インタビュー

活動支援生インタビュー vol.53 沖田愛有美「漆と絵を描く、工芸と絵画の交わるところで」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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活動支援生インタビュー、はじめます!


Ayumi Okita | 沖田愛有美

『洞穴の暗がりに息づくもののために』会場写真 撮影:コムラマイ

クマ財団の支援を受け、2024年1月21日から30日にかけて、若手美術家・沖田愛有美の個展「洞穴の暗がりに息づくもののために」が開催された。会場は北千住にあるBUoY(ブイ)。このオルタナティブ・スペースは元々、ボウリング場(2階)と銭湯(地下)が併設された建物をリノベーションした施設であり、「建築」・「美術」・「演劇」・「ダンス」といった複数のジャンルを横断する超域的な活動で知られる。こうしたBUoYの特徴は、その空間を占める沖田の作品を展示するために適切に作用している(その理由は、本文を読み進めるとわかるはずである)。この展覧会に際して筆者は会場を訪れ、沖田へのインタビューを行った。この文章は、そこで交わされた対話をベースにしながら執筆された。沖田自身の言葉を数多く引用しながら、かつ筆者の研究や関心とも交差する領域からのコメントを加えるかたちで、彼女の芸術実践の意義と可能性を明らかにしてみたい。

書き手:山本浩貴

「洞穴の暗がりに息づくもの」——「自然」への関心

「洞穴の暗がりに息づくもののために」展について、沖田は「生まれ故郷の鍾乳洞もイメージしながら、会場全体を洞窟や自然に見立てるようにして空間を構成した」と語る。そして、その空間では「鑑賞者が自分以外の何かに『なっていく』という感覚」が生まれることをねらいとしているという。こうした感覚は、しばしば「メタモルフォーゼ(生成変化)」などと呼称される。カフカの『変身』(1915)——ある朝に目覚めると巨大な虫になっていた男が主人公の小説——は、英語圏ではThe Metamorphosisとして知られる。『変身』同様、沖田が言う「自分以外の何か」は必ずしも「人間」とは限らない。

 さらに、それは「生物」にも限定されない。作家自身が挙げた例を借りれば、そこでは「」や「空気」へのメタモルフォーゼすら想定されている。すなわち、展覧会タイトルにある「洞穴の暗がりに息づくもの」が含むものは驚くほど膨大だ。それは人間(他者)であるかもしれず、他種の生物(動植物)であるかもしれない。あるいは、(沖田が示唆するように)木や水や大気であるかもしれないのだ。鑑賞者にとって、「洞穴の暗がりに息づくもののために」展が「『わたし』とは何かを改めて問い直す場」となることが作家の望みだ。

 この「洞穴の暗がりに息づくもののために」展では、人間をとりまく「自然」に対する沖田の関心がはっきりと表れている。実際、彼女は自作のなかで「自然」というテーマを探求してきた。その芸術実践の核には、いったい何があるのか。この筆者の問いに答えて、沖田は次のように自らの活動を言語化してみせた——「『人間と自然』・『人間と非人間』・『文化と自然』といった近代に支配的な二項対立を脱構築すること」。「脱構築」とは哲学の用語で、既存の枠組みを恒常的・流動的に解体し(あくまで仮に)再構築する営みを指す。

「洞穴の暗がりに息づくもののために」会場写真 撮影:コムラマイ

漆「と」絵を描く

このような文脈を踏まえながら、具体的に「洞穴の暗がりに息づくもののために」展を眺めてみたい。この展覧会は物理的・概念的に分離された、しかし相互に関係し合う2つの空間から構成される。沖田自身の説明によれば、正面に向かって右側の空間は「暗い洞窟のような環境をイメージして構成しており、鑑賞者の身体が他なるものへ変容したり、他なるものとの接続がなされたりする意識へと向かう場」であるそうだ。そこでは、主に「同一化」の作用が意図されているという。

