インタビュー

活動支援生インタビュー vol.56 Meta Flower 「環境の変化がもたらした現在地。手放すこと、許すこと。」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
活動支援生インタビュー、はじめます!


Meta Flower

爆破という手法と視点により、衝撃破を用いた彫刻をアートに昇華させたMeta Flower。一般社会や普遍的な価値といったものに対するアイロニーを強く感じさせながらも、危うげなほど拭いきれないピュアな感触、しかし確かな知性も伴う独特な感性は、スマートさとある種の野蛮さが同居しているように思え、話を聞いているだけでもフツフツと湧き上がるような心地のよい高揚感を与えてくれる。爆破やアートという括りだけではおさまりきらないスケールの大きさと、等身大の人懐っこさを同時に感じさせてくれる、彼の衝動の原体験やルーツから近況/現在地、今後の展開を聞いてみた。

インタビュアー/編集・校正Erolin

Meta Flowerの過去と原体験

——Meta Flowerとしては以前にもクマ財団でのインタビュー記事が上がっていましたので、活動の沿革としてはそちらの記事も踏まえつつ、私自身がアート領域にあまり明るくない人間ということも加味しながら、今回は若干違う角度のインタビュー内容にできればと思っています。では少し過去にプレイバックした話から順にしていきましょう。まずは幼少期について。ご自身で振り返ってみると、どんな子どもでしたか?

Meta Flower:記憶の中から抜粋して話す感じになるのですが、小学3年生の頃にとても教育熱心な先生がおられて。ママさんたちの中でも評判が良かったりだとか。でも、その先生を激怒させたことがあったんですよね。怒らせた理由自体はボンヤリとしていますが、強烈に覚えているのは「君のやったことは正しいけれど、間違っている」と、先生に言われたことで。

——その言葉だけで真意はわかりませんが、ルールや倫理的な線引きを意識しつつも、先生の立場としては怒らなきゃダメ、といったところだったんですかね。

Meta Flower:そんな感じだったんでしょうか。でもひねくれた子どもだったんだと思います。他のエピソードを話すと、武田双雲さんという書道家の方がたまたま近所に住んでいて、彼に書道を習っていた時期があって。そんな中で自由書道大会(小学五年生の時かな)みたいな催しがあったとき、そこでは好きな文字を選んで書くというものだったんですが、自分は絵を描いちゃったんですよね。

——あら、それはハミ出しちゃいましたね。

Meta Flower:もちろん絵を描いたのは僕しかいなかったんですけれど、それがコップと蛇口の絵だったんです。蛇口から流れてきた水がコップから溢れている絵で、排水溝?とあわせて生と死を描いたという。コップから溢れた方が死だったんですよね。「生と死」といったことには、子どもの頃から興味あったんだと思います。

——何かを作ったり、それを世に出そうと思うキッカケになった原体験があれば聞いてみたいなと。以前のインタビューでは音楽(ラップ)の方が先立ったようなことも話していたようですが。

Meta Flower:そうですね。でも美術に自信を持ったのは中学校の先生に良い成績をもらえたとか、そういったものがルーツになりそうです。もっと前の話だと、小学校1年生の頃に何かのコンクールで選ばれたりだとか。

——なるほど。でもそれだけ小さい頃に、隣の子よりも自分の方が上手く絵を描けるなぁと思ったり、先生や周りの人たちに褒められたり表現を後押ししてくれることが重なると、自分はそういうことを上手にアウトプットできる人間かも、といったような自覚が小さな頃から芽生えたりしませんでしたか?

Meta Flower:うーんそこはどうだろう……でも、単純に作るのが好きでしたね。本当に小さい頃は泥団子とかも大好きで。しかしそういったピュアな気持ちと同時に、ジェラシーを最初に覚えたのも美術だったんです。同じクラスに自分より評価されている子がいたりすると悔しかった覚えがあるので。そういう競争心は、もしかすると当時の方があったように思います。あと、母が東京芸大に通っていたことを聞いて育ったことも要素としてあるのか、音楽じゃなく美術の道へ進んだのは周りに認めてほしい気持ちがあったのかもしれません。まさかここまで続くとは自分でも思っていませんでしたが。

こうして話していると思い出してきますが、何かを作るというのは自分の気持ちを伝えるツールだったんだと思います。自分をひねくれた子どもと感じていたことを含めて、未だに他人とのコミュニケーションは難しいと思って生きていますし、何か伝えたいことを伝えるための手段の一つだったのかなと。先ほどの書道の話じゃないですが、自分の考えを文章にしたりするよりは、誰もが分かる絵を描きたかったという感じですね。

——自分自身ではひねくれてると言いつつも、ピュアな部分が垣間見えて興味深いです。彫刻という手法との出会いに関してはいかがですか?

