インタビュー
活動支援生インタビュー Vol.30 後藤 宙『普遍の結晶を探して(インタビュー)』
クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。
活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
>活動支援生インタビュー、はじめます!
Kanata Goto | 後藤 宙
2023年2月26日、アーティスト後藤宙が作品を出展している長野県で開催中のマツモト建築芸術祭をママチャリで共に巡ります。
そこで見えてきたのは『自分の手で作る』というキーワードです。
後藤宙の歴史と作家としての態度にインタビュアーとして並走しながら、作品の紐を丁寧に解くように後藤宙のこれまでとこれからを紐解いていくこととなりました。この旅の備忘録、かつ後藤宙の個人史をここに書き記します。松本から東京へ、過去から未来を巡る旅となりました。
インタビュアー:吉田山
普遍性を、実装する
━━今、長野の松本にきています。大体20時となりました。昼の13時に後藤さんと松本駅で集合して、色々急いで展覧会を見て回ってこの時間となりました。今日僕がこの街で宿泊しなければ、今焦ってしまってこのように冷静にインタビューできなかったかもしれません笑、では本題に入ります。今回後藤さんをインタビューすることになり、ネットで今までについて色々と見てみました。Tokyo Midtown Award(2016)の受賞のインタビューを見て、 絶対的な黄金比ということが書いてありまして、そこに制作の方法を見出しているんだなと思いました。
後藤:黄金比を使って作品を作るっていうこと自体が何か僕にとっては結構緊張感もあるし、1人でもできることだなというのは前提としてあります。
━━その方法論って結構クローズドで個人的な制作の仕方なのかもって思いつつウェブで文章読んでました。でも実際会うと全然印象が違うキャラクターの方でした。色々聞きますね!
後藤:うん、うん。
━━制作の仕方として、その用いている黄金比自体は万人に開かれたビジュアルでありつつ、作品自体はかなり緊張感のある作品です。寸分の狂いも許さないような趣で。それを今回の松本の展示のように、あえて厳格なものとして展示せずに、様々な鑑賞者に開いていくっていうところが、その作品と後藤さん自身それぞれの両義的を担保しているのかな?って思ったのが、ここまでが僕の後藤さんへの所感です。
あと、 今回展覧会を拝見して、展覧会場所自体は緊張感があるわけでもなくて、独特な場所ですよね。
後藤:松本の建築の中で美術作品を展開するっていう企画でしたね。松本には面白い建築物がたくさんあり、そこを巡っていくという芸術祭でした。
━━この松本の展覧会の前に開催していた 東京のアーティストランスペース『studio Ghost』での個展とも共通すると思うのですが、ホワイトキューブではない場所で、あえて緊張感のある作品を展開する心の機微というか、作品を展示することと、作品の制作自体の話もあわせて聞きたいです。
後藤:はい。そうですね。ミッドタウンで展示してた時は、その前後で海外のアートフェアとかも出展していて、作品自体を非言語的に共感できるものとして制作したいという思いがあり、数学とか黄金比のような普遍性をかなり意識しました。そのようなビジュアルへの意識がかなり制作に反映されていました。
洗練されたものにする、要素を削ぐことによって、むしろ作品自体のコンポジションにおける「旨み」みたいなモノが露わになる感覚はありましたし、作品自体をシンプルに見せるっていうことで、どのようなバックグラウンドの方にもこの作品が届くことを狙ってたと思います。
そのように、 作品を作る際に、あんまり個人的な感情や意識を前に出し過ぎず、もちろん根底にはあるんですけど、なるべく意識的に非言語的なコミュニケーションをとっていこうという気持ちでした。
今は、そういったことへの興味や面白さは、自分の中で消えてはいないんですけど、そういう構成をすることより、時間を超えた普遍性を意識しなくとも良いかなという心境の変化があります。
例えば60年代70年代のロックの話をしますが、ミュージシャンが自身の感情を同時代に向けて歌っていたと思うんですが、その刹那的なはずの作品にも普遍性が宿ってるのではないか?ということを考えたいと思っています。なので、今は数学的な普遍性ではなくて、今を生きる人間として提案したものが時代を超えて普遍的なものに変化していくことを意識して作品を構築していきたいです。
━━なるほどなるほど。普遍的っていうのは黄金比のようなタイムレスな普遍的というわけじゃなくて、同時代性の中で育まれたものを素直に形にしていくということですよね。
後藤:そうですね。時代を超えるものを作りたくて、例えば現代のアニメのモチーフが作品の要素に入っていることで、この時代をめっちゃ表象すると思うんです。それが、100年後とか500年後に生きている何者かがその作品をみた際に、何か普遍性を感じる場合がありうるかもといった具合です。
