インタビュー
活動支援生インタビュー Vol.15 皆藤 齋 ロングインタビュー 「自分のために絵を描くことはなかった」後篇
クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。
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KAITO Itsuki | 皆藤 齋
皆藤が描く絵画には、長い爪を持つ手、体を拘束する道具、肌を晒す人物、動物などのモチーフが繰り返し登場し、その一つ一つはキャンバスの上で意味ありげに繋げられていることが分かる。モチーフがどういった理由でそこに現れているのかを推測することは難しく閉鎖的とも感じられる一方で、モチーフと色彩で絵画の画面上を戯れるような明るさも同居していて、奇妙な禍々しさを醸し出している。このイメージは皆藤のどのような経験から生まれたものなのだろうか?インタビュアーである村田と皆藤は清澄白河の共同スタジオで2018年頃に知り合って以来、交友を続けている。今回は10時間程の時間を共に過ごして、普段の会話として話をし、皆藤のスタジオや自宅などを移動しながらインタビューを行った。
皆藤は、自身の作品制作の根幹を自己分析を通して築いたため、自身の考えを異常なまでに言語化できている作家だ。多くの人の目には皆藤は精力的でロジカルな人物に映るだろうが、身近な友人の目にはそのような華々しさとは逆に抜けたパーソナリティの持ち主として映る。同様に世間一般のアーティストは「天才」「才能がある」というような言葉で崇高さをもって評価されることが多々あるが、本来アーティストは一人の生活者であるので、そういった言葉で安易に測られるべきではない。だがその生活者としての彼らの考えは、言葉ではなく作品を通して見せることが多いため、その思考回路や経験の過程を想像することは難しい。
芸術作品は、常に意味の分からなさも矛盾も抱えているものだが、そこには作家自身の思考や言葉、生活に裏付けられたコンセプトが存在する。だから作品を見る私たちは、作家が選択した生活に対するひとつの眼差しを、分からないながらもそのまま受け入れる姿勢が必要なのだろう。そうすることで、芸術は更に「分かる」かもしれないものとして近づいてくるはずだ。このインタビューは前後編に分かれており、前編では皆藤が頻繁に描くモチーフや人物について、後編では油絵を描く以前に皆藤が幼少期から使ってきたデジタル媒体とインターネットでの活動について聞き、現在の絵画に辿り着くまでの変遷をまとめた。
インタビュアー:村田 冬実
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画像のインプット
――この一年はどうだった?
皆藤:スケジュールを入れすぎて大変だった……。でも、自分のキャリアが変わりつつある期間だなと思って、この忙しさもポジティブに受け止めてる。今まで使っていたスタジオも取り壊しになって、今の新しいところに引越して制作環境も変わったし。作家としては大きな転機の一年だったな。
――前にスタジオで見た時は絵を描く前にスクラップブックをたくさん作っていたけど、最近はどういうプロセスで絵を描いてる?
皆藤:「ジムで走ってる時に画像を見たらアイデアが出るんじゃないか」と考えて、走りながら集めた350枚くらいの画像をスライドショー形式で見てたんだけど、それくらいの画像は覚えてしまうから、必要としている時に見ないと意味がない。だから、今はK-POPのPVを見ながら走ってる。
――普段はどこから画像を集めているの?デジタルの画像集めは絵を描く時の重要なプロセスなの?
皆藤:最近の多くはTwitterだね。絵のイメージは見た画像から発想することが多くて、画像集めはイメージをインプットをするためにやってる。本当は集めた画像でスクラップブックを作ってから絵を描きたいんだけどね。
――これ(fig.2)は何?
皆藤:Amazonとか楽天で売られているおもちゃのセットの商品画像。画像を配置するセンスがすごく気になる。最近はこういう画像から発展して、道具のシリーズ(fig.3)を描いている。道具っていうのは、自分の快感のための道具。そこから、「自分が他人の道具になる、つまり大きなものに利用されたりする時あるよね」という感じで考えを展開させていた。まだコンセプトとして完成していないから、うまく説明できないけど、今はそういうモチーフをたくさん描いていて、今年予定している展示では、そういうモチーフがメインになっていく予定。
インターネットにあった遊び場
――齋にとって画像を配置することって大事な要素なの?
