インタビュー

活動支援生インタビュー Vol. 26 浅野 聡太インタビュー「舞台上の芸能」としての和太鼓の未来をひらきたい。創作和太鼓の可能性にかけて

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Sota Asano | 浅野 聡太

クマ財団の第1期奨学生であり、創作和太鼓の演奏家として。数々の異分野とのコラボレーションに挑戦し、和太鼓の新しい可能性を模索するクリエーターとして、国内外にその活躍の幅を広げてきた浅野聡太。 本インタビューでは、浅野が、2019年よりコロナ禍で活動が制限される中、どのように創作活動を続け、また未来への可能性を見出してきたのかを取材します。

聞き手・書き手:篠田 栞

海外での拍手喝采。和太鼓演奏がアイデンティティに

——まずは、浅野さんが創作和太鼓と共にどのように歩んでこられたかをお聞かせいただけますでしょうか。

浅野:和楽器が好きだった祖母の影響で、9歳から和太鼓を習うようになりました。師匠が三人いるんですが、最初は地元に根付くサークルに所属していました。14歳の頃になって、二人目の師匠に出会います。今の師匠は、海外での活動にも積極的で、若手の育成に力を入れている人でした。

和楽器の演奏活動を通して青少年の育成をする「スーパー太鼓ジュニア」という企画がありまして、自分がプロフェッショナルを目指そうと思ったのは、そこに参加したことがきっかけでした。高校生の時にメンバーに選抜していただいて、はじめて、沢山の海外のお客さんに囲まれて演奏を終えたら、拍手喝采ですごく喜んでもらえたんです。その時に「あ、日本の文化を喜んでもらえたんだ」ってすごく嬉しくて。自分のアイデンティティのようなものと和太鼓を演奏するということが、結びついた瞬間でした。

——高校生の頃から、和太鼓奏者として生きていく、と決めていたんですか?

浅野:はい、通っていた高校が教育学部附属で、「自分自身でしっかりと道を定め、夢を持って生きていこう」という教えが浸透した学校だったんです。だから友人たちも、「和太鼓奏者になるのか。いいね、がんばれ!」という感じで。それから、名古屋の地元で和楽器をやっている先輩方が、いろんな場所に連れ回してくださって、早くから、和太鼓奏者としてやっていくための土台づくりをしていくことができたと思っています。師匠や先輩方を含め、人にはとても恵まれてきたので、ある意味、真っ直ぐ、迷いなくここまできたという感じ。

スーパー太鼓ジュニア期の当時の写真

創作和太鼓の「音楽性」を追求したい

——浅野さんは、他ジャンルとのコラボレーションを含め、様々な新しい取り組みをされていますが、ご自身はどのような奏者だと思われますか?

浅野:どこまで行っても「人の前に立つ演奏者」であるという側面が強いんです。もちろん、作曲もしますし、自分の中の世界をつくっていくという感覚もありますが、演奏者70%、クリエーター気質30%というイメージでしょうか…(笑)

自分は、まず、お客さんの反応をみるということが一番大切なことだと思っています。それは、技術であり、自分にとっては、最も大切なことです。ひとつの作品を通して、空間全体、オーディエンス全体が楽しい雰囲気になっているかを常に俯瞰して、やり方を変えていきます。

和太鼓という楽器は、どちらかというと和太鼓単体での演奏パフォーマンスが多くて、ダイナミックな身振りや所作を含めたパフォーマンスを見せるグループもあります。自分の場合は、ミュージシャンと言ったらいいでしょうか。和太鼓演奏をいかに「音楽」として捉えるかということに特化しています。音楽性を追求し、新たな可能性を開いていくために他の楽器とコラボレーションすることも多いんです。太鼓は音の存在感の強い楽器ですが、一緒にやる尺八や三味線奏者の方からは「浅野くんは一緒にやりやすい」と言ってもらえるのは、音楽的に調和しながらセッションしていく、という感覚が強いからだと思います。

伝統楽器の可能性をひらく、コラボレーションという手法

——浅野さんは、和楽器以外も含めて、様々なジャンルとのコラボレーションに力を入れられているとお聞きしました。

浅野:伝統楽器という、縛りの強いものと新しい技術を繋げていきたいという思いがあるんです。自分が携わっているのは、「創作和太鼓」というジャンルになります。地域に根ざした民俗芸能や古典芸能とは違って、実は、地方創生の政策のなかで、日本文化を盛り上げていくために創設された新ジャンルです。つまり、尺八や箏などの三曲と違って、創作和太鼓の歴史はまだ浅い。やはり、業界的にまだまだ未発達な部分があると思いますし、コラボレーションを通じて、自分一人ではできないことがやれたり、そのジャンルだけでは表現できないものに手が届いたりする瞬間があります。他の人がまだやっていないことをやっていきたいです。

