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活動支援生インタビュー Vol.8 久保田 徹 「ドキュメンタリーは、ひとが自由になるための”知性”」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Toru Kubota | 久保田 徹

2022年、新型コロナウィルスのパンデミックは「エンデミック」へと向かいつつある。つまり全世界の人類を未曾有の危機に陥れた悪夢のウィルスは、地球の“風土病”となる。これは危機の終息ではなく、人類が危機と背中を合わせて生きることを選択したことを意味している。

このパンデミックから、私たちは何を学び、記憶して未来を生きていくのだろう? 言い換えれば、私たちが否が応でも引き連れていかなければならないものは何か? それは、パンデミックによって表面化した、私たちの社会の根底にある深い貧困と矛盾ではないだろうか。ドキュメンタリー作家、久保田徹が参加した『東京リトルネロ』は、東京にある深い貧困と矛盾の実像を撮りあげたドキュメンタリー作品だ。

緊急事態宣言下の東京。沈黙した「夜の街」、歌舞伎町を舞台に生きるラッパー。「学費のため」と、コロナ禍でも静かに仕事を続ける風俗嬢。難民申請が受け入れられず、日常の些細な移動にも制限が課される「仮放免」として人生を生きることを余儀なくされたクルド人――。これらの主人公の視点を通して描かれる東京は、「誰にでも既視感のある東京の実像であり、誰も見たことのない東京の群像」だと久保田は振り返る。

『東京リトルネロ』で、久保田は仮放免として生きるクルド人にカメラを向けた。数奇の運命を背負ったクルド人の日常の暮らし、移動制限によって渡ることを許されない橋に葛藤する様子や、安らかに眠る姿を見つめた。彼のこの視線は、いかにして生まれるのか。インタビューで迫った。

インタビュアー・ライター:森 旭彦

ロンドンから東京へ。当事者意識が変えた視点

2020年は、久保田にとってひとつのターニングポイントだった。以前の久保田は、紛争の中を生きるミャンマーのパンクミュージシャンや、ロヒンギャ難民の実像を捉えた作品を国内外で発表するなど、その目線は日本の外側へ向けられていた。また、2019年からはロンドンの大学院でドキュメンタリーを学んでいた(後に中退)。

しかし2020年3月、コロナ禍の影響に伴って帰国した久保田は活動の場を日本へ戻すことを決意する。

僕はいわゆる国際問題に対してアプローチする作品を制作していました。ロンドンに行ったのも、しばらくは海外で腰を据えて活動してみたいと思ったからです。でも、コロナ禍で日本に戻ったことがきっかけで、自分の当事者意識に目を向けるようになりました。自分が本当に当事者だと思える社会にあるものを見つめることの方が、意味があると思うようになったのです」(久保田)

ロンドンは、世界中のありとあらゆる人種が暮らす都市だ。そこで人々は、いわゆる「ロンドナー」として生きているわけではない。ロンドンという場所を共有していても、日本人やデンマーク人、アメリカ人として生きている社会、それがロンドンの多様性なのだ。彼は日本とは違う社会の中へ放り込まれたことで、日本人としての自分の当事者意識を自覚したのだろう。

コロナ禍初期の日本におけるドキュメンタリー制作は困難を極めた。当時の風潮は、感染拡大防止の観点から「現場に出るな」というものだった。それはドキュメンタリー作家である久保田にとって、足を奪われるような制約だった。志を同じくする仲間と議論を重ね、作家として「いま撮れるものを、撮れる方法で」形にしていくことを決意する。そうしてドキュメンタリー・コレクティブ「ドキュミーム」に参加し、撮影したものが『東京リトルネロ』だった。

ドキュメンタリーは、身体で編む知性

久保田の作家性は、作品に宿った身体性にある。

人間というものは、誰しも身体を持ったひとつの生き物であり、それ以上でも以下でもない。社会的に高い立場があったり、SNSのフォロワーが数多くいるからといって、人より大きな身体や、多くの身体、ましてや価値のある身体を所有する人間などいない。当たり前のことだが、私たちは日常でこの事実を忘れている。なぜならひとは、幻想を信じやすいようにできているからだ。

