インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.64 渡邉 泰成「火との時間——自然で不自然なこの世界のために」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
活動支援生インタビュー、はじめます!


taisei watanabe|渡邉 泰成

 2024年夏、日本橋三越本店にて渡邉泰成による初個展「un natural realism」が開催された。会場には美しくも複雑に構成された文様が施された陶器のほか、複数の粒が張り付いた奇怪な果物の彫刻が配置され、観る者の感情を刺激する。単にウツワを観るだけでは決して起こり得ないこの感覚の揺さぶりに、作者は何を託すのか——詳しく伺った。

聞き手:吉野俊太郎

 

「不完全な」美を追い求めて

「un natural realism」会場風景

——今回の個展「un natural realism」について、どのような展覧会であったかをお聞かせいただけますでしょうか?

渡邉:この展示は僕の初個展で、今から2年前に開催が決まりました。僕は当時東京芸大の修士2年になったばかりの時期だったんですけど、ちょうどクマ財団に採択されてすぐくらいにこのお話が来て。三越さんは百貨店として歴史が長く、ちょうど昨年には350周年を迎えた時期でもあったので、僕の中でも緊張感がありました。この工芸のブースに20代で個展を開く作家はそこまで多くはないことから頑張らねばと思い、お話をいただいてからは大学院在学の間ずっとこの展示のプランについて考え、ついにこの度会期を迎えることとなりました。それまでにはいろいろと試行錯誤もありつつ……。

今回は僕が制作テーマにしている「不完全な美」や「侘び寂び」といった陶芸や茶の湯の世界で特有の概念を、器と、オブジェ的な作品との2つのスタイルで表現し発表しています。

——その「不完全な美」「侘び寂び」の概念について、渡邉さんの考えるところはどのようなものですか?

渡邉:僕は本当にシンプルに「崩れているけどそれが美しいよね」という意味の捉え方をしていて……。

ある種自分は不完全だということで逃げ道を作っているのかもしれないし。「不完全な美」ってどうとでも取れるというか、さまざまな解釈な解釈ができる。僕自身もその都度考え方や価値観が少しずつ変わっていく中で、ずっと追求できるテーマだなというか(笑)
今は工芸で当たり前の装飾が美術的には「不要だよね」と言われる中であえて美を見出してやっているという考え方なんですけど。次に考えている作品とかは逆に装飾を一切無くそうとも思っていて。その都度作る作品によって「不完全な美」の捉え方がまったく変わるんだろうなあと。あらためて「不完全な美」ってなんだろうなと、常に考えている感じではありますね。

——たしかに、そもそも陶芸で「不完全な美」を制作テーマに置いて作陶することは難しそうにも思えます。「侘び寂び」の例によく挙げられるものとして思いつくのは欠けた茶碗ですけれど、あれは一度茶碗として焼き上がり/完成というタイミングを経ていて、欠けという不完全さは後天的に獲得しているものです。一方で今回の会場の百貨店などで取り扱われるものは商品としての完全さを暗黙に前提とされてもいるわけで、本来欠けなどは許されないはずでしょうし。

渡邉:そうですね。それで言ったら僕の作品はしつこいくらいに焼成しています。一般的な陶芸なら2回焼けば普通に使用できる器になるんですが、自分はそこからが始まりというか。装飾と焼成を繰り返すことで、“完成”しているのにあえて壊し続ける作業をしているところはありますね。窯の中は未知なので……。それで最後の最後に窯出しの時になんだか自分が思い描いていたものと違うものができてしまう、みたいなことがたくさんありました。でもそれが見る人によっては良いものと捉えられたりすることもあるので……。

窯を通す、一度自分の手から離れたところで作品が完成するということを、僕は当たり前すぎてこれまであまり言語化してこなかったんですが、普通に考えたらおかしいですよね?怖い、というか。

《Reborn》2024年

——まかせる作業ですものね。

渡邉:そうなんです、この《Reborn》も8回くらい焼いていて。シンプルな蓋物なんですが、冷静に考えたら失敗しやすい工程が多々あって、それを何度も乗り越えて無事生還した作品でした。そういうことは陶芸だけかなあという感じがします。漆など、工芸の他の素材でも「見れない」ことはないので……陶芸は一度窯に入れてしまうと中の状態がまったく見えない。その中でもっと新しいこともできるんだろうなと思いつつ、無限の可能性があるこのメディアは人生一周じゃ足りないですね(笑)

 

自然で不自然なこの世界に

《vegetable skin》2024年

——「un natural realism」というタイトルについて、展覧会では「日常における不自然な事象は全て現実であり、作者による想像の世界は常に我々の生きる時代の何処かに存在する」というような説明がありました。ここで言う“想像の世界”というのはどのようなものなんでしょうか?

