インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.36 皆藤 齋「わたしたちの精神と肉体、イメージの飛躍」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Kaito Itsuki | 皆藤 齋

 昨年度のインタビューから一年経ち、皆藤さんは国内外での個展やグループ展を実施するなど精力的に活動している。今回は、インタビューを実施した時期にHagiwara Projectsで開催されていたグループ展「Fungal Fugue」を企画し、皆藤さんと共に展示を行っていたアーティストの水上愛美さんを招き、二人の対談という形で話を聞いた。同世代のペインターとして友人として、作品制作に向き合う考え方や興味の対象について話すことで、二人の絵画に対する考えの違いを紐解く機会となることを狙った。

インタビュアー:村田 冬実

水上愛美(左)と皆藤齋(右)

━━今回は同世代のペインターで親しい友人でもある水上さんを招いて対談形式でお話をしたいと思います。二人が元々持っている興味に似ている部分もありながら、絵画に対する考え方の違いも見て取れるので、作品や制作について話すことで、差異を見つけていくような話ができればと思います。まずは改めて、自己紹介をしていただけますか?

水上:水上愛美です。皆藤さんと同じで平面の絵画作品を主に制作しています。作品の特徴としては、一度キャンバスに描いた絵を塗りつぶして、その上に別の絵を描くことでキャンバス上に不可視になっている層をつくって、その不可視になった絵の要素裏面に再構成して描いて、表と裏と見えなくなった層で構成する絵画作品を制作しています。見えなくなった方の絵は、裏側に情報として残していたり、絵画の裏側にサインを入れるような認識で、痕跡として描いています。
皆藤さんと初めて会ったのは、4649のグループ展でキュレーションされた展示でした。その時に、面白い作品の人がいるなと思ったのが最初でした。前々から共通の友達はいたのですが、その時に初めて絵を見ました。ちょうどその時、私の絵が抽象から具象的な絵になった時期で、具象的になって最初の展示だったかもしれません。

皆藤:皆藤齋です。ペインターです。人間のアイデンティティとかパーソナリティといった自己認識がどういう風にビルドアップされていくのかという過程を分析して、そのシステムを色々な比喩を使いながらモチーフにして描いています。水上さんは、前々から共通の友達がいたので存在はずっと知っていました。水上さんの絵は、私もグループ展の時に初めて見て、ハッとしたのを覚えています。水上さんと似ているなと思うのは、全く関係のないイメージとイメージに自分なりの意味付けをして、独自のコンテクストを作って作品に何度も登場させるというという手法があることだなと思っています。でも、水上さんの方がキャンバスの裏などの物質的でメタ的な構造が作品に関係しているところが違う部分ですね。私の作品はもっとイメージが強くて、絵画の平面上に何を描くかということに重きをおいています。

グループ展の話

━━今お二人が参加しているHagiwara Projectsで開催中のグループ展「ファンガル・フーガ」について聞かせてください。水上さんが企画されたとのことですが、どのようなコンセプトの展覧会で、なぜ皆藤さんと一緒に展示をしようと思われたんですか?

「Fungal Fugue」展示風景

水上:最初にHagiwara Projectsの萩原さんがスタジオに遊びにいらした際に、個展かグループ展をしないかと提案していただいて、グループ展をしたいなと考えたことが始まりです。私はもともとアビ・ヴァールブルクという美術史家にすごく興味があって、彼は古今東西の色々な図版を集めて自分なりに分析して並べて、イメージの地図みたいなものを生涯かけて作った人なんですけど、ヴァールブルクに接続するような作家を呼んで展示をしたら面白いかもなと考えました。そこで私が好きな作家の中で、イメージを扱っていてそれを自分なりに飛躍させて使っている皆藤さんと松本菜々さんを紹介して、この3人展の構想が立ち上がりました。皆藤さんの作品を最初に見たときは、山月記を引用した虎やアマゾネスなどをモチーフに描いていたのですが、普段から行っている画像収集を元に強固な自分の神話にして絵画にしていることに興味を持ちました。私の場合は、他人がどう考えているかを収集して繋げていくことで作品を作っていくのですが、皆藤さんの場合は、皆藤さん自身という強固な一人の人間としての神話だったりストーリーがあって、それに基づいて制作していると思っています。時代が違ったら私は皆藤さんから引用していたかもしれません。でも同時代に生きているから触れられないし、引用はできないけど、構築されていくものが見られるということがすごく面白いと思っています。