エフェクターを使ってみたり、他の楽器の演奏方法を常に参考にしています。例えば、ギターのように進化の早いジャンルは参考になるし、タブラのような民族楽器やドラムといった、同じ太鼓の仲間の演奏方法からヒントを得ることもありますね。ジャンルを問わず様々な音楽に触れて、ボキャブラリーとしてためておく。電子和太鼓も使えるので、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)のシンセサイザーと組んでみるということもできるようになりました。

電子和太鼓など様々な楽器を使いながら、新しい表現を模索する

また、民俗芸能という地域の生活に根ざした芸能からも学ぶことは多く、実は民俗芸能の伝統的な太鼓をお稽古させていただく機会もあります。しかし、自分はあくまでも「地域の伝統の外の人間」なので、その芸能の要素を利用したり、アレンジしたりして触るようなことは絶対にしない。あくまでも敬意をもって、技術を身体で学び、研究していくという感覚です。

——他ジャンルとのコラボレーションで今後挑戦していかれることを教えてください。

浅野:Neo Japanesque (ネオジャパネスク)というバンドをやっていて、和太鼓、篠笛、尺八の和楽器とギター、キーボード、ベース、ドラムの洋楽器で構成された、最大7人編成のバンドなのですが、日本の音楽の新しい王道をつくりたいという思いで、2012年に結成し、国内外で活動しています。オリジナルソング、クラシック、童謡、ポップスまでジャンルを問わずに挑戦してきました。このネオジャパネスクで、今後、若い世代に向けての活動に力を入れていきたいなと思っています。今の若者が聴いている音楽を取り入れながら、幅広い人に受け入れてもらえるような音楽づくりをして、観客のパイを増やしていくことは大切にしたいです。

浅野:それから、能楽師の渡邊荀之助さん(宝生流シテ方)、ギタリストのSUGIZOさんとのコラボレーションもありました。アンビエント(環境音楽)とのコラボで、和太鼓をリズムとしてどのようにして紐解いていくか、どのようにギターや能に合わせていくかの挑戦。アンビエントやトランスに合わせていく際に、民俗芸能で学んできた繰り返しやグルーブ、ノリの感覚が生かせるのではないか…など色々と試行錯誤してきました。ロックと和太鼓の組み合わせは世の中に既にあるかもしれませんが、アンビエントと和太鼓ってまだなかなかないと思うんです。こういうコアな層に向けた演奏、可能性を模索する実験的な活動も面白いです。

WINTER EXTRAVAGANZA IN SEARCH OF KYOKA

オーディエンス、熱狂、即興。“舞台でこそ生きる芸能”を求めて

——伝統楽器である和太鼓の未来や可能性について、現在の浅野さんがどのようなビジョンを描かれているのか伺いたいと思っています。

浅野:クマ財団さんにもご支援しただいた電子和太鼓の活動は、コロナ禍でも活動を後押ししてくれました。和太鼓という楽器は、集音が難しい楽器なのですが、電子和太鼓は100%音が届くので、配信がしやすくなったし、仕事の幅も広がりました。音源としてつくり込むことがよりできるようになった。もちろん、生の音は、空気が振動して衝撃として肌に届くものですから、埋められない感覚はあります。スピーカーを通してでは届かないものは確かにある。でも、どちらが良いと言うことではなくて、どちらも創作和太鼓のもつ魅力を引き出すもの。その都度、使い分けていくものなのだと思っています。

浅野:既にお話ししたように、創作和太鼓の歴史はまだまだ浅く、地域に根ざした芸能ともその性質は異なります。和太鼓の芸能は決め打ちする、予定調和になることが多い。ずれが生じたり、技術が足りないというふうに。自分たちだけで収束してしまうのではなくて、民俗芸能を学ぶ、多ジャンルを学ぶことは大切です。

鼓童さんのようなパフォーマンスに和太鼓を昇華した集団が、「舞台上の芸能としての和太鼓の未来」をひらきました。とにかく、体験して楽しい和太鼓、その場その場のオーディエンスの熱、演者の熱、コミュニケーション、即興性。それらの結果として、どんどん変わっていくライブ。そんな舞台をどんどん生み出していく中で、新しい可能性をまだまだ見つけていきたいんです。

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