インタビュー
活動支援生インタビュー Vol.38 スクリプカリウ落合 安奈さん「透明な臓器に色を与える、ルーマニア滞在記」
クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。
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>活動支援生インタビュー、はじめます!
Ana Scripcariu-Ochiai | スクリプカリウ落合 安奈
日本とルーマニアの2つの母国に根を下ろす方法を探るということを手掛かりに「土地と人の結びつき」というテーマで作品を発表し続けてきた美術家・スクリプカリウ 落合 安奈。国内外で土着の祭や民間信仰などの文化人類学的なフィールドワークを重ねながら、インスタレーション、写真、映像、絵画などマルチメディアな作品を制作している。2021年9月に六本木のANB Tokyoで行った個展「わたしの旅のはじまりは、 あなたの旅のはじまり」では、生い立ちへの問いから作品を生み出す落合さんにとって、向き合うことが避けられない存在である、母・写真家の落合 由利子との展覧会を開催した。
また、2022年のはじめに公益財団法人ポーラ美術振興財団の「若手芸術家の在外研修助成」に採択され、「土地と人の結びつき」というテーマで人々の中に眠る帰属意識や共同体のあり方について研究するため、同年12月にルーマニアでの1年間の滞在を決意。主に写真を撮りながら現在もフィールドワークを行っている。
今回は、現在もルーマニアで滞在研究を続ける彼女にオンラインでインタビュー。彼女のバックグラウンドや個展での活躍を知る、キュレーターの山峰 潤也が聞き手として参加しながら、ルーマニアでの旅の軌跡を紐解いていく。
聞き手: 山峰 潤也
編集: クマ財団事務局
▼前回のインタビューはこちら
活動支援生インタビュー Vol.1 スクリプカリウ落合安奈 : 個展 「わたしの旅のはじまりは、 あなたの旅のはじまり」スクリプカリウ落合安奈|落合由利子インタビュー
透明な臓器に色や実感を与える旅
©︎Ana Scripcariu-Ochiai
━━昨年12月に日本を発ってから、半年ほどルーマニアに滞在されているかと思いますが、まずはなぜルーマニアでの滞在を目指したのかについてお伺いしたく思います。
落合:私は日本人の母とルーマニア人の父の間に生まれた経験から、「土地と人の結び付き」をテーマとしてフィールドワークベースのミクストメディア作品を作ってきました。
私が生まれ育ったのは日本なので、自分の中でテーマが見えた時から、まずは日本について知るために日本のお祭りや風習・伝統がある場所に足を運んでいました。ただ、時間が経てば経つほど、アクセスが容易ではないルーマニアについての研究のウェイトがどうしても小さくなってしまって。「2つの母国に根を下ろす方法を探る」ことが自身の中で重要なので、1つの身体に限界はありながらも、どちらも同等の深さで知っていきたいという気持ちがあります。
もちろん、今までにもルーマニアへは制作のフィールドワークとして2回訪れたことがあるのですが、数ヶ月間の滞在をこの先何度繰り返しても自分が掴みたいものを手にすることができないと気づいたんです。ルーマニアの土地や文化を理解して自分の掴みたいものに触れるためには、最低でも季節を一巡りするくらいはこの土地にいて、深く潜っていく必要があると数年前から強く思っていました。
━━どうして現地に滞在してまでルーマニアを深く理解することが必要だと思ったんですか?