渡邉:ええと……《vegetable skin》を観た方からよく「『こういう粒がついてたらおもしろいだろうな』みたいな感じで作ったんでしょう?」と、僕の創作した現象かどうかを聞かれるんです。でも実際は、似たような雰囲気の野菜を僕が現実に見ていて、そこから着想を得て制作しているように、見る人によっては僕の想像や僕が作りあげたオリジナルの世界に写るものも、実は実際にあったことから作られている。
さらに言えば、僕が作っている器も含めて、全てはきっと何かしらから影響を受けて作られていて。たぶんどんな作り手もきっと何かしらそういう影響を受けている、というところからこのタイトルを考えました。あとは自分の作品は日常的によく目にするものをモチーフに取ることが多いことも関係しています。

——実際にあったことなんですね!作品のあの粒は、腐敗ですか?それとも変異?

渡邉:変異です。農家の人が捨ててしまっていたものを以前、青森でリサーチしてた時に偶然見かけました。農薬だったり、内側から出るいろんな要因でこうなってしまうそうなんですが、でも本物はもっと生々しくて。その色、その素材感のまま膨れ上がっているので、僕が見たときは怖さと同時にどこか生命感を強く感じて……。作品の始まりとしては、野菜や果物に粒つけてみたくなったっていうシンプルな動機ですが(笑)そこから、こういった粒の作品っていうものを作り始めました。

近所のスーパーや農家さんで廃棄になったものを、ちょっと腐ってるとか状態が良くないものをもらってきて、それを捨てずに型取り、土っていう素材に置き換えて。で、一見では状態が悪い様子が見えないように粒で傷とかを隠したりした、というのがあのシリーズになっていて。

制作風景

——粒は傷を隠すためのものでもあるんですね!

渡邉:これは本当に陶芸の技法的な問題なんですけど、焼き物って焼くときにすこし縮むんですよね。昔はたとえばリンゴの形を作るにしても収縮率を計算して、大きめに形を造っていたんですが、今回はもらってきたものをそのまま型取りしているので、やっぱり一回り小さくなってしまうんです。そのスケール感の変化が自分はすごい気になって、これはその分のボリュームやスケール感を補う意図もありました。
廃棄になった果物や野菜たちの突然変異も、もしかすると世に流通するための必要不可欠な現象だったのか?みたいなことを考えて、自分が粒をつける行為の必要性ともすこし関連付けながら作品にしようと考えていました。

でもこの話を、たとえばテキストやキャプションとかには書けないなと思っていて。これが捨てられてたものだったとか、この粒が実は農薬とかの良くないものを原因にしていてなんていうのは書きたくなかったんです。
この作品を見る人はさまざまな捉え方をしていて、この粒がついていることによって「かわいい」と感じる人も多いし、逆に集合体恐怖症の人とかは「気持ち悪い」「本当に無理」と言うように、いろんな感想があると思うんですけど。
そうした中で僕がこれを良くないものって限定してしまった場合に、その人たちの最初の価値観をちょっと否定してしまっている気がするんです。だから僕はやっぱりモノとビジュアルで戦う作家だと思ってるので、考えがいろいろあっても書きすぎない、なんなら書かなくてもいいんじゃないかっていうのは、大学にいる時から教授たちにも頻繁に言われて。「内側にそういうのを決めておくのはとても良い。でも、言わなくていいこともおそらくたくさんある」と。

言語化しすぎないというか。見に来た人が興味持ってくださって、聞かれたら説明するくらいが一番いいのかな?みたいに考えています。

《Crowd》2023年

——粒を作ることになった発端は、その変異した果物を見た経験だったわけですか?

渡邉:同時ですね、興味本位で粒をいろいろなかたちに付けて試していた時期もあって。それでクマ財団ギャラリーでの展覧会「Body Cover」の際に粒がついたリンゴをたくさん敷き詰めた作品を作ったんですけれど。

——《Crowd》のことですね。

渡邉:そうです、その作品こそが青森での体験の直後のもので、かなりストレートな表現でした。その後に修了制作で色がついた果物を作って……もともとはもとの外見や造形ばかりに目が行っていたんですけど、色自体にも特徴はあるし、あとは生命力的な、なにかきっと内側から感じられるものもあるだろうということで、本体の果物部分と同じ色の粒と、黒い粒とが混ざった作品になっていますね。

——修了展で拝見したときも色については気になっていたのですが、つまり自然由来の粒に対してイメージの粒がそれぞれ色分けされて共存しているということですかね、興味深いです。

 

部分:《Crowd》2023年

 

遺ってしまう作品たちへ

渡邉:実は、陶芸をやめるか迷ってた時期が去年あって。

——そんな時期が?