Meta Flower:高校生のときに、美術の先生に「お前みたいなスレた奴は美術をやりなさい」と言われて、勝手に美術展みたいなものに名前を書かれて提出されてしまったんです。最初は渋々だったのですが、結果的にそのとき作った作品が初めての彫刻作品となったんですよね。高校にあった切り落とした丸太と、壊れた校門の鉄心?のような鉄の棒みたいなものを素材にして、それらを組み合わせた作品で。その作品を、後に通うことになる予備校の先生が見てくれて、美術の道を薦めてくれたんです。

——彫刻自体には興味があったんですか?

Meta Flower:いや、その予備校に入ってから見るようになりましたね。いま話している高校生のときの作品も、先生に渡された素材でしたし。たまたまの偶然が重なったところもあります。

影響を受けた3名のアーティストと“爆破”のきっかけ

——そういった偶然をスタートラインとして、現在は彫刻家として活動されているわけですが、影響を受けた方やアーティストについてお聞きしたいです。

Meta Flower:まず彫刻家では細川宗英さん。あと華道家の中川幸夫さん。そしてもう一人、鉛筆画で知られる木下晋さんですね。

——細川宗英さんは彫刻家ですが、それぞれジャンルの違う3名ですね。

Meta Flower:細川さんは自分が彫刻というものを選んだ中で、特に影響を受けた人になりますね。シンプルにかっこ良いなと。コンセプトとかを通り越して「モノとして強い」と感じています。僕も自分の爆破作品にコンセプトへの言及はしますが、モノとして強い、というところで止めたくて。そこは大事にしたいと思っています。

——その「モノとして強い」というのは、先日開催された高島屋(京都)蔦屋書店の展示にてMeta Flowerの作品をようやく初めて生で見ることができたのですが、そこでとても強く感じました。あれだけ整然とした空間の中だと余計に違和感を覚えたというか、とにかく剥き出し感がすごくて。作品自体、あんなに大きいものだと思っていなくてそれにもビックリしましたね。ゴツい岩が置いてある……って(笑)

Meta Flower:ははは、ありがとうございます。そうですね、確かにあれだけ生々しかったり、自然なままだったりするものは中々ないですもんね。話を少し戻すと、2人目に挙げた華道家の中川幸夫さん。血筋として生け花の流派を汲む家に生まれた方なんですが、小さい頃に患った脊椎カリエスという病気で、背中が大きく曲がっているんです。華道って花がこちらを向いている方、ということで”正面”があるんですけど、その中川さんは自分の背中が曲がっているからといって、普通とは違う捉え方をして作品を出したりしたんです。それで破門されたり、最後まで流派には決して属さなかった方でした。華道界のパンクスですね。

——いや、もう全然知らなかった方なのにキュンキュンしますよ。とても素敵です。

Meta Flower:中川さんは華道というものを覆すような作品をずっと作っていた方で。美醜が入り乱れる感じで、もちろんモノとしての強さもありますし、花の挿し方ひとつで全てをひっくり返してしまったような人。呼吸するように革命を起こしてしまう人には凄く憧れます。

最後に挙げた木下晋さんは、ハンセン病の方の肖像だけを鉛筆画で描き続けた方ですね。あとはパーキンソン病の妻の絵など。有名な方に絵を依頼されても絶対やらずに、自分のパーソナルな部分とガチガチに向き合っているという。ちなみに木下さんとは先日、初めて会うことができて凄く嬉しかったです。あのストイックさにも憧れてしまいますね。