落合:まず、ルーマニア人である父とは複雑な事情でコミュニケーションが難しい状態で、母はルーマニア人ではないし、現地で生まれ育ったわけでもないから、ルーマニアの伝統的な風習やこの土地で育まれた文化を教わることはできなくて。
そんな中で、他者からルーマニア人としての私を求められることがこれまで数えきれないほどありました。外見や日本には馴染みのない名前を見て、初対面の人に「ハーフ」や「外国人」として扱われてしまう。そして「どことの“ハーフ”?」と聞かれて「ルーマニア」と答えると、「どんな国?」と質問が続くんです。
私はルーマニアで生まれ育っていないし、実感もないし、知識もない。そういった質問を無限に繰り返されるなかで、自分のルーマニア人というアイデンティティが、まるで「透明な臓器」として身体の中で肥大化して苦しい状況が人生の中で形成されていきました。
そしていつの間にか、ただ苦しみに耐えるのをやめて、「この透明な臓器に、血を通わせて色を与えたい」という欲求が自分の中から湧き上がるようになりました。
━━安奈さんの中にあるルーマニアの「血」は、自身を構成しているものであることは間違いないけど、それについて知らないことの方が多い。まるで見えない臓器が自分の中にあって、触れない状況のことを「透明な臓器」だと感じているんですね。まさにこの旅は、その臓器に色や実感を与えるための、切実な旅ってことだよね。
落合:そうですね。
こういった想いを抱えながらルーマニア滞在の準備を整えている最中、パンデミックが発生してしまったため予定より3年も計画が遅れてしまいましたが、昨年12月からルーマニアに滞在しています。
クマ財団の活動支援に採択いただき撮影機材を新調し、その後にポーラ美術振興財団の海外研修の助成をいただいたので計画を実行することができました。
「わたしの旅のはじまりは、 あなたの旅のはじまり」2021年 展示風景
━━足止めを食らっていたパンデミック下においても、写真家のお母さん落合由利子さんと展覧会を開催していましたね。
落合:はい、山峰さんからお話をいただいて展覧会「わたしの旅のはじまりは、 あなたの旅のはじまり」を開催しました。あの展覧会があったからこそ、一度立ち止まって、時間と勇気を使って母と向き合って、自分が生まれたきっかけを知ることができました。もしあそこで一度立ち止まらずに勢いでルーマニアに行っていたら、バタバタしながら1年間が過ぎ去っていたと思います。
当時は正直、親子として難しい関係になっていた時期でもあって。2人とも作家なので、向き合うことが困難な部分、向き合い方を間違えるとお互いの関係性が壊れてしまうような緊張感があったように思います。
作家として、そして自分の人生として「自分のルーツ」や「自分がうまれたきっかけ」をどうしても知りたかったんですけど、同じく表現者の母にとっても作品を作る上でとても重要な部分だったので、尋ねても共有してもらうことが難しくて。作品で対話することで、私の中で空白だった部分と写真家としての母との拗れをほどくことができたと思います。
━━あの展示を見て、表現者である親子は作品を通してコミュニケーションすることができるんだなと感動しました。タイトル「わたしの旅のはじまりは、あなたの旅のはじまり」はまさにそれを表していて、母・由利子さんが撮ったあの時代の写真を安奈さんが受け取ったことで始まる、そして継がれていくことの意味を表しているなと思います。
日本とルーマニア、2つの国を同時に生きている
《Light Falls Home(s) – 家のひかり》シリーズより。2021年制作。
パンデミック下、日本の自宅に差し込む光のもと、ルーマニアの民族衣装を撮影。
━━日本とルーマニアは文化として違うことも多いと思うけど、実際に滞在してみて特別感じる違いみたいなものはありますか?
落合:行く前からなんとなく聞いてはいたんですけど、ルーマニアは時間感覚が日本と全然違うなと感じています。飛行機の出発が30分遅れるのは当たり前で、何もかも予定通りに進まないんです(笑)スケジュールをしっかり決めて動くような日本の感覚とは違いすぎて、最初はめちゃくちゃ大変でした。
それに、ルーマニアの伝統的な風習を追おうとするとカレンダーに沿って動く生活になるんですけど、昔ながらの伝統が残っているところはアクセスが悪い場所ばかりで。前もって移動を助けてくれる人を探したり様々な準備をしないといけないのですが、先々の計画が上手く立てられないので結構難しかったりもします。
半年経った今は少し慣れてきて、ルーマニアの人々は人の繋がりを大事にしていること、人からの紹介で繋がっていく社会なんだとわかりました。
かつての日本にもあったであろうウェットな人間関係が今でも残っていて、日本では多くの人が見て見ぬふりしてしまうような場面でも、ルーマニアでは知らない人が助けてくれる。もちろん大雑把な部分もあるけど、あたたかくて懐が深いような、おおらかな人柄を感じますね。
父に対して感じていた「分かり合えなさ」や「コミュニケーションの中での摩擦」といった部分をルーマニアで出会った人に垣間見るような経験もあって。あの違和感は、全てがそうではなくとも、ある部分では確実に文化の違いなんだと思うこともありました。
━━予定通りには進まなかったけど、偶然の中で巡り合ったことに対して喜べるかどうかって結構重要だと思いますね。
落合:そうですね。
日本にいたときは先々のことまで計画して不安になったりすることもありましたが、ルーマニアの予定の立たなさに直面して、逆に今を集中して生きるということを半ば強制的にできるようになったと思います。
あと、日本での仕事も同時並行でしているのですが、日本とルーマニアは時差が7時間(サマータイムだと6時間)もあり、ルーマニアの夜0時に日本では朝が始まっている。連絡のやりとりなどが大変なときもありますが、同時に2つの国に生きているってことを実感しています。
写真を撮ることは、“見る”こと以上によく“見る”こと
©︎Ana Scripcariu-Ochiai
━━落合さんは油絵や現代アート、インスタレーションなど様々な垣根を超えて活躍されていますが、どうして写真を始めようと思ったんですか?