皆藤:同じ時代に生きているから触れられないという観点は、水上さんの作品を言い表しているようで面白いね。水上さんの作品って、過去から未来に層を重ねていったりSFの引用があると思うんだけど、今私の頭の中に、水上さんはそのタイムラインを追っているから常に移動していて、だからこそ一緒に生きている人に触ることができないっていうイメージが湧いてきた。過去と未来にしか触れられないというのは、興味深いです。

水上:ありがとう(笑)
展示タイトルは「Fungal Fugue(ファンガル・フーガ)」です。最初に私から、菌が集まって一つの生物を形成している状態が各々の作品イメージに合っているんじゃないかと思ったので「粘菌」をキーワードとしてタイトル案を提案しました。そのあと皆藤さんがそれを元にChat GPTに聞いたんだよね。

皆藤:そう。英語でタイトルをつけたかったんだけど、私達に英語のボキャブラリーが多くなかったから、今流行りのChat GPTに「菌類をテーマに英語のタイトルを考えてください。」って何度も聞いて、そこから提案されたいくつかのタイトルの中に「Fungal Fugue」っていう言葉が出てきました。ファンガルは菌で、フーガは音楽用語で使われるフーガなんだけど、精神医学用語だと「遁走」という意味がある。それは人が外部からの刺激などが限界に達した時に、記憶喪失のように意識がどこかにいってしまうという意味があるらしいんだよね。私と水上さんのイメージの遊び方も、イメージを収集した時にそれがどんどん拡大していくのではなく突然ピュッとどこかに飛躍していくというところが、今回の3名に共通していて、合っているかなと思った。字面とか語感も良いし。

水上:イメージを集めるようなプロセスはAIが行うようなことの最初の段階と似ているんだけど、そこから独自の志向の偏りでイメージを飛躍させてしまうというところに作家性が現れるというのが面白いところだよね。

皆藤:関係ないところを突然繋げることは、人間にしかできないところだしね。

「Fungal Fugue」展示風景

絵画に対する考え方

━━イメージの飛躍という点では二人に共通しているところが見て取れるのですが、絵画に対する取り組み方という点では異なる部分があるように思えます。その点についてはどうですか?

皆藤:私の場合は王道をやりたかったというのもある(笑)それは元々デジタルで絵を描くことに馴染んでいたことに対してのカウンターとして油絵を選んだというのもあるけど、物理的に描くことの難しさに対してすごいと思ったし、自分が描くうえではデジタルよりも上位にあるものだと思っています。だから自分の作品だったらデジタルより油絵のほうが偉いと思う(笑)

水上:偉い?(笑)

━━水上さんも小さいころから絵を書いていたんですか?

水上:描いていましたね。ゴッホの模写とかしていました。

皆藤:えぇ!?(笑)

水上:小学校二年生くらいのときに日曜美術館でゴッホをやっていたのを見てすごく感動して、糸杉の絵とかを鉛筆で描いていました。でもその頃の記憶が曖昧になった中学生の頃に、もう一度ゴッホを見て「あれ、私この絵描いたことがある」と思って、そこから自分のことをゴッホの生まれ変わりだと思っていた時期がありました(笑)結局あとから小学生の頃のノートを見ていた時にその絵が描いてあって「なんだ」って気づいたんだけど。そうやって小学生の頃から物理的にも描いていたけど、ネットのお絵かき掲示板でも描いたりしていました。

皆藤:私も描いてた。どんな絵を描いてたの?

水上:ゴッホと並行してカードキャプターさくらが好きだったからよく模写してた….(笑)そういう不思議な興味の並走が今の作品の土台になっているのかもしれない。

皆藤:やばい(笑)水上さんの絵の面白さって、カートゥーンっぽいところとか、抽象的な色の重なりとかがあるから、その話を聞くとそれがルーツなのかと思わせられるね。

水上:そうやってずっと絵を描いてきたから、辞める瞬間が無かったというところが今も絵を描いている理由なのかもしれない。絵を描き始めたころは、どんなに絵が下手でも自分はゴッホの生まれ変わりだっていうマインドセットになっていたから(笑)その強固な精神で絵を辞めなかった。どんなに描けなくても頑張れたと思う。皆藤さんの場合は小さい頃から絵が上手だった?

