インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.47 高畑 彩佳さん 京都・光明院で展示する「思考のきっかけになる装置」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
>活動支援生インタビュー、はじめます!


 

Sayaka Takabatake | 高畑 彩佳

1995年に香川県に生まれ、京都芸術大学美術工芸学科日本画コース、同大学院ペインティング領域日本画専攻を修了後、京都を中心に芸術家として活躍する高畑彩佳さん。2023年9月に京都の東福寺塔頭 光明院にて個展「ゆめゆめわすれることなかれ」を開催しました。

今回は、大学時代からの恩師であり作家の先輩としても活躍する宮永愛子さんが聞き手として、高畑さんの今までの制作や想い、そして光明寺の個展について紐解きます。

聞き手:宮永 愛子
編集:クマ財団事務局

枠のない自由で模索する、「自分を見つめる誰かの存在」

━━高畑さんの作品は大学の頃からずっと拝見してきましたが、改めて大学で学んでいたことについて教えてください。

高畑 彩佳(以下、高畑):大学時代は京都芸術大学の日本画を専攻していたため「日本画をやっている人なんだね」とよく思われます。しかし、もともとは当時日本画コースに在籍していた青木芳昭教授の材料学を学びたくて日本画コースに入ったこともあり、日本画家かと言われると違うなと思っていて、今は芸術家という広い肩書きを使っています。

日本画コースでは、まず材料となる膠(にかわ)や岩絵具、和紙の扱い方を学びながら、基礎となる土台を学びました。
それと並行して、「和紙に岩絵具で百合の花を描く」みたいな、モチーフを描写する課題もありました。しかし、絵の構図を考えて、下図を描いて、念紙で転写をして、骨書きをして、色を置いて、っていうのはできるにはできるのですが、次第に「これがやりたいことなのかな。」と悩むこともあって。絵が上手い人は同級生に何人もいるし、他の大学も含めたらもっともっと絵が上手い人はたくさんいる。その人たちに勝てるくらい、写実的な絵をうまく描けるようになりたいのか。それともそうじゃない方法で、自分の作品を作りたいのか。こんな考え自体、上手く描くことができない自分の劣等感から逃げたくて描くのを避けているんじゃないか、なんて気持ちもありました。

そんな中、2回生の時に本格的に始まった青木教授による材料学の授業で、東洋西洋問わず様々な支持体や絵の具に触れました。そこで西洋の伝統技法の一つである黄金背景の技法で使用する石膏地を学び、「これだ!」って思ったんです。それ以降、制作ではこの石膏地を使うことが多くなりました。

《Strappo》2016年

━━高畑さんの作品は描写的にモチーフを描くのではなく、シンプルな円や物質そのものを作品として利用することが多いですよね。その上で、制作のテーマなど、何を表現したいのかについて大学で考えることはありましたか?

高畑:私が学生の頃はまだコロナ前で、先輩後輩の距離がとても近かったんです。なので大学院の先輩のところに遊びに行くことが度々ありました。
先輩たちと話していると、「課題ばっかりやってちゃだめだよ。」という話題によくなるんです。もちろん、課題は出さないと単位がもらえないし、必要なのですが、課題はいつか与えられなくなるから、卒業して作家をやっていきますという時に、自分が本当に描きたいものがなければ絵を描く必要がなくなっちゃうんですよね。だから急に迷子にならないように、自分のことをちゃんと考えないとね、なんて話をいろんな先輩から言われ続けていました。

たしかに、子供の頃から授業などで「今日は動物の絵を描きましょう。」みたいな感じで、誰かに与えられた、大枠の中での自由を過ごしていました。その大枠が取り払われ、本当の自由を手にした時、自分は何をしたいんだろうっていう。

━━漠然とした大きな問いの中で、自分を見つけられたきっかけは何かあったんですか?