渡邉:去年の夏、実家が火事で全焼して。家族は無事だったんですけど、死にかけて、住む場所もなくなってっていうことがあって。
で、その時に……陶芸、というか作家自体をやっていていいのか?みたいにどこかで思う瞬間があって。僕の両親は特に口出しもせず「自分のことなんだから好きなことしたらいいよ」と、僕に好きなことをさせてくれる方針だったのでこれまであまり考えたこともなかったんですけど……そう遠くない未来に同じようなことがあって誰かが死んでしまったり、何かが起きたときに「作家でいていいのか?」「火を扱う作家であってもいいのか?」みたいに、頭を抱えてしまったんです。

——なんと。クマ財団ギャラリーでの展示の直後だったんですね。

渡邉:そうですね。それから本当に3〜4ヶ月は僕も今後の方向性に悩んでいた時期で、まったく制作ができなくなってしまって。そうなったときに、事件の際は東京にいたのもあったので、燃えてしまった実家の状況を実際に見ておきたい、見ておかなければと思って。それで行ってみたらもう……家自体は見るも無惨な姿になっていたんですけど、器だけはマジで綺麗に遺っていて。

——へえ!

渡邉:やっぱり、遺るってとんでもないことだなと。両親が食器として使ってくれていた作品があったんですけど、その日食べようとしてたご飯は燃えてるけど、食器は綺麗に遺っていたのを見つけてその時、なんだか逆にもう「陶芸やりな」ってことなのかなと思えて。
そのことは出来事として大きかったなと思います。

——重大な出来事ですね。陶芸をはじめたもともとのきっかけは何だったんでしょう?

渡邉:もともとは漆芸をやりたかったんですけど、自分が進学した愛知県立芸術大学の学部では、最初から陶芸しか選択できなくて。当時は轆轤(ろくろ)と手捻りの技法しか知らなかったんですが、ある時に型を使った技法があるってことを知って、「この技法は難しいけど、やってる人も少ないし面白そうだ」と思ってからは轆轤を一切使わずに器を作ったり、今までに自分が持っていた陶芸のイメージ通りの作品は造らないでおこうと決めて現在に至るっていうのはありました。

そんな中、去年にそういった出来事があって、より陶芸であることの意味を考えてしまっていますね。

——この表現は怪しいかもしれませんが……「火事に背中を押されている」という印象です。
もはや美術とか工芸とか、そういうスケールではないですよね。“ものの力”のようなものを見せつけられるという、巨大なエピソードに感じます。

展覧会では《vegetable skin》とは別に器の作品も多かったですよね。こちらにも今の経験は影響しているんでしょうか?

渡邉:その出来事があってこその変化かはわからないんですけど……ただ「後世に遺す」ではなく「遺ってしまう」のだとしたら中途半端なものは作れないと思いなおしたところはあって。
自分が今まで作っていたものとかも「遺ってしまう」んだと考えるようになったので、自分の中で少しずつ今までの作品とかも改良を重ねたりと、工芸分野に携わっている者としてより技術を追求するようにはなったかもしれないです。

それで結果的に、この展示には僕が前にアシスタントをしていたアーティストの方も来てくださって、一年前に見ていただいた茶碗とかと比較して「進化してるね」「具体的にはわからないけど明らかに良くなってる」と言っていただけて。特に作品タイトルなどが変わっているわけでもない些細な変化だけど、ちゃんと伝わるものなんだと思って嬉しかったです。そして精度を高めていくことも今後必要なんだろうな、とも実感した展示でした。

直接火事があったからどう、こう、っていうことではないのかもしれないですけど、でも純粋に良いものを作りたいなっていう意識は高くなったかもしれないですね。このような場所で展示させてもらえるんだから。

 

《layer bowl》——層状の時間

《Teabowl #6》2022年

——《layer bowl》シリーズなど、器のデザインはどれも隙が無いですよね。
実際にそれらをデザイン、描画するにあたってはどういったイメージが元になっているんでしょう?

渡邉:実はもともと漫画を書いていた時期があって。当時アナログで書いていた漫画に、徐々にデジタルを混ぜていた時に、これをこのまま器に載せることってできないのかなと思ったんです。
今これらの作品に使用しているのは抽象化した漫画で、初期はコマワリとかコマの形状とかそういったものをイメージしながら作っていたんですけど、それがだんだんと器の形に合わせて変化して簡略化していたっていう経緯でした。

《layer bowl》というタイトルは、その漫画をデジタル上で人物や背景を描き分けるときに発生するレイヤー分けの作業を、陶芸の修正温度とに割り当てようと思って付けたものでした。この作品も黒が多めなんですけど、この黒は全て焼成温度が異なっていて。

——色と温度ごとで絵のレイヤーを分けているからこのタイトルなんですね!