落合:母親が写真家なので、写真について厳しい事を言われることが多く、実は写真表現はずっと避け続けていました。
でも、美術の道に進み、1つの身体で2つの国に生きるために「移動すること」が私の表現に欠かせないものになったことで、いつの間にか写真が重要な表現手段の1つになりました。
ただ、卒業した学部は東京藝術大学の油画専攻で現在は彫刻科博士課程所属という経歴なので、写真学科で専門的に学んできたわけではありません。
━━撮影する中で、写真はどんな表現方法だと感じていますか?
落合:この半年間、写真を撮ることは私にとって何なのかと考えたときに、飾らない言葉で表現するなら「“見る”以上によく“見る”こと」だなと思っています。そして、目の前のものの呼吸を感じ取ってセッションすること、ですね。
写真を始めた頃はデジタルで撮影していたのですが、利便性などの様々なメリットを考慮しても、私が求めているものはデジタルでは表現できないなと思い、今回の渡航準備として昨年1年間はフィルム写真での表現を研究していました。
私より上の世代の人々は、フィルムからデジタルへ移行する歴史の流れの中で、自分に合った方を選ぶことが自然だったと思うのですが、私はデジタルカメラが普及した時代に生まれ育ったので、特別な理由がない限り本格的なフィルムカメラを手に取る機会はありませんでした。
そのため最初の入口はデジタルになりましたが、写真の歴史と少し逆行する順番でフィルム写真という自分の欲しい表現にたどり着きました。
━━フィルムカメラはその場の空気を粒子に閉じ込める力がありますよね。その場のその光から化学変化を起こして生まれてくる表現だから、エモーショナルな空気を表現できる。
落合:普段、身体的に感じられるような質感や抵抗感を作品の鑑賞体験に持たせることが多いのですが、自分のデジタル写真では抜け落ちてしまっていると感じていました。しかし、フィルム写真ではそれを表現することができると実感しています。
フィルム写真は、丸の粒子で構成された物質感や、写真を撮ったその時・その場所に連れて行ってくれるような奥行きや空気感を孕んでいます。フィルム写真を撮影するための様々なアナログの物質感も、暗室で手焼きプリントする時の感覚も、身体を使って作っているから、「情報」ではなく「物質」として彫刻しているような実感があります。
━━写真を立体物のように捉えているのはユニークな視点ですね。
落合:平面メディアでありながらも、まるで粘土を素手で捏ねるように、出会ったものとの一瞬一瞬を、質感やリアリティーを大切にしながら手探りで作っていく感覚です。
まだ発表していませんが、この半年間で100本以上フィルムを撮りました。現地でカメラを構えていると、カメラが体の一部になって、目以上に目になってくれているのを感じます。私がやりたいのはドキュメンタリーではなく、目では捉えられない一瞬の興奮、対象とのセッションなんだなって思います。
『COURRiER JAPON』(講談社)で連載中の「ルーマニア潜水記」のメインビジュアル。
ルーマニアの村での、初めての本格的なフィールドワークで撮影した思い入れのある一枚。
━━カメラが身体化されるということは「今、ここにあるこの場・この瞬間が私に撮られたがっている」ような状況に出会って興奮して、考えるよりも先に身体が動く世界なのかなって思います。
考えてシャッターを切ることは多少なりとも計画性が必要だと思うんだけど、思わぬ偶然性を受け入れるルーマニアでの生活がカメラとの向き合い方にも変化を与えているのかもしれませんね。
ルーマニアに来てから心理的な変化として大きかったものはありますか?