皆藤:そうだね。高校生になって予備校に入ったら全然上手くないってことがわかったけど。小学生の頃に、描いた消防車の絵がクラスの子と一緒に貼り出されたことがあって、どう見ても私の絵が一番上手かった(笑)褒められて謙遜したことがすごい記憶に残ってる(笑)でも大きくなってわかったのは、自分は見たものをそのまま描くことよりも色の扱いが上手いってことだな。

水上:すごく面白い色使いをするよね。おもちゃ的な色使いもしつつ、ダークな色もいれつつ…。

皆藤:小学生から高校生まで自分でウェブサイト作っていたんだけど、それを作るためのサービスでAdobeに5色のカラーパレットのアセットを投稿するサイトがあって、それを見て真似していて。利用者が日本人よりも西洋の人が多いからか、自分のカラーセンスは日本人っぽくないものになったんだと思ってる。紫とオレンジとか、強い緑とピンクとか。小さい頃から色の組み合わせにはすごく興味があったな。
お絵かき掲示板にデフォルトで装備されていたカラーパレットってすごい独特だったよね?

水上:変だった!使いにくかったよね。こんな色の組み合わせじゃ絶対良い絵描けないだろみたいな。記憶が蘇ってきたな(笑)

今回の展示作品について

「Fungal Fugue」展示風景
水上愛美(左)と皆藤齋(右)の作品

━━皆藤さんが今回展示していた作品は、特に色使いが今までとは違う印象でしたね。今回展示された作品についてお二人から聞きたいです。

水上:今回展示した作品はこれまでよりも要素を多くしました。私の作品は神話とか映画や小説のストーリーといったものから気になったものを抽出して、キャンバス上に配置して描き、塗りつぶして層を重ねて描くというプロセスを踏むのですが、今回の展示では「イメージの収集」というキーワードもあり、描くイメージの数を普段より増やしてみようと思いました。

━━絵を描くときは層に描くモチーフの繋がりを想像してストーリーを組み立てるんですか?

水上:構想は最初につくります。塗りつぶされた層は物理的に存在しつつも見えなくなるのですが、その塗りつぶすという行為は「隠蔽する」ってことでもあるし「隠されたことによる意味」を付与することにもなります。隠されるイメージと隠すイメージという2つの役が立ち現れて、その2つをどうやって結びつけたらより強固なコンセプトになるかということを考えます。絵画としてこうあってほしいという状況を邪魔しないように、入れなければいけないモチーフを入れたりすることも可能です。
ただそれは同時に、塗りつぶしたら加筆できなくなるということでもあります。絵の中では未来と過去を行き来することを一つのテーマにしているけど、物理的には過去のことに触れられないので、構想を最初に決めておかないと、コンセプトが崩壊してしまうと思っています。

水上愛美「Sleeping Dog and Some Salvation」2023年、パネルにリネン、アクリル絵具、
チャコールペンシル、サンドペースト、砂漠の砂

━━そのような考え方の描き方は奥行きを意識しなければ描けないのかなと思うのですが、立体的に箱のような形を意識しながら絵を描いているのでしょうか?

水上:そうかも知れないですね。ランダムにモチーフを配置することはあまり好きではないので、どうやってそれをキャンバスのなかに〈収納〉していくかを考えます。

皆藤:私もキャンバスの四角の中に〈収納〉するイメージはある。私の場合はキャンバスの外に空間が無いし、絵として何かが見切れるということも無い。見えている四角の中が世界の全てであって、そこに入れたいものを見えるように配置する。でも水上さんの場合は神のような視点、つまり過去から未来のすべてが見えるような視点を持っているから、枠組みの外には世界が無いイメージなのかなって思った。

━━フレームの周縁にはイメージを作らないような作り方なんですね。そういうものがある作品というのはどのようなものにあたりますか?

