インタビュー

ニューヨーク・ベルリン・上海の路上で、コミュニケーションを彫刻する。〜4期生インタビュー Vol.7 若田勇輔さん〜

クマ財団が支援する学生クリエイターたち。
彼らはどんなコンセプトやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。
今という時代に新たな表現でアプローチする彼らの想いをお届けします。

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4期生41名のインタビュー、始めます!

若田 勇輔

 

1995年愛媛県生まれ。
武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科卒業後、東京藝術大学美術研究科デザイン専攻在学中。
ニューヨーク、ベルリン、上海などの都市に滞在し、街で紙ゴミを集め、その国や都市のマップを象った彫刻を制作するシリーズ作品を発表するなど、国外でも活動を展開。
クマ財団奨学生のインタビュー・対談の冊子『KUMAGAZINE』(クマガジン)を自主制作している。
OFFICIALSITE:https://www.yusukewakata.com

https://kuma-foundation.org/student/yusuke-wakata/

 

 

 

ニューヨークの空虚感を表現する手法としての紙ゴミ

――紙ゴミを集めて国や都市のマップを象った作品を制作されていますが、小さなものをつなぎ合わせて大きなものを創ることに、どんなこだわりを持っていますか?

 

若田 実は小さな花びら型のピースをつなぎ合わせるという技法に強いこだわりがあるわけではありません。あの作風を発見したとき、様々なサイズや形状、素材に展開できるという予感にワクワクして、結果的に同じ作風で多くの作品を創るに至りました。

もうひとつあのような作風を好む理由として、もともと僕は高校生の頃に岡本太郎やアルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治といった戦争を体験したアーティストに憧れて美術を志すようになったという原体験が挙げられます。僕自身は歴史や社会の避けられない不条理を表現する作家ではないですが、戦争体験から滲み出るリアリティのある作品に感動してアートの世界に進んだので、作品制作では“自分が闘った感”というのがすごく重要なんです。小さなものを大量につなぎ合わせて時間をかけて創るということが、作品に対する想いや責任と置き換えやすいというのが潜在的な理由だと思います。

 

――海外でマップのシリーズ作品を創るようになった経緯を教えてください。

 

若田 大学院を休学して、アーティスト・イン・レジデンスのプログラムに参加することにしたんです。それぞれ3カ月ほど滞在した都市が、まさに紙ゴミの作品を創ったニューヨーク、ベルリン、上海でした。

「Manhattan made out of Manhattan(2018)」様々な国の紙ゴミを収集し、その国や都市のマップを型どった彫刻を制作する。

 

――あれはストリートでゲリラ的に制作したものなんですか?

 

若田 完全にゲリラです。街を歩いていると、誰かしらストリートアートをやっているというニューヨークの環境に惹かれました。僕はもともと根性論で動くところがあるので、慣れない環境だからこそ、とにかく何かやってやりたい!と燃えてました。もちろん作品のコンセプトを真剣に考えつつも、それ以上に自分の作品で何かメッセージを伝えてやりたい、やりたい、やりたい……最初はそれだけだったかもしれません。

 

――素材に紙ゴミを使うことで、自ずとメッセージ性が生まれるように思うのですが、そこにはどんなメッセージが込められていますか?

 

若田 僕はなんでも享受してくれるニューヨークという街が大好きなんですけど、その一方で、ニューヨークに呑まれて周りが見えなくなっている作家も見てきて、そこに渦巻く欲求みたいなものに感化されつつ、傷つけられたこともあれば不快に思うことも多々ありました。新しいものが次々と生まれてくるニューヨークの空虚さを感じながら、僕の感覚を作品で問いかける方法はないかと考えたとき、街に落ちている紙ゴミが素材として適していると思えたんです。あとは単純にお金がなかったというのもありますね(笑)。

Manhattan made out of Manhattanの制作風景。ゲリラ的に制作を行う。(画像クリックで製作時の動画にジャンプ)

 

――紙ゴミなら現地調達できるし、それぞれの国の文化を象徴するものでもあると。

 

若田 ニューヨークだけで終わらせるつもりはなかったので、どこの土地でも確実に手に入る素材で、どこの土地でも共有できる概念を内包している素材が紙ゴミでした。

ただ一方で、アーティストは素材を重視する人が多いですが、僕は素材自体にはあまりこだわりがなくて、作品を新たに制作する際はゼロから検討し直します。マップの作品をストリートに貼り付けるという手法に至る過程でも、その場所でどんなコミュニケーションが生まれるだろう?ということを素材以上に重視しました。デザインを勉強していたこともあって、作品を制作しているというより、そこで生まれた自分の心情や観る人の感情を起点とした“コミュニケーションを彫刻している”という感覚があります。

 

 

作品が崩れ去っていくプロセス自体が、ひとつの表現

 

――国や都市によって観る人の反応もかなり違ってくるのでは?

