インタビュー

活動支援生インタビューVol.37 職人との協働を通じて、技術を高めるプロセスから新しいものを生み出す。東 弘一郎『HANMA』

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Koichiro Azuma | 東 弘一郎

自転車と金属を組み合わせて、主に動く立体作品を制作している東弘一郎さん。今春、千葉県香取市佐原で、『デッカ・ハンマ・タイヤ・プロジェクト』を行った。佐原の大祭で山車に用いられる木製車輪「半間(ハンマ)」をモチーフに、その2倍の大きさの作品を制作。2023年4月20日〜5月14日、「古民家いなえ」で展示した。その半間のアート作品2輪と自転車を一体化させた《都市の半間》が、現在、東京・代官山のアートフロントギャラリーで初公開されている。開催中の個展『HANMA』を中心に、ものづくりへの熱い思いを聞いた。

取材・文 白坂由里

 

《都市の半間》2023年 アートフロントギャラリー

━━『越後妻有 大地の芸術祭 2022』『六本木アートナイト2022』などアートプロジェクトでの発表が多かった東さんにとって、初のコマーシャルギャラリー、ホワイトキューブでの個展になりますね。今回は、佐原で行われた『デッカ・ハンマ・タイヤ・プロジェクト』の流れを都市で展開すると聞いています。まず、佐原でのプロジェクトはどのように行われたのでしょうか?

東:佐原では地域のリサーチから始め、約4トンの山車を木製車輪で曳き回す、全国的にも珍しい「佐原の大祭」を知りました。24区が参加し、それぞれ独自に山車を工夫していて「関東三大祭」のひとつとしても知られています。僕はこの木製車輪を見て「これは古代の車輪だ!」と思い、感銘を受けました。今の自転車の車輪は「スポーク」という細長い棒状の軸が用いられて、中空になっているのですが、古代ギリシャの石を丸く切っただけの車輪と同様、”身が全部詰まっている”車輪なんです。直径90cmの大きさで、180cm=1間の半分なので「半間(ハンマ)」と呼ばれています。この木製車輪を使って作品を作りたいと思いました。

右奥は船戸区の山車と半間。左手前は東弘一郎の《デッカ・ハンマ》

━━山車は祭り以外の時期は倉庫にしまわれているのかと思いますが、どうやってアプローチしていったのですか?

東:佐原の家や店舗の前には、すり減ったりして使えなくなった半間が置いてあるんです。僕はそれを「野良(のら)半間」と呼んでいるのですが、その使えなくなった半間を譲っていただけないかとご相談してみました。そうしたら船戸区の方が「半間は神具なので差し上げられないけれど、半間や山車を職人がどうやって作っているかは紹介できる」と実物を見せてくださいました。

━━作り方を直々に教えていただけたのですね!?

東:はい。お話を聞くうちに、時代によって技術が進歩してきたこともわかりました。それで、自分の作品として木製車輪を作りたいと思い、2倍の大きさ=1間の直径180cmで作ってみようと考えたんです。工場で職人さんと一緒に作れるといいなと思い、船戸区の半間を制作した「守谷建具店」(埼玉県所沢市)の代表、守谷和夫さんにご相談したところ、「こんなに大きいのは作ったことない」と面白がってくれました。何回も通うことで本気度が伝わり、協力していただけることになったんです。

━━2倍になると重くなりそうですが、厚みも違うのでしょうか?

東:いえ、厚みはほとんど同じです。表面には、実際の山車と同じケヤキをつなぎ合わせて張っています。芯材は、重いと危険なのでなるべく軽い材料にしたいと思い、職人さんのアイデアで桐の集成材を使いました。サブロクサイズで1枚12kgの桐の集成板(1枚30㎜厚)を、ワイドサンダーで厚さを1割減らし円形にして9 kgにし、穴だらけにして7 kg に軽量化するなど、いろいろな工夫をしています。完成までひと月くらいかかりました。

━━その労働、協働の賜物である半間に、さらに自転車を組み合わせたと。新作《都市の半間》のデザインや構造設計はどのように考えられたのですか?

東:当初のドローイングでは斜めの線を描いていたのですが、山車って木組み(釘を使わない日本の伝統的な工法)でできているので、直角に交わる作り方をしているから斜めの線はないことに気づいて。それで全体のフレームをすべて直交にしました。自転車は、自転車を構成する最低限の要素であるハンドルとサドルとペダルだけにして、購入した産業用チェーンと組み合わせています。前輪がある気配を想像させるように、前輪を支持するフロントウォークは残して。また、実際の山車の車輪はアスファルトで削れていく様子を、《都市の半間》では回転する両輪が擦れ合い、木屑が落ちることで表現しています。

━━確かに、木屑が床に積もっている。実際に自転車を漕いでみると、意外にも軽い力で半間が回転するんですね!