皆藤:鑑賞者に、見る余白を与えるような絵とかはそれに当たると思う。私も水上さんも、決まった世界があってそれを絵画を通して提示しているのであって、鑑賞者の心と繋がって考えてほしいというような気持ちはあまり無いのかなと思った。私達ふたりとも心みたいなものに強い関心はないのかも。悲しさとかの感情をアイコンとして使うことは好きだけど、リアルな感情としてのポエティックな表現をすることはあまりないと思う。

水上:そうだね。生もの的な感情を扱うことはないと思う。

皆藤齋「Morphing Training (skin and one to ninety)」2023年、キャンバスに油彩、木炭

━━皆藤さんが今回展示された作品はこれまでとは少し違う様相でしたが、今回はどのようなことに関心を持って制作したんですか?

皆藤:今回の絵は新しいシリーズとして作ってる。〈人はどうやって自分のパーソナリティをビルドアップするか〉ということは普段から作品のテーマにしているんだけど、今回の作品もその一つ。今回の絵には脱いだあとの全身タイツとかマスク、手袋、背景には数字が描いてあって、これは〈自分自身から何か変わった状態に移行すること〉について考えてる。
全身タイツや手袋は、きぐるみにフェチズムを持っている人たちがアイデアソースになっていて。まず世の中には肌色の全身タイツを着てアニメのコスプレをする人がいるんだけど、男性のコスプレイヤーがコスプレする時に骨格が違うことで男性的に見えてしまうことに難しさがあって、その対処として西洋だと胸を極端に大きくすることで顔を相対的に小さく見せて、アニメ的な身体のバランスを取るらしい。日本や中国では、頭を大きくすることで解決するらしいんだけど。
彼らを見ていて面白いと思ったのは、きぐるみをメタ的に楽しんでいるところ。外部から彼らを見る人達は、彼らが素の自分を好きになれないからそれを隠してなりたい像になろうとしているんだと想像すると思うんだけど、実際のところ彼らは〈生身の人間が布で覆われていること〉とか〈そこにチャックが在ること〉に対してフェチズムを感じているらしい。それを見ていて、彼らにとって自分が理想的なキャラクターになることに意味があるのではなくて、実際の自分がきぐるみになるという「変化」に意味があるのではないかなと考えた。
私は普段から「本当の自分があって、仕事する姿は嘘、遊んでいる姿が本当」っていうような二元論的なあり方に対しては否定的で、すべての要素が自分を構成しているって考えているんだけど、きぐるみで覆われた自分とリアルな皮膚の自分が行き交うことに重きをおいているって考えているとしたらそれってすべてを包括した人格の自分を表しているんじゃないかなって思えて、興味を持った。その楽しさというものを、きぐるみを引用したイメージを通して絵画の中で語ってる。

皆藤齋「Morphing Training (Hand and one to tweny five)」2023年、キャンバスに油彩

━━全身タイツ、マスク、手袋が描かれる背景に数字が書かれていますが、それらにはどんな関係があるんですか?

皆藤:背景に描かれている数字は、ビジョントレーニングっていう認知トレーニングから取ってる。それは少年院に行った子どもについての本を読んで知ったんだけど。少年院に通っている子どもは認知が歪んでしまう課題を抱えている人が多いらしい。例えば、人が優しくしてくれただけで自分のことが好きだと勘違いしてしまったり、歩いていて人と目が合ったら悪意を感じてしまったりすることで、いじめられたりあるいは暴力をしてしまう。そういう認知の歪みを鍛えるトレーニングとして、小さい数字から大きい数字の順に探していくというものがあって、そこから引用してる。
あと、自分はディスレクシア(失読症)かもしれないと思っていて、それについて調べている時に、同じトレーニングがディスレクシアを改善するためにも使われることを知った。少年院でその認知トレーニングを受けている人のことを想像すると、彼らは一人だったらそんなことする必要はないけど、社会というものに適合するためにしなければいけないんだよなと思った。文字も、読めないと社会的に不利になってしまう。どちらも社会に馴染むためにする変身のようなものだと思う。
こういうトレーニングによって〈矯正されてする変身〉ときぐるみみたいな〈楽しんでする変身〉みたいなものを一つの画面の上に構成したっていうのが今回の絵。でもこういう構成要素を見つけてからイメージを当てはめて描いているわけではなくて、描きたいイメージがあって、そこから意味を見つけていく方法で生まれてる。