高畑:在学中、出身地である香川のとある島に遊びに行った時、誰もいないはずなのに何かから見られている感覚があって。辺りを見渡すと、山の水を調整する排水口の穴が山の斜面に等間隔に並んでいたんです。そこから水が垂れ流れていて、静かに佇んでいる。不思議な感覚なんですけど、「あっ、これに見られていたんだ。」って咄嗟に思いました。
視線を感じた先が排水口だったことに納得した自分を含めて、あれは一体何だったんだろうと、京都に帰ってきてからもずっと頭に残っていました。

もうひとつ思い出すのが、母の教えで「人は見てるよ。」って言葉を小さいころからよく言われていたこと。香川の丸亀市というところに生まれて、近所の人がみんな知り合いみたいな環境だったせいもあると思いますが、「良いことも悪いことも誰かが見ているからね。」という感覚が私に根付いている。

京都に来てからは周りの人が誰も自分のことを知らないという環境が新鮮でした。香川では、私はいつでも「両親の娘」で、「兄の妹」で、「祖父母の孫」でした。私の選択した行動が、私ではない他者の評価につながってしまう。「ふが悪い」とは香川の方言でみっともない、世間体が悪いという意味の言葉です。悪いことをすること、人と違うことをすることで、人からこの言葉を言われることを恐れていました。人の目を気にして生きていたんだと思います。誰かが見ていることが前提にある地と、私のことを誰も知らない地を移動した経験が、「自分を見つめる誰かの存在」という興味に現れているように思います。

あれは一体どういう感覚だったのかと、手探りで追体験していこうとするうちに、石膏や銀泥、炭など、反射するものと反射しないものを組み合わせて作品を作ったり、要素を削って削って、線や円で表現する制作に変化していきました。

《隣人 -あるいは排水口から滲み出る水》2020年

━━そこから大学院に進学されて、私(宮永)と出会ったのはたしかその頃でしたね。

高畑:はい。大学院の講評の時に教授陣のひとりに宮永先生がいらっしゃいました。
その頃自分は素材にこだわって表現がいろいろと迷走していたのですが、宮永先生に作品とポートフォリオを見てもらった時に「他の人は重要なことじゃないって言うかもしれないけど、素材にこだわることはあなたにとってすごく大切なことだから、大事にしなきゃいけないと思うよ。」って言ってくださったのを覚えています。
この言葉がとても救いになりました。素材や物質と向き合ってとても素敵な作品を現役で作っている方に肯定してもらえたのがとても嬉しかったんです。

なので学芸員実習で高松市美術館に行った際、偶然にも宮永先生の個展をやっていると知った時は「ぜひ展示ができるまでの内側を見たい!」と思って連絡を取り、お手伝いさせていただいたりもしました。

━━当時声をかけてくれて、「作家としてやっていきたいから、現場がどうなっているのか知りたい。」という意欲がとても伝わってきました。実際の関わり方も柔軟で配慮のある振る舞いで、ずいぶん助けてもらいましたね。

光明院との出会い、そこで過ごした2年間の日々

《白金の不定形静物》2023年、《霞鏡屏風》2023年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

━━今回開催した個展「ゆめゆめわすれることなかれ」を拝見しました。まず、会場である光明院とはどういった経緯で出会ったのか聞かせてください。

高畑:光明院とご縁ができたのは、大学のゼミの先輩でもありクマ財団の同期でもある丹羽優太さんが、このお寺で初個展をした時にお手伝いしたのがきっかけです。光明院の住職さんの藤田慶水さんは一般的なお寺のイメージにはないくらいオープンな方で、アートに興味があったり若い人を応援するという気持ちを強くお持ちでした。

住職さんの人となりか、お寺には不思議と同年代くらいのクリエイターが集まることが多くて。デザイナーや建築家、音楽をやっている人など、色々なジャンルの人たちと制作の話をしたり、ご飯を一緒に食べたり、お庭の草むしりをしたり。そんな風にだんだんと身近な場所になっていきました。
出会った初めの頃、住職さんに作品をお見せする機会があったのですが、帰りに作品をお寺に忘れてきてしまって。後日お寺に行ってみると、お部屋の本棚にすごく綺麗な感じで飾ってあり、それを見てなんだか持って帰るのがもったいないなあって。置かれている状態が気に入っちゃって、忘れたふりをして過ごしていました(笑)

《山水図》2023年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

高畑:それから1年ほど経ったある時、住職さんが「作品を生活空間の中でずっと見てきて、高畑さんが言っていたことがわかった気がするよ。この光明院という内と外の境界が曖昧で、自然光が入る特殊な場所で、高畑さんの作品をいろんな人に見てもらうっていうのはお寺にとっても高畑さんにとってもいいことかもしれない。よかったらやってみない?」と、展示の話を持ちかけてくださったんです。

このお寺で過ごしながら、いつか展示をしてみたい、こんな風に作品を置いたら素敵だろうなと、ずっと妄想していたので、その場で「やります!」と伝えました。

《銀継重図》2023年、《錫墨図木屏風》2023年  光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