久保田はこの事実にことのほか自覚的なのだろう。彼は「世の中的にウケる作品」や「社会的重要性」といった幻想を追わない。いつもひとつの身体で出会える人に会い、カメラを向ける。結果としてその対象は、この社会において普段は可視化されない人々に向けられる。彼ら彼女らは、久保田を隣人とし、ときには友人として、その深部に横たわる根底的な問題を露出する。

そんな久保田に「夫の部屋を撮って欲しい」と言ったのは「森友学園問題」において公文書の改ざんを命じられ、後に命を断った近畿財務局の職員だった赤木俊夫の妻、赤木雅子だった。

夫を亡くし、テレビで大々的に報じられるスキャンダルの中で、赤木雅子婦人はどのように生きてきたのか。その実像を知ることは、この事件の深い闇と、国家、そして歪んだマスメディアの態度にある事実を突きつける。すなわち赤木雅子はそこにいて、いまもいて、生きているひとりの女性だということだ。久保田がとりあげたドキュメンタリーのタイトルは『私は真実が知りたい』だった。

「ドキュメンタリーの価値は、身体的に編まれた知性であることだと思っています。撮影している僕も、撮影対象に反応して、そのひとを纏う環境や世界、空気を共有して動き、カメラを向けていく。その行為を通して、そのひとがそこに存在しているということを表現していく。僕の作品はこうしたドキュメンタリーの持つ知性に没頭することで生まれています。まあ、最初の5分で離脱させないようにする仕掛けや、キャッチーな場面展開などをすべてどうでもいいと思ってつくっているので、人によっては見づらいところもあると思いますけどね」(久保田)

ジャーナリズムを、社会で「見えなくなっている」ことを可視化することだと定義したとき、久保田はジャーナリストだと呼べるのかもしれない。しかし久保田はジャーナリストと呼ばれることを拒否する。

「ジャーナリストというのは、体系的な知識を持って、世の中を切り裂いていくイメージがある。しかし僕の場合は、自分の身体で向き合いたいものと向き合っている。言ってみれば彫刻のような作業なんです。どんな彫像も、彫る前は一本の木や石でしょう? 彫刻家は、それらに身体で向き合って、汗をかいて、怪我をしながら像を掘り出していく。僕は社会的に弱い立場にある人や、尊厳が著しく損なわれている人に身体で向き合って、僕自身もときには心に傷を負いながらひとつの像をドキュメンタリーとしてつくっていく。だから僕は自分のことはドキュメンタリー作家と呼びたいと思っているんです」(久保田)

「空白の時間」の自由

2022年夏には『東京リトルネロ』が映画化を予定している。そこに映し出されるのは、コロナ禍をめぐる東京という街のリアルであり、この国が直面している問題の縮図である。

「誰も見たことのない東京がそこには映し出されると思います」(久保田)

1400万人が住む東京。そこには、あらゆる娯楽と、あらゆる仕事がある。あふれるほどの自由と不自由がある。不便を便利が回収し、また不便を絶えず生み出している。誰もが簡単に繋がり、あっという間に他人になる。高層ビルの窓の灯りほどある幸福を、星の数の不幸が下支えしている。そこで久保田は今日も起き、呼吸をし、人と出会い、また眠りにつく。ひとりの人間として、久保田は何を思うのだろう?

「対象に迫っているとき、ある瞬間から、この世界でまだ何のラベルも貼られていないものに出逢う時間が訪れます。そこには善も悪も、美と醜の区別もない。そうした空白の時間と出逢うとき、僕は自由を感じることができる。そのためだけに、撮っているんだろうと思います。ドキュメンタリーは僕にとって、“そうした時間”と出逢うための知性なんです」(久保田)

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