インタビュー

活動支援生インタビュー Vol. 27 石原 海「映像の仕事がなかったとしても、怒り狂いながらバイトして作品を作り続けてた」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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 Umi Ishihara | 石原 海

映画監督/アーティストの石原海主催のアートフェスティバル『水平都市 (FLATLINE CITY)』が2022年11月11日から11月13日の3日間にわたり、北千住『BUoY(ブイ)』と日暮里に位置する『元映画館』の二会場で開催された。
「街であがいている人のためのアートフェスティバル」と冠されたこのフェスティバルは、映画上映、パフォーマンス、ライブ、ラウンドテーブルといったプログラムから構成され、美術やクラブカルチャーそしてアカデミックといったさまざまな分野で活躍する人々が一堂に会し、400人が来場するなど盛況を収めた。
ただ会期中に石原がぽつりと赤字であることを漏らしていたのが気になっていた。
思えばフェスティバルやイベントをやる上でどのくらいのお金がかかるのか、どこにも書いていなければ、誰もなかなか教えてくれない。これを機に、開催を終えてなにを思うかだけでなく、イベントの収支や開催までのステップについて、そしてアーティストとして生きる上で必要なお金について、主催の石原海にざっくばらんに話を聞いた。

聞き手/書き手: Lisa Tanimura

——海ちゃんはこれまで映像作品を主に作っていたけど、アートフェスティバルをやりたいと思ったのはなぜ?

海:人が集まる場所を作りたいと思ったから。映像を作るのは多くの人と関わる作業。だから、人が集まる場所を作ることは映像を作ることとアタシの中ではかなり似てる。でも監督ってみんなをまとめる存在だし、結局はすべて自分の責任になるから一人で作品を作っている部分もやっぱりあって。だけど人と出会うことで思想とか考え方がすごく広がるなって思う。もちろん本を読んだり映画を観ても広がるんだけど、人に出会うことで全く想像できなかった世界と出会うことができる。それが自分の作品を作っていく上でも重要だと思った。それに大学を卒業してから継続的に集まって批評し合える場所ってなかなかなくて。だから自分が普段考えていることを語り合ったりとかこれから作りたいもののアイデアを一緒に出したりとか、批評的に物事を語り合える場所を作りたいと思ったんだよね。

そもそものきっかけは、アタシが18歳のときに開催された『Hors Pistes Tokyo(オールピスト東京)』っていうパリのポンピドゥーセンター主催のオーディオビジュアルフェスティバルに衝撃を受けて。そのフェスティバルは、映画の上映だけじゃなくクラブでパーティーもやったり複合的なイベントだった。アタシの映画がフェスティバルに入選して招待してもらっていたから、半分は内側の人間として参加してたんだけど、毎晩みんなで作品を見て、そのあと飲んで、そこで批評的な対話が生まれてっていう流れが本当に刺激的だった。だけどそれがもう10年ぐらい前の出来事で、それからそういった複合的なアートフェスティバルってあんまりなかったなと思って。だからアタシが18歳の頃に出会って興奮したフェスティバルみたいなことを10年後の今やろうと思った。あと、人が集まる場所を作りたいって思うってことは、自分の居場所がいまだにどこにもないってずっと思い続けてるんだと思う。まあでも単純に言えば、やったら楽しいだろうなと思ったから開催したんだけど(笑)。

——本当に楽しかったよ(笑)!クマ財団の助成金を申請しようと思ったのはなんで?

海:開催する上で絶対お金が必要だから、いろんな助成金を探したんだけど、助成金って大体応募してからもらえるかどうか分かるのが半年とか一年後なんだよね。だけどクマ財団の助成金は給付までのスパンが結構早くて、応募4ヶ月後くらいにもらえる。それに他の助成金は、個人ではなく団体にしか出ないとか、プロジェクトではなく作品制作にしか出ないとか色々制約がある。でもクマ財団の助成金はプロジェクトが面白かったらなにをやってもいいっていうのが良かった。

ラウンドテーブル『パーソナルな経験の場所としてのクラブ』 (左から)KANAE(MES)石原海、もりたみどり(SLICK)、 ゴッホ今泉(デパートメントH主催) 、Yiqing Yan
Credit: Reina Kubota

—— 助成金を申請してからは、どういうステップで実際の開催までこぎつけたの?