 他方、左側の空間は「その洞窟を出た先、草木の間をかき分け、段々と自然光の降り注ぐ外の世界へと開かれていくようなイメージで構成」したという。続けて、沖田は次のように補足した。「この部屋では、鑑賞者は絵画や植木などを通じて他者から向けられる視線、すなわち差異化へと意識が向かいます。2つの部屋は最初の漆の葉と、最後の漆の木で再び接続されるように組織しました。鑑賞経験において、来場者が他なるものと同一化したり差異化したり、主体と客体が入れ替わることが続いていく空間と捉えています」。それぞれの空間に「葉」と「鉢」が、あたかもインスタレーションのように置かれていた。そのねらいについて、沖田に聞いた。

「洞穴の暗がりに息づくもののために」会場写真 「葉」の様子 撮影:コムラマイ

これまでインスタレーション的な試みはあまりやってこなかった」と前置きし、沖田は次のように解説した。まず、展示空間に置かれていたのは漆の木の葉であるという。鉢に植えられていたのは漆の木で、沖田が自宅で栽培しているものとなる。落葉した漆の木の葉を入り口付近の床に置くことで、展覧会への導入とした。ここにおいて、ようやく沖田の芸術実践について具体的に言及することが可能となる。一般的に、沖田は「漆で絵を描く」作家と理解される。だが、(後述するように)そうした理解の仕方は少し誤解を招くものだ。加えて、そうした制作行為には深い美術史的・芸術学的洞察が込められている。

 そこに込められた洞察を理解するため、漆という存在について少々説明を加えたい。漆の木に傷をつけると、そこから樹液が分泌される。この乳白色の液体が「漆」であり、漆は人間におけるかさぶたのように植物の個体維持のための防衛本能の証と言える。木が成長して漆を採取することができるようになるまで、一般的に10〜20年ほどを要するそうだ。1本の漆の木から採取することができる漆の量は、およそ180〜200グラムだという。なので、沖田は作品の「素材」を得るために自ら漆の木を育てているわけではない。ちなみに、仮に約15年をかけて漆の木を1本立派に育てたとしよう——そこから得ることのできる漆の量は、小作品の描画部分(支持体に使う分量は除く)を制作できるかどうかくらいの分量であるらしい。

 では、沖田はなぜ自宅で漆の木を育てているのか。その理由について、彼女は「漆の木が成長する過程を見たかったから」と説明する。こうした説明からは、あたかも「共同制作者(コラボレーター)」として漆と向き合おうとする姿勢がうかがえる。沖田にとって、漆は単なる「素材(マテリアル)」以上のものなのだ。であれば、私たちは認識を改めなくてはならない。「漆『で』絵を描く」と言うとき、漆はあくまで素材にとどまっている。だが、先述の通り沖田の芸術実践において漆は準人格を備えた共同制作者に近い重要な位置を占めている。ゆえに、こう再定義しよう。沖田は「漆『で』絵を描く」作家ではなく「漆『と』絵を描く」作家である、と。

「洞穴の暗がりに息づくもののために」会場写真 会場には漆の木が置かれていた 撮影:コムラマイ

「工芸と絵画の交わるところ」

現在、沖田は金沢美術工芸大学の博士課程に在籍している。近年、東京藝術大学や金沢美術工芸大学などの美術大学の博士課程で学ぶ学生が増えている。そこでは理論と実践の有機的な往還が目指され、同時に「アーティスト」・「キュレーター」・「研究者」・「批評家」といった単一の枠組みに収まらない学際的な活動を展開するプレイヤーが増えている現代アート界の傾向が反映されていると思われる。昨年(2023年)の年末、沖田は博士論文を書き上げた。インタビューの時点では、最後の関門である口述試験を来月に控えていた。

 では、沖田の研究とはどのようなものか。そして、それは彼女の芸術実践とどのように関係しているのか。「漆画の歴史と制作理論 ——工芸と絵画の交わるところ——」——沖田が金沢美術工芸大学に提出した博士論文の題目である。沖田は、その内容を2点に分けて説明してくれた。ひとつは、「漆で描かれた絵とは何か」を考察することであるという。これは、「ジャンル」や「領域」をめぐる問題であると整理することができる。シンプルな問いを例に出せば、まさに沖田の論文の副題が示す通りだ。「漆で描かれた絵」は「絵画」なのか、それとも「工芸」なのか。シンプルだが、間違いなく安易な答えを拒絶する難しい問いだ。