 

若田 上海で中国のマップを創ったときは、ギャラリーの人から「プロバガンダになるから街中で展示しないほうがいい」と言われて、わざわざ廃墟を探して展示しました。ギャラリーでの展示の際は、マップに台湾を付けていないと、撤去はもちろん当局に捕まるかもしれないとストップがかかるなど、自分の意図しない部分で政治性が問われるという状況に苦心しながら制作してきました。

 

――『China made out of China』は政治的メッセージや消費文明に対する警鐘といったメッセージを想起しました。どういった概念を表現しようとしましたか?

 

若田 政治的なメッセージはありません。当時の感覚で言うと、消費文明よりもっと大きな人間の営み、そこにある虚しさ、哀しさみたいなものを表そうとしていました。

ニューヨークでは清掃員に片付けられたり、ホームレスらしき人に盗まれたりしたこともあって、時間をかけて創ったものが本当に簡単に消えていく。そのプロセスが都市のスクラップ・アンド・ビルドを想起させると思いました。

ニューヨークでは、ギャラリーの友人に「壊れるのを守れなくてごめん」と悲しそうな声で言われたんですが、自分としてはまったくかまわないことなんです。崩れ去るまでのプロセスを共有したり、そこにある会話も含めてひとつの表現だと思っています。

また、国や都市の形はただの線にすぎず、地図で見たときのひとつの見方でしかないと思っています。そうした国や都市の概念が崩れ去っていくのを見る快感もありますね。

「China made out of China(2019)」都市の断片としての紙ゴミをストリートアートとして街にゲリラ的に出現させるが、一週間程度で街のゴミへと返っていく。

 

――日本では金鶏伝説をモチーフとした『The cock』を六甲山の池に展示されていますが、これはどんなコンセプトなんですか?

 

若田 最初にその池を見たとき、雑草が生い茂っている池の隅に錆びたベンチがポツリと置かれていて、「忘れ去られた場所」という言葉がぴったり当てはまる場所だなと思いました。その土地の歴史を聞くと、戦前は氷室として使われ、戦後はスケートリンクだったそうです。そこにあったベンチもスケートリンク時代のもので、時の流れを感じ、その感覚をそのまま金鶏伝説をモチーフに表現したいと考えました。時間が止まったような場所に、今の今まで金鶏伝説が伝えられてきたという事実を引用することで、空間に物語を組み込みたいと考えたんです。

「The cock(2019)」六甲山の数カ所に神功皇后が金の鶏を埋めたという金鶏伝説をモチーフとしながら、空間全体を取り込んだインスタレーション。

 

――立体作品とは別にクマ財団の奨学生のインタビュー冊子『KUMAGAZINE』(クマガジン)を制作されていますが、これはどんなモチベーションで作られていますか?

 

若田 新型コロナのため中止になったKUMA EXHIBITION 2020では、やろうとしていたことがふたつあって、ひとつは都会の紙ゴミを集めて壁一面を覆うくらいの大きな彫刻を創ることで、もうひとつが『KUMAGAZINE』を配布することでした。

僕が本質的にやりたいことは、“コミュニケーションを彫刻する”ということなので、立体作品の場合も『KUMAGAZINE』も考え方は同じです。もっと若手のクリエイター同士がつながれる環境を自分の裁量で作るにはどうすればいいか?と考えたとき、冊子を創ろうと思いつきました。1号は3期生が中心でしたが、コロナ禍で関わる機会が減っていることもあって、今は4期生中心の2号目をリモートで準備中です。

「KUMAGAZINE」クマ財団の奨学生、若手のクリエイター同士がつながれる環境として、冊子を制作。

 

――コロナ禍で海外渡航も厳しくなっている状況ですが、今後の展望をお聞かせください。

 

若田 実は方向性が変わってきているんです。これまでは海外で作品を制作する活動が多かったですが、今はデザインの方向に舵を切っていて、プロダクトデザインや広告コミュニケーションなどの活動に重点を置いています。もちろんアートは続けていきますが、人に伝える技術というものをもっと極めていきたい。

そもそも僕はジャンルに囚われれば囚われるほど表現が不自由になって、「人に伝える」ということがないがしろにされると思うんです。アーティスト、デザイナーというふうに分けられることで、人の感覚を動かすための“技術”の精度は落ちると思います。

自分がやりたいことの本質は、分野に囚われずに、あくまで誰かに何かを伝えることです。これまで経験してきた中で、何かを伝える営みにおいては言葉が必要不可欠だと実感しているので、今は言葉といかに向き合うかということを考えています。でも、言葉を扱えば扱うほど、僕がアートで向き合ってきた抽象的な概念や曖昧な感覚がないがしろになってしまう場合もあるので、今後はその距離をうまく調整しながら、人に様々な想いを伝えられる作品を創っていきたいと思っています。

 

――本日はありがとうございました!

 

新型コロナウィルス感染防止のため、オンラインにて取材。

 

若田勇輔information

■TOKYO MIDTOWN DESIGN AWARD 入選作品展

2020年10月16日(金)~11月8日(日)
東京ミッドタウン プラザB1F
https://www.tokyo-midtown.com/jp/award/

 

■藝大アーツイン丸の内2020

10月24日(土)~31日(土)
丸ビル(1階マルキューブ、3階回廊、7階丸ビルホール)
https://www.marunouchi.com/lp/geidaiarts2020/

 

Text by 大寺明

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