東:一人でも子どもでも女性でも動かせるように、自転車で漕いで動かすようにしたんです。中央のシャフトの金属加工は、このような回転体を用いる作品を作るため、旋盤工の松田豊さんに弟子入りし、ご指導いただきながら、私が運営する鉄工所「あずま工房」で制作しました。芯からずれると漕いだ時に遠心力がかかって車輪が重くなってしまうので、シャフトも狂いなく作らなければいけない。100分の1、0.01ミリまで精度を高めています。主軸という見えない部品の高精度によって軽く動いたという驚きが自分でもありました。今回の旋盤の技術は、今後に活かせると確信しています。

旋盤でシャフトを制作中の松田豊さん

━━旋盤って昔ながらの機械ですよね? 一度だけ切削作業を見たことがあります。

東:僕が使っている旋盤は、生まれる前の1970年代、高度経済成長期を支えていた機械です。今はコンピュータでプログラミングできるNC旋盤があるので、手でものを作る職人さんは減ってきています。けれど、僕が考える美術は、素材を触りながら、手や目で0.1mmの差を追っていくことが大事だと思っているんです。

━━失われていく技術を美術の領域で活かすという意義もありますね。

東:そうですね。後継者もなかなかいないですし、極めてもコンピュータに勝てないと職人さん自身も思ってしまっていることがあるんですね。でも実際にはコンピュータより実際に作った方が早いことって多々あります。コンピュータでは全部工程をプログラムで指示しなければいけないけれど、職人さんなら物を見て適切な道具と手法を即座に選べて、精度はコンピュータと同じように高いです。

━━作品が完成して、職人の方々からはどんな反応がありましたか?

東:まず技術を伝えられたことが嬉しいと。「アート作品に技術が生きることが新鮮だし、自分が作ってきたものに自信が持てる」とおっしゃっていました。通常の仕事では、職人さんは図面をもらい、作って納品するだけなので何になる部品なのかわからないのですが、「アイデア出しから完成まで全工程を見たのは、長い人生の中でも数少ない経験だ」と話していましたね。先日、展覧会に守谷さんがいらして、「ギャラリーで見ると大きく見えるし美しく見えるね」と話されていました。ものづくりへの心境の変化があったのであれば嬉しいです。

━━今展では、船戸区の人々が半間を転がしながら歩く映像も上映されていますね。

東:区に約半年かけて交渉し、展覧会の直前の6月4日に実現しました。お客様も含め約4.50人も集まってくれたんです。この映像は《旅する半間》として展示しました。

映像作品《旅する半間》より、船戸地区の方々と《デッカ・ハンマ》の転がしイベントの開催

━━もうひとつの展示室には、マルセル・デュシャンの車輪を用いた作品を鉄で再現するドローイング、鉄で自作した半間なども展示されています。あらためて、佐原から東京へと展開してみて、今どんなことを思っていますか?

東:佐原は地元に自信があり、祭りを外に発信したい方も多いので、都市に半間を運んだことで、佐原に関心を持っていただければ嬉しく思います。佐原では若い人もお年寄りも山車が好きで、担ぎたい、見せたいという熱いマインドがあって。祭りが終わっても翌週には次の祭りの会議をしています。終わりが始まりなんですね。会社でも何かひとつのプロジェクトを複数の人と行なう機会があると思うのですが、ぜひ仕事帰りのビジネスマンの方などにも漕いでいただいて、開放的な気分になっていただけたら幸いです。

自転車がアートになった理由

━━それでは遡ってお聞きします。使われなくなった自転車を作品に用いるようになったきっかけを教えてください。

東:大学3年生の頃、東京藝術大学先端芸術表現科のある取手に住んでいたことがきっかけで、地域をフィールドワークして何か素材を集めようと考えました。取手がかつてベッドタウンだった頃は「自転車のまち」と言われ、大勢の人が駅まで自転車通勤をしていましたが、高齢化でみな乗らなくなったようで。家庭内で使われなくなった自転車が放置されている、いわば「家庭内放置自転車」を見つけたため、1軒1軒声をかけて自転車を集めるフィールドワークを始めました。ある日、家に自転車を置きっぱなしにしていたお婆さんに「使わないからこの自転車あげるよ」と言われ、田んぼと家の間にガード(垣根)がわりに土に挿してあった自転車をズボッと抜いてきて(笑)。自転車がモーターによって回る《他転車》という作品を作りました。

《他転車》2018年

━━持ち主たちに自転車にまつわるエピソードなども聞いていますか?