——あらためて彫刻の中でも「爆破」という手法を選んだ理由を聞きたいです。モノとして強い、といった要因も先ほどありましたが、あらためてお聞きできれば。

Meta Flower:ヒップホップでいうサンプリング、音を刻んでチョップしてバラバラにして、そこから曲を作るっていう行為。あれをアナーキズムに返すって言った人(セノオGEE)がいるんですよ。権力や何らかの意味を持ってしまった音楽を、サンプリングして切り刻んで野に放ってあげることで、本来の姿に戻す行為だって。この話をハタチ過ぎの頃に聞いて、とても影響を受けました。

そういったところから爆破に繋がるのですが、細かい彫刻のジャンルなどをバラバラに解き放ちたかったんですよね。彫刻の中でもジャンルはたくさんあるのですが、何だかそういった羅列した肩書きみたいなものを全て吹っ飛ばせると思ったのが「爆破」というものを選んだ大きな理由です。彫刻というものを裸にするような。

——なるほど。この爆破という手法を選んだ人って今まで他にいたのでしょうか?

Meta Flower:火薬を用いて何か書いたりとか、爆破で作品を割ってとか、といった方はいますし、写真家でも環境問題の作品で採積場の石が吹っ飛んでいる写真を撮ったりする方などもいますけど、爆破を目に見える形にしたのは自分が初だと思います。反転させた、というか。目に見えない波動であり、空気でもなく放出されたエネルギーっていうのを僕は彫刻と呼んだんですよね。今まで物質に依存していた彫刻っていうものに対して、僕はそのバン!ってなった瞬間の目に見えない波動自体が彫刻なんだと。

アメリカ旅行で出会った、とある抽象画

——昨年はニューヨークに行っていたんですよね。

Meta Flower:ニューヨークはコロナで留学できなかった腹いせみたいなところが最初でしたね(笑)候補はイギリスかドイツかアメリカって感じだったんです。とても迷ったのですが、ヨーロッパからアメリカにアートが移っていった美術史、その経緯などを俯瞰で見たいと思ったのが大きな理由の一つでした。それによって自分のことを俯瞰でみるキッカケが欲しかったというのもあります。あと、日本の美術が素晴らしいことはもちろんですが、ニューヨークに行けば最先端のものが見れるんじゃないかとも思いましたね。

 

——全体としてインプットとしての目的が大きかったんでしょうか。

Meta Flower:そうですね、なので基本的にはギャラリーや美術館を巡ったり。でも今になって思えば、2022年に良いことも悪いことも沢山あったので、単純に場所を変えたり放浪したかった気持ちもありましたね。ニューヨークだけにいる感じでもなかったので。ジャック・ケルアックのオン・ザ・ロードみたいな。あれも辛くて旅に出るとかそんな話ですし。

——アメリカで印象的なエピソードは何かありましたか?

Meta Flower:カルチャーの流れを最初から全体で見てみたくて、ロサンゼルスからニューヨークまで3週間かけて車で移動したりしたのですが、エピソードとして最も印象的だったのはジョージア・オキーフという抽象画の始まりともいわれている方が住んでいた、サンタフェという街に行ったことですかね。アメリカの美術を語るには切っても切れないような方で。

そこに辿り着くまで、荒野や砂漠のフリーウェイでカーブなしの直線道を600キロとかぶっ飛ばして行くわけですよ。そこで眺めていた夕日、そういった見ていた風景がオキーフの美術館について絵を見たときに、バーンって自分の目の前に現れたことにすごく感動してしまって。もちろん抽象画なので色やトーンのバランスで見せてるわけですけども、当たり前と言えば当たり前の話なんですが、その絵と自分が見た風景が本当に同じで。当時から何も変わっていない。時間ってこんなにも無力なんだなって思いました。ある種の無邪気さというか……ただ強くそびえていて、無慈悲に存在しているという。

夫が写真家で、まだカラー写真が簡単じゃない時代に土地の空気感をキャプチャした抽象絵画は偉業だなって思って。ああいったものに価値がつくのはとても良いことだと僕は思いました。そしてサンタフェはニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐアートの街だと言われていたりして。色んな芸術家が移り住んだりしていたみたいです。とても良い街だったのでもう一度行きたいですね。次に行くことができたら1週間とか2週間くらい泊まりたいなと。

 

資本主義社会の中におけるアートの価値とは?

