楽しかったのですが、制作していくうちに自分の技術がどんどん高くなっていくんです。でもやっぱり版画を刷る、となると、全然違うエディションもできてくる。ただ、使っている版が一緒なので元は同じものなのですが、どんどん出来るものの幅が広がっていくという感覚があって。類似性もあるけど、同時に相似性を含めて作品が広がっていくという感覚が、版画の面白いところだと思っています。僕は確かに、今までの制作を版画かと問われると、多分ちょっと微妙なラインに来ていて。今の状態で胸を張って「版画作家です」とは言わないようにしているんです(笑)。でも、もともとすごく純粋に版画を作って楽しんでそういうことを考えていたというのがありますし、根本的には、版画自体が持つ考え方が自分の考え方の基盤になっているのだと思います。

植田 爽介《imagine -FLY-》2016

━━近い形を見つけたり、近い形から違いを見つけたりという、視点自体が版画的かもしれないですね。

植田:僕は大学院在学中にスロバキアへ留学したのですけど、日本と外国は状況とか環境がやはり違うんですね。画材がうまく手に入らなかったり、そういうときに「なぜ自分は版画を作るのか」と改めて考えるようになりました。「なんでこんなことをやってるんだろう」て、やっぱりなってくるんですけど、そうなったときに「そもそも版画って何なんだ」と考えたりするんです。例えばコップに水が入っていて、そこに水滴ができる。それを移動させると、机にコップの輪っかができる。そのコップの輪っかが増えていくのも、版画かもしれない。例えば、工業製品など、日々工場で作られているようなものも、版画と呼んでもいいのかもしれないですし。最近だとデータもそうですよね、データの複製って、あれは複製と言うけど、あれも版画と言えちゃうところもある。広げていくと結構キリがないですよね。そうやって版画について考えたときに、複製もそうですし、それと同時に、なんだろうな。似て非なるものというか。そこについてはすごく自分の中で認識が広がりましたね。

━━スロバキア以外にも、ニューメキシコやシカゴへも行ってらっしゃいますよね。それぞれの場所で作品制作なさる際に、その場所との関わりはどう捉えていらっしゃったのでしょうか。

植田:僕は地図だったり、都市の構造みたいなものから考えることが多いですね。国が違うと環境も雰囲気も全然違うじゃないですか。いろんな国に行った中で、自分のリアリティというものを考えるんですよ。もちろんいろいろな影響を受けて作品を作るんですけど、例えば「シカゴピザが美味しかったからシカゴピザの作品を作ろう」とはさすがにならないわけですよ(笑)。別に昔から食べていたわけじゃないし。自分が生まれたときからとか、例えば成長していく過程で持っていたリアルなものというか、芯に関わるようなものではない。いろんな国に行って、自分にとってリアリティのあるものって、そんなに多くないんです。
その中でなぜ地図なのかというと、飛行機から降りて着いたとき、最初は何もわからないじゃないですか。どこを歩けばいいかもわからない、どこへ行けばいいかもわからない。そんなふわふわした中で、インフォメーションセンターというか、外国人向けの歩き方だったりマップをもらうところがあって、最初にそこに行くんです。その地図を受け取ったときに初めて、いわゆるちょっと俯瞰して見えるというか、俺ここにいるんだ、というのがやっと実感できるというか。例えばスロバキアには9ヶ月いたんですけど、マップ上に自分がその地点に今いる感覚というのは、なんだかんだ結構リアルに感じていたところですね。
「(Appear the)Invisible Perception(2018-2021年までの個展を収録した作品集。巻末Textページ参照)」にて清水知子さんが作品についての文章を寄稿してくださったんですけど、そこで「遊歩者(陶酔者)」「観察者」という言葉を使っていらっしゃって。「遊歩者」であり同時に「観察者」、そして「観測者」でもあるという感覚は、とてもしっくりきています。

━━「Assembling texture into new specimen」(東京藝術大学卒業・修了作品展、2019年)の展示テキストで、幼少期に山で昆虫採集をしていたお話を書かれていましたよね。採取された何か、というのは植田さんを表すポイントに感じます。例えば、採掘作業ってしばらく滞在して行いますよね。植田さんはいわゆる滞在制作とは違って、採掘に近い印象です。赴く場所はどういう基準で決めるのですか?