 もうひとつは、「漆で絵を描くこと」そのものについての問いだ。先ほどの問いと似ているようで、実はまったく異なる位相にある問いだと言える。この問いには、「漆」というメディウムの特性が密接に関わっている。より正確に言えば、工芸の分野で頻繁に使用される漆の物質性だ。沖田が在籍する油画科(絵画)では、しばしば人工的につくられた画材が使用される。だが、樹液として分泌される漆は自然が生成するメディウムだ。ここには、先述した「自然」への関心にも接合される要素が見られる。まさしく、沖田は「工芸と絵画の交わるところ」で制作と研究を行っているのだ。

 博士課程に在籍している理由について、こうした「理論と実践の有機的な往還」以外にあるのか聞いた。それに対して、沖田は「博士論文として残る」ことの意義について明晰に語った。「博士論文として、しっかりと残ることは大切な要素です。自身の以前にも漆で絵を描く作家は存在していましたが、そうした人々は美術史にも工芸史にもほとんど記録されていません。つまり、漆絵の作家は歴史のなかで不可視化されてきたのです。その意味で、自分の論文がそうした周縁化された歴史の証言となっていることは重要なのです」。この回答は、筆者にとって非常に興味深いものであった。

 周縁化された美術の物語を掘り起こし、その排除と包摂の力学を探る「ニュー・アート・ヒストリー」と呼ばれる1970年代後半以降に欧米圏で発展した学術動向がある。イギリスで文化研究者としての教育を受けた筆者は、こうした流れから強く影響を被っている。その点で、沖田の研究の重要性を強く認識する一人だ。実は、筆者が沖田の研究に対して個人的に共鳴を感じる要素がもうひとつある。それは「アジア」、とりわけその「戦争と植民地支配の歴史」へのまなざしである。

 現代の漆絵画の中心地のひとつが中国であり、沖田が漆を用いて絵画を制作し始めたきっかけは中国留学中に現地の漆絵画を見たことだという。だが、漆で描かれた絵画はベトナムを発祥の地としているそうだ。漆と絵画のあいだの偶然の出会いは、1920年代から30年代にかけてのフランスの植民地統治下のベトナムで発生したと沖田は説明する。それが次いで中国へと伝わり、現在のような発展を遂げた。ここにはアジアという地域が有する(欧米諸国を含む)戦争と植民地支配の歴史が生成する複雑な力学があり、筆者もそうしたメカニズムに関心をもって研究を行っている。沖田の研究がはらむ射程は深く、そして限りなく広い。

『洞穴の奥に何ものかの声を探して』2024 撮影:コムラマイ

「『美術』と『工芸』」、あるいは「漆」について

改めて、沖田が作品を制作するプロセスについて聞いた。「私は支持体にも漆を使用しています。その支持体に、木製の板に漆と米糊を混ぜたもので布を貼ります。次に、その布の凹凸を埋めるための作業を行います。漆と土を配合したものを塗布し、砥石で研いで表面を整え、漆を塗りさらに研いで表面をツルツルに仕上げるのです。もともとの漆の色は乳白色ですが、空気に触れると茶色く濁ります。描画に用いる精製した漆は飴色なので、顔料を混ぜて色漆を作ることもあります。季節によっては、画面を適度に湿らせる作業も追加します。いずれにせよ、自分が漆に合わせる感覚です。繰り返し描いては乾燥させ、描いては乾燥させます」。複数の作品を並行して制作し、小品でも数ヶ月は要することが多いという。

『ほほえみのビオトープ』2024 撮影:コムラマイ

 前述の通り、漆は「工芸」に特徴的な素材とされることが多い。工芸の領域では、漆は立体作品に使用されるのが通常だ。一方、沖田は漆を用いて平面作品を制作している。そのため、「あなたがつくっている作品は『絵画』なのか、それとも『工芸』なのかと聞かれることが多い」と沖田は言う。「絵画(美術)」や「工芸」といった既存のジャンルについて、彼女はどう考えているのか尋ねた。「ジャンル自体は文化として発展してきたもので、その存在や意義を否定するつもりはありません。しかし、つねにジャンルは流動的なものであると思います。ですので、固定化されたジャンルの概念に作家が拘束されてしまうことは本末転倒です。ジャンルとの対話を楽しみ、向き合う姿勢を大切にしたいと考えています」。