皆藤:そうだね。うちの絵にはコラージュの要素がすごく多い。天啓を受けて人と話せるようになった後、その前に絵具に真摯に向き合ってない期間が長すぎて、ぜんぜん絵が描けなかったからリハビリしようって思ったんだよね。その時ふと、高校の同級生だったKazquizと清水[1]と一緒に組んでたMSK[2]っていうグループで、新聞の束からランダムで1枚選んでそこから3つのイメージを切り抜いてコラージュを作るっていうルールで作った画像を、Tumblrに上げてリブログ数が多い方が勝ちっていう遊びをしてたのを思い出して、リハビリとしてコラージュを作り始めた。
――MSKの間には、インターネットで形成された独特の暗さというか怪しさがあるよね。高校生の時のこと、もっと教えて。
皆藤:高校生(2008年〜)の頃は、TwitterやTumblrで画像だけの会話みたいなものをしていた。世間的には「ネタ画像」と言われているけど、いわゆる大喜利みたいなものではない。制作者のエステティックが反映された画像を投稿してそれにイイねとかリツイート・リブログみたいな形で反応するような文化だったんだけど、排他的で内向的だったな。まぁある意味美術界もそうだけど……。
その頃のネット界隈は、今と比べてパーソナルな投稿はしないしアノニマス性が強くて謎めいていた。自分もネットの一部みたいな身体感覚だったのかも。半分の人はBotみたいな気持ちで参加する、そういう空気があったな。今は、それが現実と接続しすぎていると思う。ネットに自分の身体は存在しないのにあるように感じているから、他人からの言葉に過剰に反応してしまうみたいなことが起きるんじゃないかな。
その変化の起点は2011年の震災だったと思う。あの時から何かが変わってインターネットで活動することを辞めた。面白くなくなって、ちょっとずつやらなくなっちゃった。同じように友達も辞めていった。当時Pixivに投稿していたアニメ絵(fig.4)も描かなくなったし。もしかしたらその時の年齢(18歳)とか大学受験も影響していたのかもしれないけど、もっとリアルな方に気持ちを持っていかれたんだと思う。
当時の個人的な変化として、天啓前から精神的な成長の兆しがあったな。自分が属していたネットのアングラカルチャーっていう環境に対して少しずつくだらないと思い始めた。元々、自分はオタクではなくて、描きたいものはないけど人の絵を描くのが好きだからアニメ絵を描いていただけで、萌えカルチャーみたいなものには興味がなかったし、好きではなかった。あと、そこには女性蔑視的な視点があって、自分もそういうところで好まれる露悪的な絵を描いていたけど、気持ち悪いなと思い始めて、段々なんとなく嫌になっていった。
――齋は男になりたかったって言っていた(前編参照)けど、当時は男性的だったの?もしかしたら精神に女性的なところが現れ始めたのかもしれないね。
皆藤:そうだね。露悪的な萌え絵を描いていたのも自分が生まれ持った女性性に対する反動で、自分自身の否定だった。でも、反発自体がだんだん面倒くさくなって辞めた。当時の絵を見ていた人と、今でも展示のイベントとかでたまたま出会ったりすることもあるよ。今では隠してない。Pixivで萌え絵を描いてましたって言える。昔の自分だから。当時のうちはニッチな人気があって、稀に今でもTwitterで呟かれたりされる。ネット上の人って、いなくなると不幸なことがあったんじゃないかってみんな思うんだけど、現実世界に戻って幸せに暮らしているんだよね(笑)。
――何かを作って見せる経験がすごく早かったんだね。
皆藤:一番最初は小学生の頃、ポケモンのウェブサイトを作って、2ちゃんねるのアスキーアートのファンサイトをやってた。その後はリヴリー[1]の二次創作サイトをやって、中1くらいで一次創作のウェブサイトをやって、Pixivやって、Tumblrやって、今に至る。そういう界隈にいた人って、作品を人に見せるっていうコンペティブな環境に慣れていると思う。人気投票とかがあったし。
だから、作品を作って人に見せて批評されることとか褒められることは、制作の大前提にある。絵を描いて他人に見せないことはなかったし、自分のために絵を描くことはなかった。
子供の掲示板のコメントの荒らしってすごかったよ(笑)。「下手なんですけど投稿してみました」って投稿したら「じゃあ描くんじゃねえよ」とか「じゃあ消せよ」とかコメントがくる(笑)。大人よりも残酷な世界だった。だから、今マーケットに合わせてビジネスをやっているのは当たり前の感覚。たまたま美大出てアカデミックな環境に乗っかっているというだけで。
――三獣のヒエラルキーについて説明してくれた時(前編参照)に言っていた「絵を描く行動は自分のためだけの行動」という発言と相反するところがあるね。
皆藤:そうなんだよ。そこは自分でも矛盾しているなと思う。だけど、それもそれで良いと思ってる。矛盾していることは理解しているけど、それも自分自身の肯定として同時に愛しているみたいな状態。絵を描いている時は自分の作品を認められたい勝ち気な自分がいるんだけど、同時にナード系でヘラヘラしている自分でもありたい気持ちがあるんだよね。男とアマゾネスが同時に存在している状態。
非言語的なコミュニケーション ー画像掲示板からアートマーケットでの評価ー
皆藤:……なんでアートマーケットで自分の絵が売買されるのか、まだよく分かんない(笑)。売れるってなんだろうって考える。思いつく理由としては、運がでかい。うちはそれがめちゃくちゃ良いというだけ。あとは多分、うちも意図的にやっているけど、コンスタントにInstagramを更新していることが要因としてあると思う。今は社交よりもInstagramをどれだけいい感じに更新するかなんじゃない?(笑)つまり非言語的なアティテュード。自分の行きたいアート界とか、伝わってほしいと思う相手には、国や言語が違っても存在する非言語的な美意識があって、それを自分の投稿に反映させていると、自ずと近寄ってくるんだと思う。
――それって齋がインターネット上でのコミュニケーションを経験しているから特に分かることなんじゃない?