海:書類選考と面談が何度もあって。最後の選考まで残った時に、「やりたいことは面白いけど企画書が分かりにくいから書き直してください」って言われて、企画書を何回か書き直した。

——企画書を書き出した頃の自分にアドバイスするとしたら?

海:色と画像を使うことかな(笑)。

——(笑)。申請が通ってからはなにをした?

海:助成金が降りるって分かってから半年は、意識的に若手の作家の展示を見たり若手の映画監督の映画を観たりして、声をかけたい人を探してた。でも実際にいろんな人に声をかけだしたのは開催の3ヶ月前。だからフェスティバルの準備はギリギリだったけど実質3ヶ月でやった。

最初、会場を探して交渉したりするのは全部自分でやってた。でも開催の2ヶ月前に写真家でデモオーガナイズもしているよこちん(Jun Yokoyama)とイベントオーガナイザー/DJのイーチン(Yiqing Yan)に一緒にやろうと声をかけた。一人で全部やるのは無理だし、三人でやったら色んな広がりが生まれる気がして。二人はそれぞれちょっとずつアタシとフィールドが違う。アタシはわりとアートと映画で、よこちんはわりと政治とアカデミックで、イーチンはわりと音楽、みたいな感じだから3人がちょっとずつ自分のフィールドの人をフェスティバルに連れてきて、それが混ざるのがいいんじゃないかなと思ってお願いした。イーチンが紹介してくれたグラフィックデザイナーのユリさん(Yuri Sato)もアーティストみたいな人ですごい良いデザインをしてくれて、めちゃ良い出会いになった。そうこうしてるうちにリサ(Lisa Tanimura)がプレスに入ってくれて、気づいたらリサとすごく仲良くなって、それも水平都市を開催して嬉しい出来事だった。リサのおかげで水平都市が一気に広がって。

 

(写真中央)Yiqing Yan  撮影: Reina Kubota

(写真中央)Lisa Tanimura (会期中、私は会場の隅っこに設けたリラックススペースでホットワイン作りに励んでました)撮影: Jun Yokoyama

——ありがとう(笑)。一緒に『水平都市』を主催したよこちんとイーチンの2人は具体的にどういうところで手伝ってくれてたの?

海:アタシとイーチンは、それぞれ担当プログラムを組んで、よこちんはチケットの販売から当日の会場スタッフの手配や出演者との謝礼のやり取りまでプロダクション的なことをやってくれた。

——出演してもらった人たちにはどうやって声をかけていったの?

海:「今度フェスティバルをやろうと思っていて、開催まで日数が少ないんですがスケジュールが空いてたら出演していただけませんか」って(笑)。あとステートメントも送った。ただアタシ、人に連絡をしたり、実務的なことをするのが破壊的に苦手。でもそういった面は主によこちんがやってくれた。

——自分の得意ではないところを他のより得意な人がカバーしてくれるのはチームでやることの醍醐味だよね。

海:二人がいなかったら本当にやれてなかったから、感謝しかない。

——実際に『水平都市』を3日間やってみて想像と違ったことってあった?

海:主催者だから忙しすぎて来てくれた人と全然話せなかった(笑)あとめちゃくちゃ人見知りなのもあって、本当は知らない人と目を見て話すのも苦手で…。水平都市で話しかけてくれた人、また懲りずに私に話しかけてほしい。そういうこともあって、私自身があんまり来てくれた人と会話ができなかったのがちょっと残念だった。それで解決策を思いついたんだけど、水平都市で話しかけてくれた人たちとゆっくり関係性を築いていきたいから、次の『水平都市』はもう限定5人で食事会みたいな形でやろうと思って。

—— この前は400人来たからずいぶん規模が縮小するけど(笑)。

海:5人は言い過ぎかもしれないけど、少ない人数でテーマを決めてゆっくり話したい。形と状況を変えながらゆるっと小さく継続していきたい。5人でもやってみたいし、5000人規模でもやってみたい。

 

撮影: Reina Kubota

——たくさんの人が来てくれたのも一つだと思うんだけど、『水平都市』をやってよかったと思ったことってある?

海:会場の雰囲気が良かったこと。『水平都市』で出会った人同士が話してたり、出演者の人も良いお客さんたちだったって喜んでくれて、そういうのが嬉しかった。ラウンドトークでも、何時間も座って話を聞くのってきついはずだけどずっとちゃんと聞いてくれたり。

——そういう自分たちがやろうとしてることに真摯に向き合ってくれる人たちが集まってくれたのってどうしてだったと思う?