植田:最初の留学はスロバキアで、大学院の准教授、ミヒャエル・シュナイダー先生の勧めでした。スロバキアは民族的な背景が強い国であり、大学間でも繋がりがあるとのことで、お話をいただきました。スロバキアは長い歴史というよりも、いろんな歴史を多層的に持っているイメージで、そこに惹かれた面もあります。でも、理由を挙げるのは難しいですね。別にすごく強い理由があるというよりは、本当にちょっと興味があって行く、というか。

スロバキア留学中の写真

━━このお話を以前伺って、私はこのお話がすごく好きなんです。もちろん、先生に指摘される前から植田さん自身自覚なさっていた面もあると思うんですが、先生から「君はこういうのもっと興味あるんじゃないの」と言われたことで「興味あるかも」と思えるみたいなこと、結構あると思うんです。それで実際に外国まで行っちゃうところが、またいい話だなと思って。

植田:多分変なところ素直なのかもわからないですけど、ちょっと信じやすいというか。でも言ってくれたことに対して、思考を巡らせると「そうかも」と思うことが割と多い、思い当たるところもありますね。

━━シカゴはその次ですね。昔から海外で活動することを意識していらっしゃったのですか?

植田:シカゴについては、シカゴ芸術大学と東京芸大が提携を結んでいて、油画の交換プログラムだったんです。僕に対して海外に頻繁に行っているイメージを持たれている方がときどきいらっしゃるんですけど、多摩美の学部のときまではそもそも外国に行くとか、外国で展示をするとか、全く考えていなかったんです。学部時代、母親には今後海外での活動やキャリアについて聞かれたりもしていたんですけど、「俺はそういう人生じゃないよ」て話していて。

━━親御さんはどちらかというと「行ったら?」という感じだったのでしょうか。

植田:母親は若い頃ニューヨークの作家のお手伝いとかもしていたんですよ。その方も香川出身なんですけど。川島猛さんという方で、その方に「プラプラしているんなら手伝わんか」みたいな感じで誘っていただいたみたいで。今は印刷会社で美術の本や児童書とかをデザインして印刷する会社に勤めています。両親とも美術に近い家庭で育ったので、幼少期からみんな美術に興味があると思っていたんですよね。でも年齢を経るごとに思うのは、日本における美術への興味が、僕がいた環境と比べるとすごく差があるという。世間の常識と自分の常識のギャップというか、「あれ、思ってた世界と違う」ということだったりとか。

植田 爽介《Assembling Textures into New Specimen》2019(Photo by Kenji Agata)

自分にとっての版画、
自分にとっての作品。

━━自分が進みたい方向を美術と自覚したきっかけはありましたか?

