インタビュー
活動支援生インタビュー Vol.32 BATACO「歌唱としてのビートボッ クス」で音楽の可能性を広げてゆく
クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。
活動支援生インタビューシリーズについての記事はこちらから。
>活動支援生インタビュー、はじめます!
BATACO
15 歳でビートボックスを始め、国際大会で日本人初のベスト4 入りや準優勝を果たすなど、世界的に評価されるビートボクサー・BATACO。日本のビートボックスシーンのトップランナーだった彼が、2020 年以降、表舞台から姿を消した。いぶかる声も多い中、彼は水面下でビートボックスによる音楽制作に取り組んでいたという。現在も新曲のミュージックビデオとアルバムを制作中であり、そのコンセプトは「歌唱としてのビートボックス」というもの。ビートボックスバトルから脱却し、さまざまな試行錯誤を経て彼が見つけ出したビートボックスによる新たな音楽とは?
インタビュアー・ライター:大寺 明
ビートボックスバトルから脱却し、音楽制作へ
Grand Beatbox SHOWCASE Battle 2018の様子
――日本国内の数々のビートボックスバトルで優勝し、2017 年にはアジア大会チャンピオン、翌年スイスで行われた国際大会では日本人初のベスト4入り、2019 年には世界最大級の大会であるBeatbox Masters で日本人初の準優勝を果たすなど、華々しい成績を収めています。ビートボクサーとして世界的に活躍していたわけですが、当時はどんな思いでビートボックスに打ち込んでいましたか?
BATACO:バトルに出始めた頃は、とりあえず「国内で名を挙げる」ことを第一目標に考えていたのですが、国内の大会でタイトルを取れるようになったタイミングで、国際大会のワイルドカード(出場権をかけた大会)にエントリーしたら通って、初めて世界の舞台に立ったことがきっかけで、そこから世界一を目指すようになりましたね。当時の日本人ビートボクサーは、ソロ部門で海外勢に歯が立たない状況だったので、なんとかそれを打破して日本人が活躍する姿を見せたいと思っていました。当時はとにかく「バトルで結果を残したい」という思いが強かったですね。
――十分すぎるほど結果を残したと思います。だからこそ、ビートボックスバトルのシーンを離れ、音楽制作にシフトしたのでしょうか?
BATACO:「音楽制作については、国際大会でベスト4 入りした2018 年頃から意識が向き始めていて、その年の6 月にはPV をリリースしています。実はこの頃からバトルで勝ち上がることにあまり意味を見出せなくなっていたんです。それ以降は惰性で出場している感じがあって、最後に出場した 2019 年のGrand Beatbox Battle も、実はそれほどやる気がなかったかもしれない。バトルの後期からそんな感じになっていって、その一方で音楽制作に目覚めていった感じです。それからは「作品として残るものを作りたい」という思いが強くなっていきましたね。
――ビートボックスバトルの国際大会が甲子園みたいなものだとしたら、そこから先に目指すものがなくなったような感じですか?
BATACO:バトルで勝っても何もないかもしれない……というマインドになっていましたね。当時はバトルで優勝しても賞金が出るわけでもなく、タイトルと名声が得られるだけだったので、本当に優勝しても何もない……という感じだったんですよ。甲子園はその後にプロ野球があるわけですけど、ビートボックスの場合は普通に音楽シーンで活動することになります。だけど、ビートボックスシーンと音楽シーンにはすごく乖離があって、いくら国際大会で勝っても、そのことが音楽シーンにはまったく伝わっていない。ビートボックスシーンでは名が知られていても、音楽シーンではゼロからスタートするような感覚でした。
――音楽シーンでは、超マイナーなジャンルとして扱われるわけですか?
BATACO:音楽イベントでステージを与えられて演奏することが多かったんですが、「複数ステージがある時」には小さいステージに回されたり、凄く安価なギャランティーで打診されて主催者側にナメられてるな……というのがわかるんです。ヒカキンのYouTube などでビートボックス自体は多くの人に知られていますが、当時は大道芸のように見ている人が多くて、音楽として認識している人は本当に少なかったですね。もし「ビートボックスを音楽だと思いますか?」と質問したら、多くの人は「音楽だ」と答えると思うんですけど、「音楽を思い浮かべてください」と質問したら、ほとんどの人はビートボックスを排除して考えるんですよね。
――当時はビートボックスで楽曲制作をしている人は、世界的に珍しかったと思います。曲作りの参考になるような前例もなく、手探りの曲作りだったのでは?