水上:めっちゃいいじゃん(笑)要素は知っていたけど細かいところは聞いていなかったから、今聞けてめっちゃいいじゃんって思った。

皆藤:ありがとう(笑)見つけたイメージに着想を得て描きたいから描いているんだけど、これまでのテーマとも奇跡的に繋がってきてる。

精神と肉体

━━お二人は、モチーフの選び方と描き方がすごく近いようで、絵画として描くことに対する意識は異なっています。皆藤さんは絵画を平面的に、水上さんは立体的に考えていますよね。

皆藤:そういう考え方は多摩美の教育的だなと思う。芸工大ではそういうことは全くやらなかったな。

水上:確かに、多摩美では絵画をメタ的に捉えるという方法は多いかもしれない。非常勤の先生の影響もあるのですが、メタ視点で絵画を考えることや「作家という自分」をメタ的に見たりとかそういう考え方ですね。

皆藤:私は元々の性格として三次元的なものや考え方にあまり興味がないというところがあるので、もし教育でそういうことを教えられていたとしても今のような絵を描いていたと思う。そうなる要因は、絵を描くことの前に持っている興味が「人間」なのか、もしくは「アートをすること」なのかという違いなのかもしれない。私にとって「人間を解析すること」が制作することのメインのテーマであって、絵画的な仕組みや物質的な仕組みにはあまり関心を持てない。それは、おそらく私の精神と肉体の距離がすごく遠いからというのも理由としてあると思う。

水上:精神と肉体….?それはどういう(笑)…?

皆藤:話がすごく飛躍してしまうのかもしれないけど(笑)人によって精神と肉体の距離感って全然違うと考えているんだよね。私自身の精神と肉体はすごく距離があると思っていて、それが自分のジェンダーや性自認にも関わっていて、さらに絵を描く事の感覚にも繋がっていると思う。もし私の精神と肉体の距離がもっと近かったら、自分をノンバイナリーとかジェンダーフリュイドだと認識していたと思う。でも私は精神との距離が遠いことが理由で自分の肉体に興味がないから、自分をシスジェンダーのストレートだって考えている。もし肉体と精神の距離が近かったら、自分の物質的な所有物にもっと興味を持って、違う認識になっていたんじゃないかなと。そういう物理的な世界にあまり興味がないし、自分の肉体に興味がないし、物に興味がない。肉体が精神に与える影響とかに興味はあるけど作品の中では自分の感覚とか経験みたいなものは扱っていない。一方でマテリアルの選択とかに関係しているとは思う。私は肉体を、精神という大きなものを入れる器として存在するもので、精神に対して副次的なものだと考えているのかもしれない。

水上:私は肉体と精神の距離がすごく近いんだと思う。小さい頃から足が早かったり運動が割とできたから、自分の肉体が自分の思い通りに動くという経験をしていた。そういうところから「物質が自分の思い通りに動く」「絵の具も思い通りにできる」っていう自信が元々あって、物質との距離は近い気がする。

皆藤:それはすごい!私は自分の肉体が自分の思い通りに動いたことがない(笑)私は体が思い通りに動くことがなかったから、足枷のように感じていた。だからそういうことを感じる必要のないインターネットに没頭したんだと思う。肉体と精神に距離があると体に対して嫌な気持ちしか生まれないから、大人になるに連れてどんどん乖離していった。そうやって精神に重きを置くようになったから、作品で扱うものもどんどんイメージ的な絵画になっていったんだと思う。
私が絵の具を扱うのは、水上さんとは逆で思い通りにならないからだな。小さい頃からCGをやっていたんだけど、CGは何かあればUndo(アンドゥ)したりヒストリーから戻って思い通りにできる。でも実際に絵の具を使った時に、絵の具は思い通りにならないし乾くまでの時間があって、そういうところが面白いと思った。フィジカルが思い通りにならないがゆえにそこに面白さを発見していったんだろうなと思う。あとはやっぱり解像度が無限にあるっていうところにはいつでも感動するね。あと、自分の作品で描くテーマにも繋がるけど、思い通りにならない絵の具を使って予想外のことが現れてきたときに、自分の不器用さを愛せる気持ちが生まれる。

水上:あー。それはわかるな。

皆藤:私の作品は「自分のマイナスな要素を積極的に肯定していく」っていうことが作品のテーマになっていたりするんだけど、そういったところで、描く過程とかプロセスと思想的なものと合致しているところがある。

これからの話

━━今後の展開としてはどのような作品制作を進める予定ですか?