植田:それも結構僕の根幹っていう感じなんですけど、父も母も同じ高校に通っていたんですけど、僕が生まれてまだ小さい頃に、母が同窓会に僕を連れて行ったことがあって。僕も小さい頃から絵を描くことが好きだったので、画用紙と筆記用具を持って行ったんですよね。母が同級生と飲んだり食べたりしている間、母が教わっていたその高校の先生、松原先生という方なんですけど、松原先生にゴジラの絵を描いてとお願いをしたんです。僕は当時ゴジラがすごい好きだったので。そしたら、めちゃくちゃうまいんですよ。なんか本当にめちゃくちゃうまいゴジラをサラサラサラ~って描いて。本物のゴジラがいるような感じで、もう見た瞬間に「美術すげえ!」てなって。こんなに人の心を動かすというか、僕は感動して。それが一番最初ですね。
版画に興味を持っていくのは、スロバキアの話にも似ているんですけど。僕も両親と同じ、香川県にある高松工芸高校に入学するんですね。それで、大学受験を前に文理に分かれるみたいにファインかデザインか選択するんですが、父がデザイン、母が日本画だったので、僕は変なところ天邪鬼で、違う道に行こうと油画に行ったんですよ。でも油画に進んだものの、油絵の具の感じがそんなに得意じゃないというか、好きじゃなかったんですよね。油絵って立体的なものだと思うんですけど、僕が描く油絵って平坦な感じだったんですよ。そのものを綺麗に立体的に描くというよりは、なんかペタっとして、油絵の面白さには向かっていけなかった。自己評価ですけど、まぁ上手くはなかったんですよ。それで高校の先生が筑波大学の版画出身だったんですけど、その先生から「お前がやりたいことは版画が向いていると思う」と言われて、僕も「そうなんだ!」って多摩美の版画に入ったんですよね。

━━入学して版画をやってみたら、考え方も含めてしっくりくる部分があったんですね。

植田:版画ってファインとデザインの中間的な位置にある感じがしています。シルクスクリーンもそうなんですけど、何かの間というか、なにかの中間的なものに位置するという感覚があります。僕は、何かをやることって基本的にカテゴライズしないといけないんじゃないかと考えていたんですよ。例えば油絵、彫刻、○○、と、必ずカテゴライズがついてくると思っていたんですが、版画は一応カテゴライズされてるはいるけど、中間的というか。

━━すごく共感します。失礼な言い方かもしれませんが、版画は限りなく身体性から遠ざかっている美術な感じがするんです。音楽とか彫刻、例えば実際に彫る行為は、ものすごく運動的だなと思うんです。いわゆる手に技術がつくみたいな。だけど版画は、運動も含まれているんだけど、行為とビジュアルが結びつかない面があるというか、あとは他者とまでは言わないけど、道具がないとできない部分があったりとか。「鉛筆1本あれば」みたいな世界とは少し違うところにその表出があるという。仕上がりのイメージが常に頭にありながら、全然違う見た目のものをずっと続けなきゃいけない、みたいなところが、ファインの方々の中だと間っぽいですよね。

植田:そうですね。直接的というよりは間接的な技術という感じですね。なるべく筆跡を残さないというか。やっぱり版画は刷る行為になってくるので、図像が現れるのが本当に一瞬なんですよ。少しずつパワーみたいなものを積み上げるというよりは、サッと立ち上がるかのような感じで、マジックに近いんじゃないかなと思うとこもあります(笑)。

━━版画における工程と重なるかもしれませんが、「Experiment IV(DiEGO、2021年)」では、実際にエンジニアの方と制作していましたよね。

植田:そうですね。基盤の立ち上げというか組み方は僕が勝手にやっているだけなんですけど、その下のLEDが光る構造はエンジニアの方の力を借りてました。

植田 爽介《VDUS (Virtual Device of Urban Structure)》2021(Photo by Kenji Agata)

━━これも、感覚的には彫刻作品にも感じるのですが、彫刻と呼ばれるものたちと、自分の制作物との距離について考えることはありますか?