東:作品作りの説明から始まるので、聞かなくても自然と、この自転車はどこで買ったとか、何に使ったという話になります。自転車を集めながらお話を聞くうちに取手にも詳しくなりました。あの坂は急すぎて登れないとか、川があるのでぐるっと回らないといけないという話から地形がわかったり。1か所飛地があって渡し船があるのですが、自転車を載せてもいいとか。

━━1999年に「取手リ・サイクリングアートプロジェクト」をリサイクル自転車で回りましたよ。取手駅から寺や河川敷などを通って藝大まで、設置された作品を見ながら回りました。

東:アーティストの川俣正さんが取手の放置自転車を用いた「取手リ・サイクリングアートプロジェクト」を行なっていたと聞きました。取手には競輪場もあるので、「自転車とアートのまち」にしたいという動きが2004年まで続き、翌年から「取手アートプロジェクト」になり、ロゴにも受け継がれているんですよね。当時の構想を僕が再開できないかとも思いました。4年生のとき、取手市の文化芸術課の方と15台くらい自転車を集めて作品を作り、様々なところに広報してくださったこともありました。

━━『越後妻有 大地の芸術祭2022』で発表した《廻転する不在-越後妻有の場合》は、どのような経緯で制作されたのですか?

《廻転する不在-越後妻有の場合-》2021年 まつだい「農舞台」フィールドミュージアム

東:2020年に東京藝術大学卒業・修了制作展で発表し、翌年「第24回岡本太郎現代芸術賞<TARO賞>」を受賞して、その後ご縁があって、大地の芸術祭での展示が決まり、2021年7月に設置しました。自転車は十日町で集め、ひとつの車輪で大きな自転車をイメージし、1本のチェーンで動いています。公園遊具から発想した作品を制作するアーティスト、牛嶋均さんに手伝っていただきました。福岡の遊具工場でご指導いただいたおかげで安全な構造、耐用年数10年を実現しました。

━━自転車に乗ると、ちょうど城山に垂直に立つ、田中信太郎さんの16mの彫刻《○△□の塔と赤とんぼ》と向き合うような位置関係になりますね。

東:ロケーションを見て考えました。「まつだい農舞台」内にある河口龍夫さんの作品《関係 – 黒板の教室》からもよく見えるので、子どもたちが「あれに乗りたい!」と並んでくれたりしています。初めてパブリックアートになり、公の場に残っていくという経験ができました。

━━高い位置で景色も良いので、漕いでいるうちに飛び立てるような気持ちになりました。

東:ブランコのように浮遊感のある遊具ではないし、車輪が動く様子を見たくても背後にあって見えないし、でも漕ぎたいと思わせるダイナミクスがいいかなと。使われなくなった自転車がもう一度蘇るような。もし古くなったらまた地元で集めて交換できれば、地元のコミュニケーションツールにもなるかなと思っています。

━━ところで、コロナ禍での制作はどのように行なっていたのですか?

東:多くの作家が、部屋で小さい作品を大量につくるという方向性になったと思うのですが、コロナ禍であっても自分の体を動かして作ろうと。親戚の鉄工所に住み込みで、職人の幸田清治さんに溶接を教わりながら制作に打ち込みました。《無限車輪》は、前に進めないけど進む、という気持ちで作った作品です。

《無限車輪》2021年 GINZA SIX 三原テラス

━━溶接の修行はどうでしたか?

東:僕が溶接して点付けして止めたものが翌朝、工場に行くとバラバラになっているんですよ。幸田さんが納得する溶接ができるまで作品を作らせてもらえなかった(笑)おかげでマシになったかなという段階で、幸田さんに見てもらいながら作品を作りました。溶接すると鉄って歪むんですよ。パイプに直交に立てた時に下のパイプが熱で歪んでしまうんですね。そのため、歪みを予測して逆方向に歪ませておくという技法がありまして、あらかじめどれくらい歪むか経験から予測する、それを作品に生かしました。なので、これだけ柱が立っていても狂いなく組み立てられる。それだけの精度を出せるのは幸田さんに指導していただいたからかなと思います。

━━東さんにとって技術を上げることはどのような意味を持ちますか?

東:作品の質を上げることにもなりますし、溶接の師匠の幸田さんに近づくことでもあります。幸田さんには一生勝てないので(笑)。「なんで教えてくれたの?」と聞いたら、「今どきの若い人たちは教えるなかで怒るといなくなっちゃうけど、あんたは全部言うことを聞いて、これでどうでしょう?と品物を見せにくるから」と言われました。泥臭くコツコツとやることが好きだからか。

━━身に着けた技術からアイデアも生まれてきますか?