渡邉:陶芸だと、絵付けと焼成の順序を間違えると先に付けた色への焼成温度が高すぎて飛んでしまうので。レイヤーごとに温度を下げて焼いていけるように考えなければならないんです。
どの色がどの温度帯で発色するんだろうとかは市販の釉薬だと目安の温度帯が書いてあるんですが、やっぱりそれと実際とはすこし違うので。それをテストしながら一番いいなと思える温度帯で窯を止めるようにしてっていうので、何回も焼かなければならなくて。1桁単位に温度を調整することの連続ですね。

あとは釉薬の溶け具合も僕の中でのベストが近年すこしずつ定まってきていて。いつもそれらのテストを続けています。

《Tea bowl》2024年

——釉薬の溶け具合はどういう点に影響があるんでしょう?

渡邉:透過度ですね、発色に関わってくるので。溶けすぎると反射して色が良く見えなくなってしまうし、かといって溶けないのもダメなので中間になるようにする必要があります。
材料を調合する人もいると思うんですけど、僕は窯の温度を操作して、自分が一番納得できるタイミングで止めるのを狙っています。本当に些細な変化なんですけど、それがさっきの現在までの技術向上にもつながっているのかなと……一年前と比較するとまったく異なっているなと実感します。

——ふむふむ。

渡邉:あとは一番大きな変化だと、器の内側を使えなくしてしまったというのが今回の展示の作品群の大きな変化というか。

——使えないとは、どうして?

渡邉:内側にコーティングを施してないので、抹茶碗でも淹れたら染みちゃって、おそらくお茶を注げないんですよね。でもそれはもう関係なしに、ビジュアルとして線を繋げていきたい、内側の空間につなげていきたいと思って制作した結果、ものとしての存在感は内側まで図像を繋げた方が高まった感じはしていて。
三越っていう場所は工芸に詳しくて目の鍛えられたお客さんが多いのでどう評価いただけるんだろう……とは思っていたんですけど、結果的に観る人はものとしていい作品を選んでくれるんだと思えました。また、最近お客様から内側にコーティングを施してない作品をお茶の席で使用したという連絡が写真付きで来て、それを見た時は自由に使ってもらえていることや実際に使えることが知れて嬉しかったです。

 

「やるでしょ、作ってるんだから」

アトリエ風景

「un natural realism」会場風景

——これまでお話を伺ってきて、作品の裏側に隠された膨大な時間と技術の存在を再認識しました。こうした、一見だけでは把握できないかたちで情報を与えていく手つきはコンセプチュアル・アートのそれにも似ているような、ストイックさを感じます。

渡邉:たぶん、今までの工芸へのリスペクトなんだと思います。というのは、僕はおそらく工芸作家の中では技術は持っていない方で、蓋を開けてみれば誰でもできるようなことを使って作品に昇華しているだけ。造形から、本当にシンプルなことを組み合わせてるだけなんです。

その中で、自分が徹底的に追求したこだわりってこれまでのすべての先輩作家さんたちがやってきているんだろうなと思いつつ、でも誰もそれを誇らしげに言うわけでもなく。なんかもう「やるでしょ、作ってるんだから」みたいな、そういうスタンスの人達に対する憧れなのかなと。
たぶんみんな必死にいろんな方法を、ずっと毎日考えて作っている。自分も当たり前のことをしているにすぎなくて、だから「これ、すごいだろう」みたいには死んでも、死んだ後でも言えない。

観る人はきっとそういうところを好きになるというのもあるだろうし。

 

 


今後の活動予定:

  • ・ 「ONE ART TAIPEI 2025」:2025年1月10日(金)〜12日(日)
  • ・ 「ART FAIR TOKYO」:2025年3月7日(金)〜9日(日)
  • ・ 個展:2025年春から夏、愛知・京都・東京にて開催予定
渡邉 泰成
東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。第72回東京藝術大学卒業・修了作品展メトロ文化財団賞。暁展-KOGEI competition-最優秀賞。陶芸の伝統技法を軸に、自分自身が影響を受けた現代の文化や社会問題を主題としたアートワークから、独自の手法で彩色を施した日常的な食器、茶器などの美術工芸品まで幅広く手掛ける。

ご質問は下記のフォームより
お問い合わせください。

奨学金
【第9期生】募集中

前期 2025.1.19まで

後期 2025.3.16まで