——私自身がアート畑の人間じゃないといった視点から、あえてアートの価値について聞いてみたく思います。もちろん野暮な風にも思いますが、そこにつく値段とかを含めて「良し悪し」といった概念は横たわっているように見えますが、いかがでしょうか。

Meta Flower:難しい質問ですが、やっぱり知的財産としての文化、その側面は否定できないと思っています。今この時代にこういうことをしている、というのは価値がつくべきだと。戦争だとか反乱だとか、悪いことや歴史とかがあっても、それを踏まえて繰り返さないようにするとか、それをちゃんと残すとか。

人の営みとしても、その最小ロットみたいなものが個人一人一人が作る絵画や彫刻になってくるんじゃないかと思っていて。単位を縮めていくと、自分はそこに美術があると思います。ちょっと感覚的な話になっているかもしれませんが、美術に金額をつけるっていう話はそもそも最も縁遠い行為のはずなのに、ここでいう個人と資本主義とが対極にあるものがゆえにそういうことが起こってしまうのかなと。伝わりますかね?(笑)

——理解できますよ。少し言葉を借りるとして、最小ロットと最大ロット。その間で自分たちは生きている話。

Meta Flower:価値づけをしたくなくてもしなきゃいけない、ってことでしてみると、ようやく世の中においての美術になるというか。息を吹きかけてあげる感覚。ひとこと与えて動くロボットみたいなもので。それで最小ロットと、最大ロットの中に入っていける。

——いまの時代、自分たちは資本主義というシステムの枠の中で生きていて、さらに所属している国や団体などの単位があって活動しています。もしそこから飛び出すことができればお金が必要ない世界もあるにはありますが、正直なところリアリティはあまりないですよね。

Meta Flower:価値づけというのは先ほどから話している最小/最大ロット、その中にどう参加するかっていうレベルメーターではあるなと。でも若い方とかで、そういうことで迷っている人がいたら……と思って話してみたところもありますが、アートに価値なんて、と野暮な風に思ってしまうのも凄く理解できます。

最後に“手放す”ということ

——インタビューもそろそろ終盤ですが、今日は時間に余裕ありますか?

Meta Flower:大丈夫です。もうオフにするつもりだったので。というのも、昨日ヤケ酒にヤケ酒をしてしまって。何年か前にバイク事故で死んじゃったツレの誕生日で。なんか……思ってたより自分は我慢していたんですかね。

——それはそれはお大事に。これは雑談のつもりだったんですが、環境の変化や身のまわりで起こった出来事などから影響を受けることがあるかどうか、という質問をちょうど用意してたんですよね。

Meta Flower:いますぐに上手くパッと言葉にはできないんですけど……これまで絵にしろ彫刻にしろ、人に薦められて始めたことが多かったんです。自分で判断した人生を歩めてないと思っているんですよね。ラップにしても、人にやってほしいと言われて始めたところもあったので。もちろん自分でやりたかった気持ちと交じってはいますが。周りの環境が常に変化していく中で、自分が台風の目にいるような感覚があって。身のまわりの環境だったり、人間関係だったり、自分の感情だったり。

——流動性、みたいなものですかね。

Meta Flower:作品や展示、といった表現も常にそういった変化に動かされています。自分の血や肉や骨を作っているのは、自分のまわりの環境であり人であるから。やっぱりそういった自分の人生のドラマみたいなものから作品が生まれてきているわけで。先ほど話した友人の死もそうです。でも、こんなにも耐えられないものだったのかという。相当しんどかったんだなと。

——自分の中で、生と死というものが思っていたよりも大きいと感じたのかな。それだけ大事にしている、とも捉えられるけど。

Meta Flower:そうなのかもしれないですね。これ、自分の作品では一貫している部分でもあるんですけど、最後に完成ってところで「手放す」ってことをしているんですよね。自分でやれることはやるけども、最後は何かしら事象をくっつけて手放す。爆発も同じことです。形は自分で作れない。もしかしたらそれが凄く”生と死”に近いのかもしれないです。

——自分でコントロールしきれないもの。

Meta Flower:そうですね。あとこれも繋がる話なんだと思いますが、いわゆる世の中において、自分はできないことが多いんです。アーティストって、自分が何をできないかを自分で理解することってとても大事だとも思っていて。どう伝えるかは難しいですし、その都度すごく悩みますが。でも最近、そういった変化している中であった出来事を通じて作りたいと思った作品があって、それに着手しています。

爆破の人で終わるつもりはない

——私とMeta Flowerとの最初の出会いは音楽の現場でした。ずばり、2024年におけるハードコアパンクとは?