このような意識の変化があって、自身の作品の展示場所に関しても、美術館やアートギャラリーのホワイトキューブという代表的な美術に限定した場所でなくとも、今回の松本やghostのような場所でもやっていけるという気持ちになってきています。
━━普遍性の話、面白いですね。一見して後藤さんの作品は、作者はすごい神経質な人なのかもって思えるんですよね。
後藤:分裂はしてないんですけど、あえて言うなら、静かな自分、動的な自分が同居していて、並行して存在してる感覚です。
だから集中して作品を制作しているときと、人と会ってるときの開けた部分も同時並行的に存在していたりするんですよね。どちらかの比重を重くしすぎるとバランスを崩して調子が悪くなるイメージで活動しています。活動のサステナビリティみたいなことはかなり考えています。
━━簡単じゃないけど、すごい魂を燃やせばなんでもできますよね。HUNTER×HUNTERのゴンさんみたいに未来の分のエネルギーも前借りする感じで活動する。そのように一瞬で全ての魂を燃やすことは、アンディウォーホルが言ったように、「未来では、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」みたいなこともありだとは思うんですが、その活動の仕方がなるべくサステナブルかどうかってとこが重要だと僕も思います。
後藤:そうですね、そういうコントロールって難しいですよね、だから活動始めたばかりの頃は誰しも持続性に関しては無意識だと思うので、心身のバランスを崩す人もいると思うんですよね、僕もそうだったと思いますし、作品作りは何は無くとも、死ぬまで続けられてしまうものだからこそ意識していきたいです。
━━うん。各々の環境の要素も本当はありますね。経済的な要素とか、様々に。
後藤:そうですね。だからいろんな人のやり方があると思うんですよ。作品で稼ぐ人もいれば、経済と関係しないように作品を作ってピュアなコンセプトを保ちたいっていうのも至極真っ当な考え方だと思いますし、環境の組み立てを意識的にしないことには、活動のサステナビリティは担保できないかもとは思っています。
━━うん。この流れで今回のクマ財団の話を聞いたら面白いかなと思いました。実を言うと、僕自身は全くクマ財団というものをそこまで知らなくて、、まずは後藤さんがどういうきっかけでクマ財団と出会ったのかという話から聞ければなと。
後藤:学生の時の「クリエイター奨学金」と今回の「活動支援金」の二度助成してもらっているんです。最初の学生時代に一度もらっています、M1のときに応募して、M2のときにもらってたはずです。その時は確か、よく覚えてないのですが、誰かしらから「応募しませんか?」とメッセージがきて、存在を知って応募しました。それで、いろいろ自分で調べて、提出したっていうのが多分一番最初です。ただ、当時すでにクマ財団は話題にはなってたと思います。
━━確かに毎月10万円、年間120万を学生クリエイターに渡す。ってすごいですよね、クリエイター向けのベーシックインカム。助成のコンペで100万円という金額感でも、素朴にもらえるわけじゃないので、制作費出して、あれやこれやで赤字になる笑
後藤:そのフリーダムさと柔軟さに惹かれて応募した気がしますね。今回、二度目にもらった活動助成がありまして、今回の活動助成は学生のときもらったのとは違うんです。今回のは一括で振り込みされるので溶接機をアトリエに導入しました。かなり繊細な作業ができる溶接機を導入しました。
━━Tokyo Midtown Awardのインタビューでもレーザー出力の作業が外注なので制作が難しいとおっしゃってました。
後藤:もう結構前に言ってるんですね!CADで図面引いて外注して、それが本当にずっと心配だったというかいつものプロセスと違ってたから、大丈夫かこれ?みたいなことがありました。それを今回クマ財団のおかげで解消できたみたいです笑
━━数年前の制作での伏線を回収していて面白いです笑
後藤:作品を作る時はテーマとか文脈作りの前に、素材との向き合い方が最終的に強く出来上がりに作用するんですよね。実は普段からぼんやりとですが、粘土をこねたり筆で絵の具を扱うようなことへの羨ましさのようなものがあり、そういったメディアつまり「肌感覚に対して真摯にレスポンスが返ってくるマテリアル」と、自分の制作技法を近づけたいという思いがあります。やっぱり一貫してまずは作るのを楽しみたいんだと思います。
幼少期の原体験
━━発注芸術に対する憧れのような感情ってあるじゃないすか、それは資本主義的なイケてるとされる方法だと思うんですよね。それと共に、手作りの感覚が今必要な感覚だとお聞きして、大オンライン時代の中では、とても重要だと思います。
先ほど、お昼食べていた時に少し聞いた幼少期の話、もう一度きかせてもらえますか?