落合:実は、ルーマニアに行く前から何を見ても心が動かなくなっていました。隣国であるウクライナでの戦争のショックと、それでも行くなら年齢的に今が最後の機会だから危険でも行かなければならないという、様々な感情と葛藤で精神的にダメージを受けたのもあったと思いますが。
そんな状態でルーマニアに来て、今すごく興奮しながら写真を撮れているのはなぜなのか考えたとき、改めて思ったのはルーマニアには「本物」が溢れているってこと。
━━「本物」とは?
落合:例えば、日本で売られているスーパーの食べ物って腐らないように添加物や品質管理が施されているけど、ルーマニアで買った鶏肉は賞味期限が切れていないのになぜかネバネバして腐っているみたいなことがよくあって(笑)
でも、それって「本物」だと思うんですよね。腐らないように延命措置をして綺麗にラッピングしたものじゃなくて、その物質があるべき姿で腐っていくような自然なサイクルで色々なものが動いている。
北部の研究地の村にて。「明日生まれる。」なぜわかるのか聞くと「何年もこういうことをやっていれば機械なんてなくてもわかる。」という答えが返ってきた。またある時、急に暖房がない家で一人っきりの暖炉生活が始まった時も、何分おきに薪をくべればいいか尋ねたら、「見てればわかる。」とだけ返ってきた。「今はわからなくても、見てればわかる、行ってみればみればわかる」この土地では、情報ではなくて感覚を使って世界に直に触れることを教えられているような気がする。
落合:見えるところで新しい命が生まれたり、生活の中で死の悲しみに触れたり。お風呂や水道がなかったり、街のあちこちがボロボロで工事の騒音に毎日叩き起こされたり、首都でも急に断水したり、乗り物はいつ来るか、いつ到着するかわからなかったり。
物事が数字通りに動かない、整備されていない、たくさん備えてもほぼ予定外のことしか起きないけど、とりあえず行ってみてから考えようという世界だと思います。
次にやってくる一瞬に生き物としての感覚を使って全力で対応しないと、生きていけない社会。生きるのに一生懸命にならざるを得ない、ダイナミックな世界だからこそ「本物」というキーワードが私の中でしっくりきているのかもしれません。
この感覚って、きっと日本にいるだけじゃ得られなかったと思います。
日本の秩序だった安全な生活や、繊細な思考に没頭できるほど整えられた世界がどんなにすごいことだったか実感する毎日です。でも、この自然なサイクルをダイレクトに感じられるルーマニアだからこそ、自分が何を掴みたいのか気付くことも多いです。
本物だけを大事にして、本物だけを残していく
村での伝統的な風習のフィールドワークの様子
━━「土地と人の結びつき」というテーマでフィールドワークを行う中で、社会の変化を受けて文化が途絶えていく場面に出会うこともあるかと思います。もちろんローカルを守ることの重要性は感じていると思うけど、見えないところでたくさんのものが失われている圧倒的な社会の流れがある。
この矛盾した状況の中で、自身の作品の方向性など、何か見えてきたものはありますか?
落合:最初から、この土地で四季を過ごしてみないと本当の意味では何もわからないと思っていて、現時点で作品として無理にまとめることは嘘があると思いますし、何か掴めた!という100%の確信もありません。
しかし、研究滞在期間の半分を終えた今、求めているものの端っこが僅かに指先に触れ始めたような感覚があります。それをあえて言葉に置き換えるなら、やはり「本物」である事が私にとって重要だということ。
幼稚な響きにも聞こえるかもしれませんが、アーティストのやるべきことは「本物」を大事にして、「本物」だけを残していくことだと感じています。命を懸けた切実なリアリティを私は大切にしたいです。
生き物として、自然の中に裸で放り込まれたらどうやって生きていけばいいのか、大地に近い人々の暮らしから少しずつ学ばせてもらっています。すごいスピードで回るように設計されてしまっている社会の中で、いつ消えてしまってもおかしくない、ここにある美しい瞬間や喜びや祈り、時には過酷さも全て受け止めて、私なりの形で伝えていきたいと思っています。
そういった「本物」の経験は社会に対して色々な気づきをもたらしてくれると思っていますし、即時的な効果はないかもしれないけど、人に深く刺さる、何世代先の人まで届くメッセージになると思っています。
━━何が「本物」かを証明するのもアーティストの仕事だよね。
落合:偽物だとわかっていているのに「本物」だと言うような嘘はつかず、自分にとっての純度の高い「本物」を大切に届けていきたいですね。