東:手を動かしていると、こうすればこういう精度が出るとわかるので、実現不可能だったことができることに変わっていくんですよ。例えば、技術がなければ、どこで買ってこようかとなりますよね。でも作れるようになれば、どの材料を買えばいいかに発想が変わる。溶接でもただ貼り付けるだけなのか、歪みなく溶接できるかによってどこまで発注して、どこまで自分で作るか発想が圧倒的に変わるんですよ。しっかりした溶接を学んだことで自信がついて、どんな大きなものでも怖くなくなりました。歪んでしまってもどう直せばいいかわかるので、ごまかさずにできます。

━━現代美術では失敗を転じるのもひとつの方法ですが……。

東:偶然を楽しむアーティストはいますが、僕は職人同様に精密に極めていくことに美しさを感じるんです。親戚が溶接工で、技術もそこで勉強したので、工業製品としても通用するところまでやりたいと思っています。

地図に残る仕事をしていきたい

━━2021年から、東さんは総合ディレクターとして、茨城県日立市大甕(おおみか)で「おおみかアートプロジェクト」を行なっていますね。これはどういうきっかけで始まったのでしょうか?

東:僕の作品を地元の新聞などでご覧になった日立の方から、何かアートイベントをやってほしいと話がありました。日立製作所の周りにはものづくりをしている人たちが数多くいるんですよね。それまで親戚や知り合いのアーティストの工場などいわば身内で制作していたのが、見知らぬ工場で制作できないかと考えて。2021年にものづくりとアートのイベントとして『おおみかアートプロジェクト』を立ち上げ、『星と海の芸術祭』を開催しました。金沢から作家を呼んで茨城の工場と繋げたり、普段木彫を手がけている作家にコンクリート店を紹介して一緒に作品を作ってもらったり、いろいろな工場とアーティストの組み合わせを実験してみました。地域のものづくりをしている方々に向けて、「まちで作る、まちと作る」として、地域でつくるアートイベントとしました。

━━東さんはどのような作品を作ったのですか?

東:自転車を漕ぐとグローブジャングルが回る、遊ぶこともできる歯科医院の看板を作り、恒久設置されています。歯医者に行きたくない子どもも、こういうのがあれば行ってみたいってなるかなあと思って作りました(笑)

《てるてる坊主と空を漕ぐ》2022年 『星と海の芸術祭』茨城県日立市

━━プロジェクトは継続されるのですか?

東:昨年クラウドファンディングもして、だいぶ頑張って予算を集めたのですが、今年は集まる予算の中でできることをやろうと今秋冬をめどに企画しています。

━━東さんにとって、他者と作ることや地域とつながることにはどのような面白さがありますか?

東:スタジオにこもって、自分の内面からギュッと絞り出して作るよりも、職人的な面を生かしながら地域の人との関わりのなかから出てきたものを、主に金属を使って作品にしたいと考えています。金属は長持ちするので長く残りますし、硬くて壊れないので、遊具など、様々な可能性のある素材。今後も溶接や旋盤の技術を極めてみたいと思っています。

職人から技術指導を受ける東さん

━━職人的なものづくりの思考が子どもの頃から身についているんですね。

東:知らないことを勉強するのが好きなんですよ。僕は技術的なことを聞くと興奮するんです。「こんな作り方をしているんですよ」と熱く語る職人さんと会うと「マジっすか!」と。「どんなふうにやってるんですか? 教えてください」と聞くと、語る職人さんも嬉しがって、すごく仲良くなれる。それで「今度こういうのやりましょうよ」と提案して、「お、やっちゃう?」みたいに職人さんが乗ってくれると、一緒に作るチャンスができます。僕にとっても勉強になりますし、職人さんにとってもいい変化になれば嬉しいですし。

━━これからどんなことを目指していきたいですか?

東:職人とアートの間を行きたいですよね。鎌倉時代の運慶、快慶だって職人じゃないですか。今は表現する人と作る人が分業制になっていて、ああいう職人的な芸術家、表現者ってあまりいないと思うので。コツコツと手で作るような泥臭いやり方でいきたいと思っています。ヤノベケンジさん、久保田弘成さん、椿昇さんのような巨大な彫刻をやりたいんです。理想としては、地図に残る仕事をしたいです。作った作品は解体することが多いのですが、公共の場に置ける作品を世界中で作りたいですね。いろいろな人と関わって作ったものだから、やはりいろいろな人に見ていただきたいです。その場にあるもので最大限のことをする。作れなければ地元で作って持っていきますし、自転車が使えそうだったら地元でまた集めればいいし。ない道具は作ればいい。

━━自転車に限らず、その場でリサーチしたものでもいいんですよね?

東:ええ。地元でリサーチした作品は地元で受け入れられやすいと思うので。いきなり脈絡のないものをどんと置いてインスタ映えスポットになるのではなく、地元の人がそこに何が置かれるのかなんとなくわかるくらいに仲良くなってから置きたいと思っています。

━━お互いに刺激になる、鼓舞し合う関係になるといいですね。地域のアートプロジェクトで地域の方々と作る作家は多いですが、お手伝いをお願いしたり、地域の工場に発注したりするケースが多く、東さんのように技術を高めあえるような関係性を構築する作家は希有な存在かもしれません。これからの展開を楽しみにしています。

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