後藤:自分の両親がガラスビーズの工房をやってたんですよね、なので、ものづくりすることが日常だったんです。例えば携帯ストラップを作るよ〜っていうので、僕と姉が手伝いするんですけど、ストラップの紐に通すビーズの色の構成は僕ら子供たちが自由に考えて紐に通していましたし、そして、一個完成したら何十円かもらえるというしっかりクリエイティブと経済が関係していまして。
━━物作りをしながら経済と連動した営みが原体験としてあるのはかなり稀有ですよね。
後藤:この話とは違うんですが、今の作品制作スタイルに近いアートの原体験もあります。
それも親が関わるエピソードなのですが、小3のころに針金を曲げて遊んでいたんですが、コントロールしようと思って曲げているんですが、全然コントロールできず、それが結果的に金属疲労でぐにゃぐにゃになりボールみたいな塊になってきて、その塊を父親が見て気に入り、家の壁に作品として飾ってくれたことがありまして、偶然性の中で出来上がったものが意図せずとも面白いものになることは、結構鮮やかな視点の転換だったと思います。
そして、時間は飛びますが、高校の頃の美術の先生がすごい気が合う方で、高校2年生の夏休みに入る直前に授業で、いきなり「美術部へぇれ。(入れ)」って言われたのもあって美術の世界に入っていきました。
そして夏休みには、大学受験のために朝から夕方まで美術室に篭って、タンクトップと短パンで油絵を描き続ける日々が始まりました。当時を振り返ると、「汚れてもいい服」という名目で、私服に近い格好で学校に居られるのが嬉しかった記憶があります。
シンプルなモノとの出会い
━━面白いですね。そして大学ではデザイン専攻だったんですよね。今の作品からデザインや工業製品的な緻密さも見てとれるし、紐を張ることがドローイングを描くような身体的な制作の要素も感じますよね。そして、先ほどもお聞きした黄金比とか数学みたいなものと、絶対的な観念と、偶然性みたいなものを、両義的に同時に考えていきたいっていうことをおっしゃってるんですけども、今後どういうふうに展開していこうとしているかは気になります。
後藤:実は、僕のスタイルの原点的な作品との出会いがありまして、まず、その話をします。
予備校時代に御茶ノ水に通っていて、その頃に、ボヘミアンズギルドというギャラリーで見た古い仮面がとても衝撃的だったんです。ヘタウマっぽい装飾で目・鼻・口ができていて鼻のところが飛び出ていて、その鼻に対して仮面の輪郭部分から無数の糸が張られていて、幾何学的なヴィジュアルになっている仮面を見たんです。
糸も毛羽立っていたり、作りも素朴なのですが、とても衝撃的なビジュアルでした。
これに出会って、自分も何か作りたいって思ったんです。その当時は、二浪だったので、それまで3年以上デッサンという何かを真似して学ぶことを繰り返していて、自分にはあまりクリエイティブなものに感じられず少々うんざりしていた時期でもあり、仮面が持つ糸のヴィジュアルのソリッドさと、ヘタウマとも言える有機性が一つの作品の中で両立していることの衝撃で、ものづくりの喜びを感じましたし、今でもあの時の仮面の衝撃に向かって歩んでいると思います。
あと、溶接機を導入したことによって自分がもう少し自由に金属などの強固な部材を感覚で操れることになるので、かなり直感的に制作できることで、ものづくりの感覚を大切にしつつも規模の大きいものを制作できるようになると思います。
━━変な質問をするんですが、そのクマ財団の支援が?なかった場合の後藤さんの世界線のイメージ聞きたいと思います。
後藤:財団の活動支援金がなければ大きな複雑な形とかは作れないと思いますし、作らないけど発注に長けていくとか、チーム制作のプロジェクト型に発展していくとか。いろいろあったのかなとは思います。
元々、今まで経済的に厳しいときに、制作をプランより大幅に単純化せざるを得ない事もありました。例えば、今は鉄でやってることを、他の素材で代用しようとしていましたし、それで作品で使う素材の幅が広がったりというポジティブな発展がありました。例えば木で強固な板状のパネルを作って、そこに革を張って糸を張るとかはしていました。
そのような工夫と実験は嫌いじゃないので、そのような方向に走っていったんじゃないかなと思います。溶接機が身近にあって、機材があるからこそ出てくるアイディアが今は面白いなと思っています。
全然違う話かもしれませんが、8年程前に明和電機さんのガレージセールに行ったことがあって、 明和電機さんが今まで古道具屋とかで買ってきたおもちゃとかがめちゃくちゃ沢山あったんです。