━━作家の人って、そういったチャンスを掴むことがすごく大事だと感じます。きっと出会った当初に「ここで展示をしたいです。」って伝えることもできたと思うけど、この2年間がとても重要で必要な時間だったんじゃないかな。

高畑:そうですね。出会ってすぐの、先輩のつてで知り合った私に、もし「いいよ。」って言ってくださっていたとしても、作家として負けた気がするなと思って自分からは言わなかったんです。いつかそう思ってくださったら嬉しいなって、長い目で考えていました。

それに、実際にここで2年間過ごしていなかったら今回のような空間の使い方や工夫は絶対にできなかったと思います。
ここにいらっしゃる人たちは本当に様々な過ごし方をされていて、おしゃべりしながら見て回る方もいれば、お庭を1〜2時間も眺めて過ごしていたり、何もせずにただそこにいるだけの時間を楽しんでいたり。
老若男女いろいろな人の過ごし方を見てきて、その上で自分はこの空間をどうしたいかなってずっと考えていました。

「思考のきっかけになる装置」を作る

《線刻鏡》2023年、《● ●図屏風》2023年、《ちいさな静物》2020年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

━━会場に入って真っ先に「ここには風が流れている。」と感じました。実際に風通しがいいって話ではないんだけど、元々の空間に対して作品の存在が邪魔になっていない。この場所の歴史や光の入り方を十分に理解しているから、空気が通うような自然さで作品が調和しているんだなと思いました。

高畑:この光明院は世界中、日本中からたくさんの人たちがお寺やお庭を見に訪れる。そんな方達の一番の目的を邪魔してしまうような展示をするのは、お客さんにもお寺にも不誠実だなと思って。作品を見てほしい気持ちもあるけど、「作品を見て!」が一番に来るべきではない。
そうなった時、この空間と自分の作品を共存させるために、掛け軸などの道具やしつらえに意識が向きました。

━━普段はパネルなどの支持体で制作している印象だけど、掛け軸などのしつらえを作ったことはあったんですか?

高畑:はい。大学で表具の授業に参加した時に、掛け軸と風炉先屏風は1から作ったことがあります。でも和紙はそれ以来使っていなかったので、今回7年ぶりくらいに扱いました。

それと表具への憧れもあって。様々な作家が作品の中身を描いた後、その周りの仕立ては表具師さんにお願いすることがあるんですが、そういった合作のようなやり方がいいなと思い、今回はお寺と以前から馴染みのある井上光雅堂さんという表具師さんを紹介してもらいました。「私のこの作品を、この光明院に馴染む表具をおまかせでお願いします」と。

実際に表具をして完成した作品を床の間にかけたら、「おおぉ」ってなって。もう「おおぉ」しか言葉が出てこなかったんですけど、派手な表具じゃないのに、この空間と作品をつなげてくれる役割をまさに担ってくれて。
自分だけで作品を作るとある意味想定内というか、そこから大幅に超えることはあまり起こらないんですけど、今回すごく良い形で仕上げていただいたなと思います。

《錫滲墨図屏風》2023年、《金継重図》2023年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

━━自分がここで何をすれば、この場がより生きてきて、自分がより輝けるか。時間をかけて体感してきたからこそ出来上がった作品なのだな、という印象を受けました。

高畑:光明院は四季がどれも美しいんです。春は桜が満開になって、散り際になると吹雪みたいにお寺側へひらひら流れてきて、それが終わったら新芽が芽吹いてツツジやサツキの花が咲いて、緑一面のお庭になる。そこから葉が紅く色づいて、それが枯れてたまに雪が積もって、こういった循環をずっとしているんです。

普段の日常生活では、生活をコントロールして過ごしているんだと気づきました。例えば、暗くなったら電気をつけたり、暑ければ冷房をつけたり。自然というものに対して、自分が何らかの対策をする形で今まで共存してきた。

お寺は、どちらかというと自然の方が強い。雨が降って暗くなってもそのままだし、自然のありようを遮断しない。虫や鳥の声が聞こえて、風が吹いてる中で、自分もその存在の中のひとつとして、ただそこにいる。存在そのものを許されたような感覚が、救いになる。

その感覚を阻害しないで、むしろ増幅させる為に「自分の作品にできることは何だろう。」と考えた時、感覚を増幅させる装置、思考のきっかけになる装置を今回提示してみようと思いました。