水上愛美「untitled」2023年、アクリル絵具、鉛筆、絵がプリントされた古い木

水上:今、よくある既製品のパネルや木枠を絵画の支持体にしているけど、購入した別の人の持ち物を使用してみようかなと思っています。今回の作品の一つに絵が印刷されていた古い木に絵を描いていて。誰かが持っていたものって、そこに個人のストーリーが付与されていたりするから。

皆藤:そうだったんだ。一層目に全然知らない絵って新しいね。面白い。

水上:実際に誰かが描いたペインティングだと忍びないから、今回はプリントされたものを選んでる。

皆藤:私も、新しいことをしたいなと思っていて、陶芸で平面作品を作ってみようかなと思ってる。さっき話した自分の体の扱いにくさの次の段階に行きたくて。自分にとってはイメージが大事だから、平面じゃなくても良いかもしれないと思っていて、もし立体作品でイメージが作れるならそれでも良いんじゃないかなと思ってる。手に負えないメディウムとして、やってみたいな。陶芸って割れたり、壊れたりするから。

水上愛美「Stranger」2023年、ブロンズ粘土、大理石、アクリル絵具、修復用接着剤

━━Ritsuki Fujisakiで開催された水上さんの個展で展示されていた陶芸作品も、壊れていくことで完成するような作品でしたね。

水上:そうですね。作品を自分から遠ざけるための手段なのかもしれないです。

皆藤:自分の場合は、人間の手に負えないことを肯定していく方法なのかもしれない。

━━肉体に対する考え方がぜんぜん違うのに、アプローチが似ていることが面白いですよね。とても楽しみにしています。

展覧会情報

皆藤 齋、松本 菜々、水上 愛美
「Fungal Fugue」
5月20日〜6月24日
https://www.hagiwaraprojects.com

皆藤齋 個展「Looming Digits」
Blue Velvet Projects(チューリッヒ、スイス)
7月9日〜29日
https://www.bluevelvetprojects.com

東京現代(アートフェア)
Tang Contemporary Art ブースから皆藤齋が参加
7月7日 から7月9日
https://tokyogendai.com

皆藤齋
1993年北海道生まれ、東京都在住。2016年東北芸術工科大学美術科洋画コース卒業。2019年京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻修了。
主な展示に、23年個展「The Elastic Edges」(Ritsuki Fujisaki)、個展「Looming Digits」(Blue velvet projects)、22年個展「黩 Blacken」(HIVE CENTER FOR CONTEMPORARY)、個展「Tools are validated」(Tang Contemporary Art)、「The Monopolistic Sweet Spots」(MAMOTH)、21年個展「現れるのに勝手はない」(LEESAYA)。2018-19年第1・2期クマ財団奨学生。コレクションに、和美術館、X美術館、星美術館、東北芸術工科大学。

水上愛美
1992年東京生まれ。2017年多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。
主な個展に「And So it goes」larder gallery (2023年 ロサンゼルス)、「If the accident will」Ritsuki Fujisaki Gallery(2023年 東京)、「Catharsis Bed」CADAN有楽町 (2022年 東京)、「So it goes」4649 (2022年 東京)、「Dear Sentiment」TOKAS本郷 (2021年 東京)、主なグループ展に「Paprika」Each Modern(2022年 台北)「VOCA展 2022」上野の森美術館 (2022年 東京)など。

村田冬実
1990年生まれ。アーティスト活動と並行して、ギャラリープロジェクトも行う。2023年8月から渋谷桜ヶ丘で新しいスペースをオープン予定。
主な個展に「Down」デカメロン(2022年 東京)、「Hang」4649(2022年 東京)、「DOVE / かわいい人」4649(2019年 東京)グループ展に「TOKAS Project Vol. 3 東京デトロイトベルリン」TOKAS本郷(2019年 東京)など。

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