昭和の頃だったりとか海外だったりとかのシンプルなんだけど面白いおもちゃが沢山あって、そこで明和電機さんのおもちゃとの関わり方に、なるほど。と感心をしました。これに加えて「半ばモノや道具が自ずから思考しているような感覚なのではないか?」と考えはじめました。今回機材を購入したことで、色々アイディアが溢れてくると言いますか、、
━━機材があると、それが近くにあるだけでアイディアが湧いてくるという意識はすごいわかります。僕、最近炊飯器買ったんですが、それ以前はいつも外食してたんすけど、炊飯器があると米炊けるじゃん!という素朴すぎる驚きがありました。溶接機の話とレベルとクリエイティブの度合いが全然違うんですけど。
後藤:道具とか古今東西のおもちゃとかから受け取るメッセージというか、イメージを全部任せるということではないんですが、道具によって自分自身の限界が溶けていく感覚があります、ダムが決壊するというか。溶接機の導入によってそのような変化がありました。
モノから環境へ、松本から東京へ
━━ありがとうございます。では、話は変わって今回の松本での経験についてお聞きしたいです。普段東京で活動していて今回の松本に来て何か変わった経験などがあるかなと思いまして。先ほどの道具でアイディアが広がるみたいなことが、街や環境でもあるのかな、と。
後藤:まず言えることは、松本は文化と自然のバランスがよいなと思っています。活気があるんですよね。若者が楽しそうに街を歩いてて美味しいご飯屋さんやカフェ、いくつかの美術館に美しい景観があったりとか。
そして、僕が一番好きなのは、街を歩けばその向こうに山が見えて、空間のスケール感や空気感を感じ取れることです。作品のアイディアをもらえるとかはそんなになかったんですけど、すごい良い環境の街だということを単純に感じて、今後そのうちに何かアイディアが出てくるかもしれないです。東京と違ってスローな時間が流れていました。
あとは色々とコンパクトにまとまってて、この規模の芸術祭にとても向いてる土地だなっていうことも思いました。
━━あと、また話が変わるんですが、後藤さん東京の蟻鱒鳶ル(読み:アリマストンビル)で制作の手伝いをしてるらしいという話を聞きました。後藤さんの両親から授かったクラフトマンシップの話に通じるものがあるのでは?と思ってます。
後藤:はい。手伝いをさせてもらってます。そうですね、やっぱり、手作業で作りながら考えるっていうのが自分にとってすごい重要なんだなって思ってます。今回の助成を受けて買った機材も手作業を突き詰めるためだし、この感覚を大きくさせていく中で偶然が重なって蟻鱒鳶ルに辿り着いたというか。
━━ちょっと今からアリマストンビル行きましょう!
━━はい!着きました!今回、後藤さんのお話聞かせてもらって後藤さんの作品は『ハンドクラフト』がキーワードだと思いました。そして、今回、後藤さんが蟻鱒鳶ル制作を手伝っていることをお聞きして、岡さんと後藤さんの関係をこの記事でアーカイブしておく必要があると思い、インタビューの最後に蟻鱒鳶ルという建築物を17年間弱手作りしつづけている建築家でありつつ、ストリート・アーティストとも言える岡さんに登場してもらう事になりました。
後藤:僕は、岡さんとこのビルの関係に手で作る事の凄みを感じていますし、その思想を信じたいですね。岡さんは蟻鱒鳶ルを作りながらそういった手仕事のよさを背中と蟻鱒鳶ルの存在自体で語っています、むしろ全身で表現してくれてると思ってます。
そうでないと、やはりこういう風にいろんな人が集まって、来る場所にならないなと思ってます。
岡:例えばの話だけど、現場の制作やものづくりの面白さがそのまま完成物のクオリティに比例するといった批評家のジョン・ラスキン、イギリスの産業革命の頃の方で、その後にその思想を理解して実践したのはウィリアムモリスなんだよね。今は、最近手伝ってくれている人が多いから、1日の7割はずっといろんな人に声かけたり話聞いたりしつつ、現場管理が多くなっちゃったけど。でもそれも面白いね。
後藤:今、僕も溶接仕事で手伝っていて、窓枠を作っているんですが、いわゆる捨てられるはずだった金属で一部のパーツを作っているんです。その鉄ゴミで即興で構築していっていることもあって、この身体感覚とひらめきは、すごく今の自分の作品制作に活かせそうな感触があります。作るの楽しいですし、出来上がっていく喜びがかなりあります。
岡:蟻鱒鳶ルはそのように手作業で即興的に10数年作っているから、随分思考も空間も複雑になったよね。
━━この蟻鱒鳶ルの内部空間の複雑さと、あと、ここに生身の岡さんが居続けて作り続けてきたことが豊かだし東京の宝だなと思っています。そして、後藤さんが今、制作で関わっていて、窓枠という大事な部分を作っているのが面白いですし、後藤さんが作品制作に対して持つ核心がここでも垣間見られると思いました。今回はありがとうございました!(吉田山)