《矩円穴図》2023年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

高畑:泥間似合紙という泥を漉き込んだ和紙に小ちゃい丸い穴を開けてる作品があって、それが今回大きな役割を持っていると思います。

部屋に入った段階では何も描いていない掛け軸があるように見えるんですけど、近づいたら黒い丸が見えて、よく見たら描いた点じゃなくて、穴が空いてて、土壁との隙間の影が見えてたんだ、みたいな。空間が広がる感覚。「なんだろう。」が生まれ、感覚が進む装置。

見に来てくださったお坊さんが「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)みたいやね。」って言ってくださったんです。
こだわり(=一物)をなくせば、可能性に際限はないという意味で、分かりやすいモチーフを描かないことによって、それはなんの絵にもなり得る。
「その人が持ってるバックグラウンドや知識、その時抱えている悩みだったり、もしかしたら希望だったりと結びついて、その人が自分と対話をするきっかけになるような作品だね。」とも言っていただけて、すごく嬉しかったです。

光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」 和蝋燭鑑賞会の様子

高畑:普段は日が落ちたら展示を閉めるんですけど、秋分の日に1日だけ中村ローソクさんに協力していただいて「和蝋燭鑑賞会」というイベントを特別に開催しました。和蝋燭をお寺のいたる所に置いて、その灯りだけでお寺と作品を見る会です。

日が沈むとお庭は真っ暗になってしまうのでなんにも見えなくなってしまうのですが、目が慣れると不思議なもので細かい苔とか白砂が時間が経つにつれて見えてくるんです。和蝋燭特有の炎のゆらめきから、空間も作品も一定じゃない明るさで照らされていて、普段とは違った人間の感覚の鋭さ、適応力みたいなものを感じられました。

《寂光図》2020年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

高畑:また、いつも個展を開催する時は私のやりたかったこと、やったことが後に伝わるように写真と映像でアーカイブを残すようにしています。今回の撮影は友人の建築写真家の方にお願いしました。展示の記録写真を撮るというより、建造物と作品が同じ空間でフラットに共存してるという価値観で撮ってくれて。それを形に残せたことがすごく良かったなと思ってます。

いつかは、自分の美術館を作ることを目指して

《黄金の馬車》2020年 光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」

━━来年は六本木のクマ財団ギャラリーで個展を予定しているそうですね。光明院とは全く違ったホワイトキューブでの展示になりますが、どのようなことをしたいと思っていますか?

高畑:光明院での展示が非コントロールだとするなら、クマ財団ギャラリーでの展示は作り込んでコントロールするような空間を作ってみたいなと思っています。今回は自然光で作品を見る展示でしたが、今度は照明も展示レイアウトも自由にできるので、ここの空間だからこそ生じる空気感みたいなものを活かせたらと思います。

ゆくゆくは、小さくても自分の美術館やギャラリーみたいな場所が欲しいなと思っています。豊島美術館やDIC川村記念美術館のように見せたいものが先にあって、そのための建造物がある、みたいな「作品のための場」「空間も含めて作品」というような場所を持てたら、それってすごく楽しいだろうなあ。

いろいろな環境や状況、条件で作品を作ったり展示をしたりして、ゆくゆくどうするか、また妄想を膨らませていきたいなと思ってます。

━━今回久しぶりにお話を聞けて、この人はブレてないんだなっていうのがよくわかって嬉しかったです。
クマ財団の活動支援で助成を受けられたこともすごく良かったなと思っていて。やっぱり作家としてひとりでやっていくのは、すごく大変なことなんですよね。それを後押ししてもらえると、絶対に次の原動力にも繋がっていく。

高畑:そうですね。活動支援の選考で面白かったのが、予算など現実的なことも含めた企画書を提出するのですが、企画書が通ったら3回も面談があるんです。
なんとなく自分の中で考えていたことを第三者に伝わる形で説明しなくてはいけない。何度も自分の企画についてお話ししていると、本当にやりたいこと、軸が明確になっていって。自分ひとりで展示を企画する時に比べて、より明確に整理して実行することができたように思います。助成があったからこそ今回のしつらえの形に持っていくことができたので本当に感謝しています。

━━私もそうだからわかるけど、作家を続けながらチャンスが来た時にきちんと応えられるって素敵だなと思いました。なので次の展示も頑張ってください、楽しみにしています!

光明院「ゆめゆめわすれることなかれ」展覧会アーカイブ映像

ご質問は下記のフォームより
お問い合わせください。