BATACO:最初にとりあえず曲を作ってみて、ちょっと違うな……と感じたんですよね。なぜかというと初期の曲は、ビートボックスを楽器のように使っていて、その音を曲に取り込んでいる感じだったんです。ビートボックスでドラムの音を表現したり、口で出した効果音を取り入れたりしていましたが、トラックメイカーがいろんな音をチョイスしてトラックを作るのと何も変わらないと感じました。当時の自分がやっていたことは、チョイスした音が口の音だったというだけで、何も新しくないな……と思いましたね。
――たしかにビートボックスというと、ドラムのような音を思い浮かべます。それは違うと感じて、どう変えていったんですか?
BATACO:あるときワイヤレスイヤホンのCM 出演と楽曲提供の依頼があったんです。そのときなんとなく作ってみたのが、トラックが流れているところにビートボックスを演奏するという曲でした。それまでビートボックスの音を一音一音録音して、その素材を切った貼ったして曲を作っていたわけですが、先にトラックを作って、その上からマイク一本でビートボックスを乗せていくという作り方です。その曲ができたとき、自分がやろうとしていることは、ドラムの延長線上にあるのではなく、歌やラップの延長線上にあるんじゃないかってふと思ったんです。世界的ビートボクサーのReeps One が、自身のドキュメンタリーで「We speak Music」と話しているんですね。「我々は音楽をしゃべる」という意味ですが、たしかにビートボックスはしゃべる感覚に近いものなんです。しゃべるときの一音一音をビートボックスの音にしている感覚で、それに近いのがラップの表現です。そうした発想で「歌唱としてのビートボックス」というコンセプトで曲作りをするようになっていきましたね。
歌唱を言語から解放するビートボックスの音楽
――ビートボックスバトルを離れ、音楽制作に向かった2019年以降の活動を教えてください。
BATACO:バトルに出場しなくなった後も、しばらくは中国、台湾、韓国、マレーシアなど海外の大会にジャッジとして呼ばれて、演奏もしていました。あとは国内で普通にライブをやったりです。音楽制作では、クマ財団の奨学生で同期だったファッションデザイナーの Risako Nakamuraさんとのコラボでファッションショーの楽曲提供と演奏をしたり、同じくクマ財団奨学生だったスクリプカリウ落合安奈さんとコラボして、彼女の作品に合わせて環境音楽のような曲を作ったりしていました。この頃を振り返ると、さまざまな模索をしていた時期でしたね。ぼんやりと「歌唱としてのビートボックス」というコンセプトはあるものの、それをどう形にすればいいのかが定まっていなくて、いろんな刺激を受けながら、いろんな方法を試していた時期だったと思います。
RISAKO NAKAMURAとのファッションショー ©山口 大輝
――2020年に1stEP『MY PORTFOLIO』をリリースされますが、この作品で納得できる答えは見つかりましたか?
BATACO:リリースはしたのですが、その後「これもちょっと違う……」と思うようになっていきました。振り返ると「とりあえず出しておこう」という気持ちでリリースしてしまって、今思うと「迷走」していたのかもしれません。でも、むしろ『MY PORTFOLIO』がきっかけで、このままでは自分が目指している音楽はできないと思いました。ちゃんと音楽制作に集中する期間を設けないといけない考え、表立った活動をやめることにしたんです。それからは友人のライブにシークレットゲストで出るくらいです。
――その後、2年間ほど水面下で音楽制作をしていたそうですが、どんな日々でしたか?
BATACO:音楽制作自体は着実に進んでいたのですが、アウトプットを一切していないという状況で、どんどん精神的にしんどくなっていきましたね。作っては出して作っては出して、という循環がなく、新陳代謝ができていないような状態で鬱屈だけが溜まる一方でした。そうした行き詰まりとプライベートのしんどいことが重なって、うつや突発性難聴に悩まされました。もともと自分は何かを作っているだけで満たされる人間だと思っていたのですが、やっぱりアウトプットしないと心がキツくなる。これまでは多少しんどいことがあっても、何かを作って表現することで発散できていたんだと思います。
――そこから脱却するために行動や表現を変えたことは?
