インタビュー

活動支援生インタビュー Vol.40 大舘 実佐子「リーダーを作らないから、面白いものができる」

クマ財団では、プロジェクトベースの助成金「活動支援事業」を通じて多種多様な若手クリエイターへの継続支援・応援に努めています。このインタビューシリーズでは、その活動支援生がどんな想いやメッセージを持って創作活動に打ち込んでいるのか。不透明な時代の中でも、実直に向き合う若きクリエイターの姿を伝えます。

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Misako Odate | 大舘 実佐子

日本でミュージカルを作る。2020年に結成された「東のボルゾイ」は、脚本家、作曲家、演出家の3人が共同主宰をつとめ、オリジナルミュージカルを創作している。ブロードウェイやウエストエンドから輸入されるミュージカルとは違う、日本人が日本語で日本で上演するからこその表現。そして、自分たちの日常における実感や問いを描いていく。
なぜ、ミュージカルなのか。本インタビューでは演出家の大舘実佐子に、今年のクリエーションや劇団の在り方について聞いた。誰かがリーダーにならないという、これまでの舞台業界の“当たり前”とは違う創作環境はなにをもたらすのか、次代の舞台創作のひとつの在りようが、かいま見えてくる。

聞き手:河野桃子

日本の身体・言語が炸裂したオリジナルミュージカルを

東のボルゾイ

━━大舘さんが演出家として共同主宰する劇団「東のボルゾイ」は、日本人の身体と言語に強く着目したオリジナルミュージカルを作られています。そもそもなぜ大舘さんはミュージカルの演出という選択をされたんですか?

大舘:最初の演出はストレートプレイだったんです。大学1年生の時に『春のめざめ』という作品の演出をしたことを機に、演出家として活動を始めました。
ミュージカルを演出することになったきっかけは、大学での出会いでした。私の通う東京藝術大学には美術学部と音楽学部があって、作曲家志望の人、歌手になりたい人、俳優になりたい人といったいろんな出会いがあります。そこで一緒にやりたいなと思った人で集まってみたら、「このメンバーでやるならミュージカルだよね」と。それがスタートですね。
修士課程の時に劇団のようなものを立ち上げたのが、東のボルゾイ(以下、ボルゾイ)の前身です。ただ、一緒にやりたいなと思える魅力的な個性を持った人ばかりが集まったので、クリエイター同士のぶつかり合いがたくさん起きてしまって。10人ほどいた中で、「それでもやっぱり舞台を作り続けたい」と残ったのは3人でした。それが脚本家の島川柊と、作曲の久野飛鳥です。この3人で「やるからにはとことんミュージカルを突き詰めていこう」と、共同主宰として東のボルゾイを立ち上げました。そんな成り行き的な感じでしたが、始めてみたらミュージカルを作るのがすごく面白かったんですよね。

━━もともとミュージカルをよく観るわけではなかったんですか?

大舘:舞台は様々なジャンルのものを観ていました。演劇を始めた18歳頃は「とにかく観ることが大事だ」と周りの演劇人に言われて、小劇場から大劇場まで年間100本近く観ていました。そんな生活を3年くらい続けていくうちに、だんだん自分の中で作りたいものが定まってきて……でもまさか自分がミュージカルをやることになるとは思っていなかったです。

東のボルゾイ『バウワウ』

━━東のボルゾイでは「日本人の身体性と言語を炸裂させるミュージカルを作る」とのことですが、日本人に特化した身体性や言語とは、どういうものでしょう?

大舘:最近は和製のオリジナルミュージカルが増えてきた印象ですが、ボルゾイの前身団体を作った時は、まだ今よりも本数が少なかったですし、オリジナル作品を作る劇団も今ほど多くはなかった。ブロードウェイの作品を日本語に翻訳して、日本人が演じる。でもそうすると、どうしても翻訳の段階で言葉が省略されたりしてしまう。自分達でミュージカルをやるなら、ふだん話している日本語を優先させた表現方法を探っていきたい。演劇界は今、若い世代の元気がないと言われていますが、世代を牽引するような、新しく誠実な作品を積極的に生み出すのが目標です。いずれは国外にも打って出れたら、と思っています。
具体的には、ボルゾイの作り方は、まず脚本家の島川が台詞と歌詞をすべて書く。それをほかの2人が読んで「このシーンを歌にした方がいいんじゃないか」とか「そのためにはこのフレーズをもっと際立たせたらどうだろう」という話をします。同音意義語やオノマトペを使って、日本語の語感の面白さを生かしたりしています。
身体性については、たとえばブロードウェイだと役者さんたちの身体の持つエネルギーにすごく圧倒されることがあるんですよね。体も声も大きくてダイナミックで迫力がある。それと比較すると、やっぱり日本人って小柄だし、声量や声の圧力も劣ってしまう。一方で、統率の取れた動きや細やかなことにはすごく長けているなと感じていて。エネルギーで圧倒するような作品よりも、お客様がぐっと引き込まれていくような繊細な感情表現で見せる方が日本人の特性に合っているんでしょうね。
そういったところが日本人の身体性であり言語の特徴かなと思うので、それを炸裂させることを目指しています。やっぱりオリジナル作品をつくる以上は今までにないジャンルのものを目指していかないといけないなと。