Meta Flower:難しい質問ですけども……コロナで分断された中で……なんだろう、何かに憎しみを持たないでほしいとは思うんです。日本も不景気ですし。何かを恨まないといけない人が多い。

 

——それはすごく共感できます。

Meta Flower:そしてそれを「誘発する装置」が多すぎる。それをデストロイしたい。でも軍団じゃないというか、個人で自分の意思をどう正しく持つかってのが今は大事だと思っています。

——隣の知らない人もきっとそう思っているはずだ、って信じたいんですけどね。簡単なことのようで、なかなか難しい。

Meta Flower:一番安くて金のかからないエンターテインメントが悪口だって、みんな気付いた方がいいですよ。本当に心の底から楽しいのかな?って。だから悪口ばっかり言っている奴らは、お金をかけずにエンターテインメントを楽しもうとしている心の貧乏な奴だってことに気付いた方がいい。炎上商法とかもそう。最近ずっと不満に思ってます。

——何だか意識して見ているわけでもないのに、凄く嫌な気持ちにさせられるというか。さっきも話していた「誘発する装置」みたいなものは確かに凄く多いと思う。ハードコアパンクの話に戻すと、中指おっ立ててダーティーな音楽性で考えや思想的にもカウンターだったはずが、何だか最も誠実なものに思えてくるというか。

Meta Flower:自分の口で言うならば「許すことから始めたい」ということかな、と思っています。

今後の展望

——では最後に今後の展望を。

Meta Flower:まず、自分を楽にしてあげたいっていうのがありますね。アーティスト/彫刻家として始めてもう10年とか経つんですけど、色んなことがありすぎて少しハードすぎるなと。マイアミで本当の天才というか、とんでもない生まれ持った才能みたいなものを目の当たりにしたこともありますが、やっぱり自分は凡人だと思っていますし。

そうなると、自分に才能がないと思っているからこそ、気を狂わせなきゃいけないところがあって。でもその気の狂わせ方が最近はちょっと辛くて。だから展望という意味では、頭の中の作品を出してあげて、楽にしてあげたいっていう。

——職業をアーティストにしている人たちの、本当にハードさというか。自分でさえも全然計り知れない部分があって。命を削っているような感覚。だから、自分を楽にしてあげたいっていう言葉も、スッと入ってくるところがあります。アートに限らずかもしれませんが、アウトプットや何かを作り出すことって自分に対する救済みたいなところはあるとも思っているので。

Meta Flower:それは本当にそうだと思います。でも何かが思いつかない、ってことを今のところ人生で味わったことがなくて。数が出ない、はあるんですけどアレがやりたい、コレがやりたい、っていうのは尽きた体験がないんです。

——それは自分からすると立派な才能のように思えるけどね。

Meta Flower:なのでシンプルに、新しい作品や展示を見に来てほしいです。

人の生命を形に落とし込んだ作品を22年に作ったのですが、発表の仕方に苦戦しています。もっと美術史の勉強もして、自分のやっていることがどこに位置するのか、とかも悩みながらやっていけると幸せですね。爆発の人で終わるつもりもないので。

 


Meta Flower
1994年、藤沢生まれ。ラッパー、美術家。
東京藝術大学美術学部彫刻科、学部、修士卒業。
アンダーグラウンドからメジャーまで、海外でも楽曲制作を行っている。
爆薬を地中にて起爆し、衝撃波のエネルギーを模った世界最速彫刻を制作。
そのほかに、文字や人のやり取りを彫刻とする文字盤も発表している。
Instagram |https://www.instagram.com/metaflower_w.f/?hl=ja

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