BATACO:2022 年から別名義の「ArkaToni」でアウトプットするようにしました。BATACO とは違い、ArkaToni 名義ではクラブミュージックとはほど遠い音楽を作っています。たとえばArkaToni としてキャンドル制作も手掛けているのですが、キャンドルを灯しながら音楽を聴いてほしいと思い、「AGLIO OLIO E PEPERONCINO.」というペペロンチーノをモチーフにした曲を作って、ニンニクの形をしたキャンドルと一緒にリリースしました。この曲はまったくビートボックスを使わず、空間音楽やニューエイジ系の音楽になっています。もともと僕はそうした音楽も好きで、自分の中に落ち着いた要素もあります。本当はBATACOでそうした方向性も表現したかったのですが、BATACO とArkaToni を分けることでシンプルになり、BATACO の方向性が定まった感じでした。
――現在、BATACO の活動として、新曲のミュージックビデオとアルバムを制作中とのことですが、「歌唱の新たな可能性を提示するアルバム」というコンセプトについて聞かせてください。
BATACO:80 年代にラップが誕生して、メロディーがなくても歌だと認識されるようになったように、歌唱の概念は時代とともに変わってきています。ラップはメロディーから解放されライミングやフローといった価値尺度が前景化したと思うのですが、次はどうなるだろう?と考えたとき、今度は言語から解放されるんじゃないかと思いました。僕がやりたいことは、歌唱を言語から解放することなんだと思います。
――制作の進行状況はいかがですか?
BATACO:新曲のミュージックビデオは、今年中のリリースを目指しています。ノリのいいヒップホップなんですが、脊髄反射的に気持ちよく首を振れる音楽になっていると思います。自分でも「歌唱としてのビートボックス」というコンセプトをわかりやすく表現している曲だと思うので期待してください。アルバムの進行状況は70%ほどです。曲自体はすでに出来ていて、アルバムに入れる曲を入れ替えたり、アレンジを変えたりといった詰めの作業をやっているところです。これまでビートボックスに合うBPM やトラックを試行錯誤してきて、曲作り以上に最適な表現方法を見つけることに時間がかかっていたので、それをクリアした今は、自分の表現の完成形が見えてきた感じです。アルバムは来年のリリースを目指しています。
――新曲とアルバムの抱負と、リスナーへのメッセージをお願いします。
BATACO:これまで作ってきたものとは、ちょっとレベルが違うものができつつある感じです。自分としては、生まれ変わって新しくスタートを切る気持ちなので、これまでの曲は忘れて第1作目だと思って制作に取り組んでいます。この2、3 年はBATACO として表立って活動していなかったので、YouTube のコメントを見ると「帰ってきてください」と書かれていたりするんですね(苦笑)。おそらく「BATACO は消えた」と思われているんでしょうけど、この 2、3 年で生まれ変わっているので楽しみにしてください!
――当面はアルバム制作に専念する日々が続くと思いますが、今後はどんな活動をしていきたいですか?
BATACO:音楽制作に関しては、「歌唱としてのビートボックス」という表現をさらに一歩進めていきたいと思っています。ラップの場合、歌に近いラップもあれば、社会派のリリックのラップやパーティーな感じのラップなど、いろんなバリエーションがありますよね。それに比べると、僕がやっているビートボックスの音楽はまだバリエーションが少ないので、次の段階として、いろんなバリエーションの曲を提示していきたいと思っています。新曲リリース後は、それに合わせてライブをやっていくつもりですが、どんどんステージを上げていきたいと思っています。大きなステージで演奏するだけでなく、海外のステージでもやりたいですね。自分としては、ビートボックスの可能性を広げるというより、音楽の可能性を広げるつもりでやっているので、グラミー賞にビートボックス部門ができるくらいの勢いで活動していきたいと思っています。
――新曲のリリースを楽しみにしています。本日はありがとうございました!