海:うーん、難しいけど、運営に深く関わってくれた人たちは女性が多くて、出演者もクィアな人や女性を多くブッキングした。わかりやすいマイノリティではないかもしれないけどある種のマイノリティ、ちょっと生きづらくてマジョリティーにはなれない、みたいな人たちが結果的に集まってた気がする。そういうなんとなくちょっと生きづらい人たちの集まりだからこそ、それに共感してくれるお客さんが集まってくれて、小さい声の者同士、BUOYのコンクリートの地下室でコソコソ話をして会話が進んでいくみたいな環境になったのかなとは思う。

パフォーマンス『MIRA新伝統』撮影: Reina Kubota

 

Credit: Reina Kubota

——海ちゃん的にどこまでジェンダーバランスのことって考えてた?

海:男性をわざわざ排除しようとはもちろん思ってなかったけど、意識的に権威があるおじさん、例えばシス男性の大学の教授みたいな人はいろんな人の前で話す機会も多いと思うしあえて呼ばなかった。そういう人でも、水平都市にぴったりだし呼びたいと思った人もいたんだけど、それはもっと大きな体制、例えば大学とかがやればいいことで、今回アタシ達がやることじゃないなと思ってブッキングしなかった。

——私たちも必ずしもシスヘテロの男性だからとか、年齢が上で特権階級だからとか、そういったラベルだけでみんなを判断しているわけではないけれど、やっぱりある種のマイノリティ性というか、傷つけられたことがあるからこそ自分が誰かを傷つけることに対しても敏感でいられる人たちが集まった場ならではの優しさとか思いやりってあるよね。あとはチケットの値段を安く設定したことで来れた人たちがいたのもよかったと思ったんだけど、どう?

海:そうだね、利益を出さなくてもよかったから入場料を安く設定することができた。お金がない人とか地方から来た人とか学生は、1000円で全部見れちゃう。そういうことができたのはクマ財団の助成金をもらったから。

——ぶっちゃけ開催して儲かった?

海:結論から言うと赤字。クマ財団からは活動支援で合計300万円もらって、結局全部で310万円かかった。『水平都市』をやることって言ってしまえばアタシには1個もメリットがない。お金もマイナスだし、これからイベンターとしてやっていきたいわけでもないし。当日も誰とも喋れなくて走り回ってただけだし。でも、ただただ楽しくて、結果的にはやれて本当によかったなと思う。

——そう思えるのはなんでかな。

海:やっぱり来てくれた人たちとか会場の雰囲気が良かったから。あの空間にいた人たちとまた会いたい….。あとこの前、アーティストの飯山由貴さんの展示を見に行ったら、たまたま水平都市で話した女の子がいて、「『水平都市』に行ってました」って話しかけてきてくれて。そんなふうに『水平都市』が脈々と受け継がれていったらいいな。

 

筒 | Tsu-Tsuによるパフォーマンス『充分に親密—Close Enough』撮影: Reina Kubota

—— 今ってアーティストとして生きていくのに必要なお金はどうやってやりくりしてるの?海ちゃんの場合、自分の映画とか作品から直接得られるお金とクラウドファンディングと助成金と広告の仕事をすることで得られるお金の四本柱かと思ったんだけど。

海:そう、その四つ。でも映画の上映とか作品が売れたりして入ってくるお金は、ほとんど制作費の借金を返すのに使ってる。一作目の『ガーデンアパート』はクラウドファンディングで制作費を集められたから、たまに配信先からお金が振り込まれたりとか、映画祭で上映されたときに上映料が入ってきたりするけど。美術作品として販売している作品が売れたりしたときに入ってくるお金も、やっぱりほとんどが制作費の返済に消えていく。映像を作るのはめちゃめちゃお金がかかるから、クラウドファンディングでいろんな人に助けてもらいながら制作してる。助成金は、20代前半ぐらいからクマ財団とか他のいろんな助成金をもらっていて、今年の9月からは生活費にも充てられるポーラの海外研修の助成金ももらうことになってる。ただ、普段の生活費のほとんどは広告の仕事で得たお金で生活してる。

 

『ガーデンアパート』(2018)

——アーティストとかクリエイターには広告の仕事を嫌がる人もいるけれど、そういう気持ちはあんまりない?