もう1つ大切な気づきとして、このルーマニアの旅の中で、たまたま出会った人々から「ルーマニア人」として育んでもらっているという実感がすごくあります。それは、「家族に向けられる愛」のような喜びとともに、私の中の「透明な臓器」に少しずつ色を与えてくれます。人によって数時間、数日、数ヶ月と関わりを持つ時間は様々ですが、与える側としては、赤子のような新入りの仲間を育てるような感覚なのかなと想像しています。
今回の研究は「人間にとって文化とはどういう意味を持つものなのか」を探る側面があると思っています。1つの命で終わる話ではなく幾つもの命に跨っていて、それがどうやって流れて繋がっていくのか。これは、自分が子供を産むならば、その前の今、向き合わないといけないものだと感じています。でないと、途切れて消えていってしまう。
血のつながりとか文化の継承とかそういう言葉で整理されたものではなくて、本能的な渇望という自身が直面している切実なものとして、主観と客観を行き来しながら向き合っています。
人間の営みが生き物として様々な形で引き継がれていくこと、そしてそこに苦しみや危険が伴ったとしても本能レベルで繋げていきたいと思うのはなぜなのか、探っているところです。
この旅は、最初から苦労と危険に満ち溢れていて、ぎっくり腰で救急車のお世話になったり、研究先の村で食中毒に罹ってしまったりと、命の危険を感じることがありました。作家でなかったら正直来たくない、やりたくないって思うくらい大変なことの連続です。
でも、この毎日を全力で生きる中で、掴めてきた、知ることができた景色や、出会えた人々との大切な時間がたくさんあります。きっと終わったときには、作家としてこの旅を実行できたことを感謝すると思うし、実行できない人生じゃなくてよかったと感じるんじゃないかと思います。
残りの期間も全力で過ごしながら、もう1つの母国で過ごすかけがえのない時間という心意気で取り組んで行こうと思います。
━━その想いはきっと作品にも表れてくるし、出会いや巡り合わせを噛み締める時間が、アーティストとして生きていく支えになっていくと思います。今後の作品も楽しみにしています。
美術家。1992年埼玉県 生まれ。日本とルーマニアの 2 つの母国に根を下ろす方法の模索をきっかけに、「土地と人の結びつき」というテーマを持つ。国内外各地で土着の祭や民間信仰などの文化人類学的なフィールドワークを重ね、近年はその延長線として霊長類学の分野にも取り組みながら、インスタレーション、写真、映像、絵画などマルチメディアな作品を制作。「時間や距離、土地や民族を越えて物事が触れ合い、地続きになる瞬間」を紡ぐ。東京藝術大学油画専攻を首席、美術学部総代で卒業。同大学大学院グローバルアートプラクティス専攻修了。同大学大学院彫刻専攻博士課程に在籍。埼玉県立近代美術館(2020)、ルーマニア国立現代美術館(2020)、東京都美術館(2019)、世界遺産のフランスのシャンボール城(2018)やベトナムのホイアン(2019)など世界各地で作品を発表。主な受賞歴は、ARTnews Japan「30 ARTISTS U35 2022」、「TERRADA ART AWARD 2021」 鷲田めるろ賞、「Forbes Japan 30 UNDER 30 」2020、「Y.A.C. RESULTS 2020」SWITCHLAB / ルーマニアなど。令和4年度公益財団法人ポーラ美術振興財団在外研修員としてルーマニアで活動。
公式サイト | https://www.ana-s-ochiai.com/
Instagram | https://www.instagram.com/ana_scripcariu_ochiai/
講談社のWEBメディア『COURRiER JAPON』にて「ルーマニア潜水記」連載中。
ルーマニアでの1年間の研究生活·制作と並行しながら、大切な気づきを一つ一つ言葉として掬い上げ、現地で撮影した写真も多数掲載。
第一話
▶︎https://courrier.jp/columns/318329/
第二話
▶︎https://courrier.jp/columns/326051/
埼玉県立近代美術館・コレクション展「MOMASノ海」収蔵作品2点を展示していただいております。また、展覧会のメインビジュアルとしてポスターに作品が起用されました。■会期:2023年5月13日(土)〜8月27日(日)
■公式サイト:https://pref.spec.ed.jp/momas/2023momas01
■主催:埼玉県立近代美術館