皆藤:そうだね。完全にTumblr文化から来ていると思う。流行っていた2010年頃を思い出すと、誰も言葉は発しないんだけど、かっこいい・かっこよくないっていうジャッジは激しかった。Kazquiz曰く、あるアカウントで自分の投稿の中に一つだけダサい画像を投稿して、それにいいねとかリブログしてきた人を全員外す奴がいたとか(笑)。そういう「ビジュアル」で仲間意識を持つカルチャーが強かった。
今、海外で仕事する時にその意識が反映されている面はある。そういう意識を持っている4649[1]みたいなギャラリーもあるよね。ウェブサイトは堅い情報を見せるんじゃなくてちょっとイージーな雰囲気を出す、みたいな。多分今は、丁寧に作品の解説を書いたりすることが重要ではないんだよ。
非言語的なコミュニケーションは、海外でビジュアルアーティストとしてやっていくためには大事なスキルかもしれない。今ってエステティックの世界じゃない?言葉よりも美意識がどれだけ共通しているかってところが大事。そこを一つ超えられたら、うまくいくんだと思う。うちは偶然にも大学院を出た直後からそれがコロッとうまくいった。
今、そういうコミュニケーションの文化が重要になってきていると思う。今の日本は、中途半端にグローバル化して、日本人以外日本語を喋れる人がほとんどいなくて、でもインターネットでは全部繋がっていて、アーティストは海外に出ないと食べていくことすら難しいこの状況下で……結果的に画像センスの良い人が生き残っていくのかも。
ただ、それだけじゃなくて、絵を作り出す時のアイデアにオリジナル性があるかどうかが大事だと思う。うちの場合はシステムを構築して、そこにメタファーを探していくという方法を使ってる。アイデアは無限に湧かないものだし、勢いでは描けない。傍から見たらそういう作家に見えるかもしれないんだけど「勢いでキャンバスに見えるイメージを描く」っていう思考は全くないね。
――色のセンスは持って生まれたものなのかな。影響を受けてたものとかはある?
皆藤:うち、子供の頃ダルカラーが好きで……(笑)。小5の時に作っていたウェブサイトは、ボルドーの下地に黒字とかオレンジだった(笑)多分血の影響かな……厨二病だったから……(笑)。でも色彩センスは昔から良かったと思う。高校の時はビビッドになって、黒を意識的に使ってた。日本の絵画は白っぽくて、黒が弱いと思う。見てきたものの経験が違うからそうなるんだろうけど。
例えばジグマー・ポルケとかイェルク・イメンドルフの絵を見ても分かるように、ドイツの絵はもっとコントラストが強い。彼らも無意識で描いているだろうけど、部分的に黒とかオレンジ・紫・黄色を入れて作っていて。そういう使い方をすると、海外の絵っぽく見えるんだと思う。うちもよくそう言われるけど、それは意識的に黒を使っているからだと思う。
ポルケとか海外の現代美術の作家を知る前の高校生の頃は、カラヴァッジョみたいなバロック絵画が好きだった。そういう興味は今でも構図に活きていて、絵画のなかで円を描いて視線を回すような構図はよく使っているかも。中心に一点を置くような構図は使わないな。
――モチーフが好きなんだね。それを画面に配置することが。
皆藤:図鑑的なものがすごく好きだね。ネット見すぎて画面のグリッドに慣れているから安心するのかな?(笑)同時にウニョウニョした有機的なものも好きだけど。
――図鑑は画面上で演出しようとする意識を感じないから好きなのかもね。齋の絵にも演出から離れようとする意識を感じる。画面上に配置されるイメージの文脈の辿れなさ、それ自体に美意識を感じるとか?