植田:うーん……僕は確かに版画が大元でやっていたんですけど、例えば彫刻や立体に対しては、ふらっと遊びに行くような感じというか。それこそ先ほど「遊歩者」という言葉について話しましたけど、たぶん僕は分野に対してもそういう節があるんですよ。ちょっと友達の家に行って、みたいな感覚でやるというか。僕は作品に対して、この素材でこの分野でやるから「○○」というふうに括られたくないということがあるんですね。どちらかというと、大きな幹があって、そこから彫刻・立体だったり、版画だったりになっても、その幹がなんとなく見えるというのが理想の状態なんです。1本の大きな樹木のその枝の先にいろいろなジャンルがあって、自分が戻る幹はいわゆる自分の原風景だったりとか、小さい頃からすごく好きな何かだったりとか。そもそも版画をやっていて、版画というジャンルに縛られたくないというのはずっと前からあったんです。僕は結構自分のことを飽きっぽいと思うんですが、いい意味で言えばフラットなんですよね。いろんな分野にすごく良いところと悪いところがあるじゃないですか。彫刻にも楽しいところと大変なところがありますし、油絵もキャンバスに直接描けるけど準備が大変だったり、絵の具もお金がかかるとか、それぞれジャンルごとにいろんな良さといろんな苦労があると思うんですよね。でも、もしその分野ごとの、例えば悪いところをすごく局所的に見てしまうと、それに頭が奪われていってしまう。僕も版画をやってて、版画の良いところも知ってるんですけど、一方でプレス機など機材がないと時間があっても全然できないというのはあって。でもそこにあんまり脳が奪われてしまうと、制作していく気分が薄れていくんですよね。面倒くさくなっちゃう。本の読みすぎかわからないんですけど、言葉に逃げることもありますし。だからそこに対してもフラットでいたいんです。モチーフに対しても、ジャンルに対しても。

植田 爽介《VDUS (Virtual Device of Urban Structure)》作品部分 2021(Photo by Kenji Agata)

━━確かに、執着は感じるけど、モチーフや手法に対する愛着は感じないですね。だから「観測者」というのもわかります。

植田:見ようによっては冷たいかもしれないんですけど(笑)。

━━情緒を交換しないということですよね。対象に対して、あることを認めるし、そこに対する興味はあるんだけど、愛着の場合はそこに自分の何かを与えるし、その代わりそこにあるものを自分がもらうよ、みたいな関係性だと思うんですけど、植田さんはそれはしていないんじゃないかと。ただ見てるだけで、自分の中のコミュニケーションを成立させてるような作り方だなと思います。だから、制作に機械が介在したり他者が介在したりすることによって強度が失われることが起きないんだなと思うんですね。モチーフに対して一貫してクールですよね。

植田:モチーフに関しては、根本的な話をすると、そもそも作品は何かという話ですね。作家それぞれに答えがあるはずなんですよ、「人の心を救うものだ」とか「自分の生活を支える資本的なものです」でも、僕は全然ありだと思っています。でも僕の中では、人の視野をちょっと広げたり、何か認識をちょっと変えるスイッチみたいなものだと思っていて。ゴジラの絵もそうなんですけど、僕にとって脳の中のゴジラって映画のスクリーンで見た街よりも巨大な姿なのに、先生が描いてくれたゴジラは手で持ち運べるサイズの「真っ白な画用紙に一瞬にしてリアルなゴジラが現れた!」という感じといいますか。そういう、脳を少しカチッと変えてくれたり、使ってないはずのメモリがちょっとこじ開けられるみたいな感じが作品の在り方なのかな、と。
モチーフに戻ると、例えばこじ開けるためだったりとか、認識を変えるために、自分の中でこのモチーフ、というのがあると思うんですよね。すごくわかりやすい話をすると、例えば不眠症に悩まされてたとして、そのときに僕にとって羊だろうなみたいな。でも人によっては羊じゃなくて……羊以外がパッと出てこないですけど(笑)。例えば錠剤とかそうですね。そうやって、たぶん人によって違うと思うんですよ。だからモチーフは確定要素ではなくて、流動していくものだと思うんです。自分がモチーフにこだわりがないというのは、例えば表現をするときに、モチーフによって自分の視点を共有したくはないっていう。モチーフ確定というよりは表現だったり、先ほどの話でいう幹だったりで認識させたいというのがあります。僕も個展や制作のたびに作風が結構変わるじゃないですか。だから見る人によっては多分同一の作家と思えないこともあるでしょうし。だけど、そこには大木があって、そこから枝のペースで全部作るので、大きな木の部分で作家像を伝えていきたいですね。

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