 では、漆という素材の特性や可能性については。沖田は、こう語る。「完成後の変化が大きいことは、漆の魅力です。漆は木が傷口を守るという防衛本能から生成されるものですから、植物としての漆の生命エネルギーのようなものを感じることができます。私は、生命の一部をいただくことで作品を制作しているのです。漆との共作は簡単な作業ではないですが、それを不便だと感じたことはありません。つまるところ、私は「物質であり、かつ生命である」という漆の二重性に魅かれているのだと思います」。漆について語る沖田は、どこか楽しそうであったのが印象に残っている。

「中心」と「周縁」——「地方」という視座

現在、沖田は金沢を拠点にして活動を展開している。地方都市を拠点に活動することの、利点と課題についても聞いた。「金沢には大都市には少ない『余白』のようなものが残っている」、と沖田は語った。それは人や情報の余白を意味しているのではないか、と筆者は思った。アート界は大都市中心的であり、情報や人的ネットワークの面で地方は不利だと思われることも多い。だが、沖田自身はさほど不利には感じていないと述べる。むしろ、地方にできあがるユニークなヒトやモノのエコシステム(生態系)を気に入っているという。

 また、「工芸」の盛んな北陸地方では自身の作品に関心をもってくれる人が多いことは利点となっている。工芸関係のスペースも多い金沢で活動する沖田は、そのように述べる。また、金沢周辺に広がる産地のネットワークは彼女の芸術実践を力強く支えている。素材や生産を担う、人や情報の交流を沖田は心強い味方だと考える。また、地方ではアトリエを借りる家賃が格段に安い。そうした利点もあるのだ。

 

金沢のアトリエ

一方、課題としては東京などで展覧会を開催するために必要な資金である。輸送や設営には、当然ながら金銭的・人的コストがかかる。そうした課題を、沖田は「体力」で乗り切ってきた部分があったという。加えて、今回のクマ財団の助成のような外部資金を獲得する努力を継続しているという。沖田は地方で活動することの利点を十分に活かしながら、その課題を克服するための工夫を凝らしている。同じく地方で活動する若手のアーティストにとって、沖田のような存在は希望の所在となるはずだ。

おわりに

沖田の「洞穴の暗がりに息づくもののために」展に関連して、特に強調しておきたいことがあとひとつある。展示室のひとつに掲げられた文章に追加された部分があった、と彼女は述べた。それは「海を越えて運ばれた漆芸品の交易における北前船の重要性」に関する部分である。江戸時代から明治時代にかけて運行していた「北前船」の重要な寄港地のひとつとして、能登国における輪島や七尾あるいは珠洲などが含まれていた。ご存知の通り、地とも2024年の1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」において大きなダメージを受けた場所だ。

 しばしば見過ごされてしまう史実としての北前船への言及には、被災地となった土地に対する「再生への願い」が込められているという。輪島は漆芸品の一大産地であり、伝統工芸の継承において震災は壊滅的な影響を及ぼした。同じく石川県にある金沢美術工芸大学に在籍する沖田にとっても、大きく心を痛める出来事となった。加えて、「漆と描く」作家である彼女には人ごとではない深刻な問題である。実は、筆者自身も金沢美術工芸大学で教壇に立っている者である。被災地の一早い復興を心から願うと同時に、自分にできることを考えていきたい。きっと、沖田も同じ気持ちを抱いているはずだ。


 

沖田愛有美
漆をメディウムとした絵画作品を制作している。絵画や工芸の区分にもとづく還元主義的な表現の規範化を回避し、自然界の現象や様々な種、それらと非人間の境界など複数の要素が複雑に結びつき絡まり合う様子を生きる描画材料との協働によって描き出す。
1994年岡山県生まれ。金沢美術工芸大学大学院博士後期課程在学中。

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