皆藤:そうだね。その意識と全く同じものが、画像集めの時にネットで拾った通販の商品を紹介する画像(fig.2)なんだと思う。他人が見ても分からないけど、自分の中に意味があることは大事。どこかから画像を拾ってきてもそれ自体にコンテクストとかソースがあるわけで、何かと何かが画面の中に同時に存在した時の面白さが自分にとって重要だと思う。学部生の頃、絵が描けない時はストリートスナップで見つけたものを撮ってたんだけど、その感覚にも通じるな。(fig.9)
――自分だけが見つけた喜びを、自分の絵画においても発見したい欲望があるんじゃない?
皆藤:それはそうかも。「この組み合わせ、俺が発見したけどどう?」っていう(笑)。
――どうして今の表現媒体として油絵を選ぶの?制作過程でデジタルのものを使っていて、これまでの表現媒体としてネット掲示板やPixiv、Tumblrを選んでいた人がなぜ最終形態として絵、しかも油絵を選ぶのかが不思議だなと思った。
皆藤:今インターネットを表現のコンセプトにしている人って、デジタルに触れるのが遅かったのかなと思う。今、自分はそういう表現を過去のものとして見ているようなふしがあるんだよね。幼稚園の頃からキッドピクス[1]っていうアプリで絵を描いて、紙に描くよりもCGとかペンタブを使うことの方が多かったんだけど、ずっと使っていたものって慣れちゃうし面白くなくなっちゃうじゃん。
実際の絵具を使ったとき、その情報量の多さにびっくりして、感動した。物質として出てくるし、立体になってる。絵具でワンストローク線を引いた時の情報量は、デジタルには敵わない。予測できないことが起こるし、コントロールができないことって、面白みを感じる。油絵を始めたのは大学4年生の時だったんだけど、今でも続けているのは単純に描きやすかったってことに尽きるな。そういう感覚だから、今デジタルっぽい作品には面白さを感じない。もちろん好きな作品も作家もいるけど。
でも、自分よりいくつも歳が上のキュレーターや批評家がデジタルっぽい作品を評価していると、メディアや人の変化の早い時代のスパンの中で何重にも重ねられたジェネレーションギャップを感じる。うちや同じ意識で絵を描いてる友だちは、デジタルはもう古いと思っているから油絵を描いているけど、もっと上の人がそれを見たら逆に新しくないって思われると思う。デジタルの反動で油絵を描くというコンテクストは今までになかったものだと思うし、そこから生まれるものって常に変化しているから、そこを注意深く見ないとこの文化背景から生まれている絵画のコンテクストって分かりづらいものだと思う。
――齋が油絵を選ぶのは、アートマーケットへのアプローチとも捉えられる視線もあると思うんだけど、その点はどう思う?
皆藤:それはぜんぜんないな。油絵は描いてて楽しいから。四角の中に描くっていうルールが決まっているのもいい。
――他にもルールが決まっているものもあるよね。写真とか。New Clear Answer[2]の時に出してくれた写真作品もすごくよかったよ。
皆藤:写真は、絵が描けない時に大学の授業で撮ったりしてた。授業で川内倫子さんがゲストで来た時にすごい褒められて、いい気になったりしてたよ(笑)。
――今年はどこで展示を予定しているの?
今は北京でやっていて、夏にタイのバンコク、冬にはロンドンとドイツで、来年は東日本橋で個展が決まっているよ。夏の展示が終わったら多分落ち着くかな。それまでは頑張らないと……。
注釈一覧
[註1] 清水将吾
アーティスト。巣鴨にあるギャラリー4649のディレクターの一人でもある。
[註2] MSK
皆藤が高校生の頃、同級生だったKazquizと清水将吾の3人で結成されたグループ。活動内容は友情十周年記念写真集の出版など。
[註3] リヴリーアイランド
2002年からサービスが開始されたオンラインブラウザゲーム。
[註4] 4649 (フォーシックスフォーナイン)巣鴨にあるギャラリースペース
[註5] キッドピクス
90年代前半を中心に使われた子供向けお絵描きソフト
[註6] New Clear Answer
プロジェクトギャラリーmumeiが企画して発表・販売された本としての展覧会。作家と作品は結び付けられておらず、どの作品が皆藤の作品かは知ることができない。
展示会情報
皆藤齋 個展「Blacken|黩」
2022年5月14日ー7月3日
HIVE CENTER FOR CONTEMPORARY ART|蜂巢当代艺术中心
北京市朝阳区酒仙桥路4号 798艺术区E06楼
http://hiveart.cn