海:初めの頃は、映像を作ることがお金に繋がるなんて想像もつなかったから、いまだに「こんなに楽しいことをしてお金もらえるの?!」みたいな気持ちがどっかにある。(笑)。ただ広告の仕事って人から頼まれてやることだから、そこに自分の思想とか政治性を出すというよりは、もっと職人みたいな作業だと思っている。だから広告の仕事だけやって生きていくっていうのはアタシが人生でやりたいこととはちょっと違う。それでも広告の仕事を引き受ける理由は、単純にめちゃ楽しいから。子供の頃からずっと映像に夢中で、それに携われるのはやっぱり楽しい。どんな仕事でもそこに絶対的な喜びがある。あとは単純に、映画や現代美術だけじゃなくて、音楽もファッションも好きであるっていう、自分のチャラさを認めてるところもあるかなあ。音楽もファッションも好きで、映像でそれに関われるっていうのは、素直に嬉しい。もちろん結果的に、そうした仕事をすることは資本主義的に加担するということでもあるから、時々ふと悩んだりもしている。だからこそ、日々の映像の仕事をすると同時的に、こんな資本主義社会を作っている政治に怒り続ける、声をあげ続ける、というのが重要なんだとアタシは思っている。

Poncili Creationによるパフォーマンス

 

Phewによるライブ 撮影: Jun Yokoyama

——海ちゃんは16歳からずっと映像を作ってきたけど、どのタイミングでそれを仕事にできるようになってきたの?

海:21歳のときに初めて仕事をもらってからはずっと定期的にある。バイトを辞めたのは24歳のとき。24歳の時にリクルート財団とクマ財団から助成金をもらったタイミングでバイトを辞めて。ちょうど助成金の受給が終わった25歳のときには、映像の仕事だけで生活できるようになった。

—— 広告の仕事が来るようになったのはなんでだろう?

海:自分の作ってる作品を通してなのかなあ。仮にアタシに広告の仕事が一切来なかったら、怒り狂いながらいまもバイトしてたと思う。で、「なんで自分にはこんなにお金がなくて、こんな家に育って、こんなに映像を撮りたいのに、ずっとバイト生活してるんだろう」と思いながらも、その怒りを作品にしてたと思う。借金をしてでも、どんなクソみたいな仕事をしてでも。

だけど、真面目に答えるならやっぱり周りの人たちのおかげだと思う。「海に仕事を頼めば良いよ」っていろんな人がどこかで言ってくれてるから今の自分がいるんだと思う。

—— 結局全部、人との繋がりで成り立ってるのかもしれないって最近つくづく思う。でもそういった繋がりをどこで見つけてきたかというと『水平都市』のような場所だったんだよね。

海:本当にそうだと思う。『水平都市』みたいなイベントとかクラブで出会った人とか、仕事とか関係なく、っていうかもはやお互い何をしてるかもわからないような関係性の中で一緒に遊んでる人から声がかかったり。なにがあるかわかんない。そう思うと、やっぱりつくづく周りの友人とか知人のおかげだなあ。いま思い返すと、初めての仕事を紹介してくれたのもフォトグラファーの友達だったし。

——  作品を作りたいと海ちゃんを突き動かしているものってなんなんだろう。

海:うーん、正直なんで自分が作品を作ってるのかわかんない。でもインタビューの前に六本木を歩いていて、よく十代のときに深夜の六本木を当てもなくひとりで歩いてたことをなんか思い出した。もちろんパーティーに行ったり、いろんな人と遊んだりもしてたけど、記憶に残ってるのはそういう、自分の寂しさを誰と共有したらいいか分からない感じとか、真夜中に1人で歩いてても誰からも心配されない孤独な感覚、この瞬間死んでも誰にも気づかれないだろうなとか、未来が見えなさすぎて足元がグラグラしていまにも倒れてしまいそうな恐怖をひとりで抱えて、安心して眠れる場所もなくて、深夜ずっと歩き続けてたあの感じ。そんな時に映画とか美術に本当に救われたから、世の中の誰からも心配されずに求められずに、孤独に街を徘徊してる人に届くような作品を作りたいっていうのは原点かもしれない。もう大人になったのに、いまだにそういう瞬間に突然ぎゅって引き戻されることがあって、そんな時に作品のアイディアが浮かんだりする。そういう意味で、本当にアタシは作品を作り続けていかなきゃいけないと思うし、これからも作りたい作品がまだまだたくさんある。アタシの作品が、映画とか美術に救われる感覚が必要なひとにまで届けばいいなと思う。

 

撮影: Jun Yokoyama

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