━━翻訳したミュージカルだと、日本語のイントネーションとメロディが合わなくて不自然になることなどもあるかと思います。ミュージカル映画の翻訳では、元の言語と同じ母音の言葉を選ぶという話も聞いたことがあります。

大舘:すごくよくわかります。あと、精神性の違いもありますね。「日本人はそこでその感情にはなる人は少ないだろうな」ということもある。ミュージカルにダイナミックなものを求めたり、ミュージカルから激しいエネルギーを浴びたい気持ちはすごくわかるけれど、私たちが目指しているのはその方向ばかりではないかな。やりたいことは、社会問題に触れていて、深く思考しながら見れるような作品作りですね。

主宰が3人いることでのバランス

制作の様子

━━身体や言語にこだわる作品づくりは、ボルゾイの3名が演出、脚本、音楽という専門性を持ち、かつ、全員が対等な「主宰」という立場だからバランスがとりやすいのでしょうか。

大舘:そうかもしれないです。3人でとても討論して作るので、1を伝えれば10をわかってもらえるような関係になってきました。自分たちが最近見たものからどういうインスピレーションを得たかや、どういうところに問題を感じているかのような話をずっとしています。

━━6月に上演した『IBUKI』の公演パンフレットには、楽曲についてのLINE会議の様子が掲載されていて、細かなことも一つひとつ共有しながら創作していっていることが伺えました。3人で協働するにあたって、演出家である大舘さんの役割や、専門性はどんなことでしょう?

大舘:担当している分野は、演出と、舞台美術デザイン、衣装です。まず、脚本の第一稿が上がってきた時点で、どういうものをイメージしているかを私が話します。「読んだ時にこういう絵が浮かんだ」とか「ここでこういう絵を見せたい」とか「どういう楽器がいいんだろう」ということをシェアすると、作曲の久野が音を作ってきて「この方向でどうだろう」と。それを受けて、私から「このフレーズをここでも使うとこのキャラクターの心情がより際立たせられるんじゃないか」「この曲なら脚本の流れを少し変えてもらった方がいいかもしれない」というような返しをしてまた脚本の島川と相談して……と、納得がいくまで繰り返します。だいたい3ヶ月くらいかけますね。それから役者が加わって1ヶ月ほど稽古をして、本番を迎えます。

制作の様子

━━最初からそういった作り方だったんですか?

大舘:いや、初めの頃は、脚本ができて、曲ができて、演出します、という流れで、お互いのやることがはっきりと分かれていました。でも公演後に作品を振り返っている時に、作曲家の久野が「もっと音楽にできることはあると思う」と言って、脚本家の島川が「だったら脚本を書く時点からもうちょっとディスカッションを重ねよう」と、お互いのできる範囲がどれくらいかを探ってみたりするようになって、お互いの仕事がだんだん入り混じってきています。

━━さらにミュージカルではダンスやステージングなどの動きが重要ですが、「日本人の身体」についてはどう意識して表現しようとしていますか?

大舘:どう見せるかという大枠は私が構成しています。バレエをやっていたので、ステージのどこにどう人を配置したらどう見えるかというビジュアル面の美しさはすごく考えますね。それをどう表現するかの細かなところを振付の方にイメージを伝えて、「映画のあのシーンのあの空気感を出したい」「このナンバー(楽曲)とこのナンバーは対照的な画を作りたい」と時間をかけてすり合わせをしています。
また、俳優さん達とも稽古でいろんな話をします。私は作品において物語や感情の流れなどの芝居の部分を重視しているので、役者がやりにくくないことが大事。ステージングと役者の気持ちがぶつからないように、稽古場で討論して動線を変えることもあります。でもどうしても、客席から美しく見えることと、役者がやりやすい流れを両立することが難しい時もあるので、ステージングはまだまだ研究の余地がありますね。

━━『IBUKI』では20名ほどの俳優が「この舞台スペースでこれだけ動き回ってよくぶつからないな」というほど動きます。さらに舞台美術や紐などの小道具も移動します。役者同士の連携やフォーメーションなど、複数人が集まることによって相互に作用し合って増幅される表現の強さが、丁寧に作られていました。演出の役割は大きいと思います。

大舘:思い描いたアイデアを具現化するために、キャストの皆さんにはいつも負荷をかけてしまっているなと感じますね。「舞台を人や美術にぶつからないように走り回って曲が終わるギリギリで所定の位置に到着してほしい」とか、「軸の無いゴム人間のように動いてみてほしい」とか、かなりハードなことを要求しているので。
それを実現するために、稽古前にアンテナを張りやすくするワークなどを30分ほどやっています。たとえば、みんなで歩き回って空間を埋めて、誰かがクラップ(手を叩く)したらその人が後ろに倒れ、他の人が受け止めに行く……とか。何か起きた時にすぐに対応できる瞬発力や信頼感をチームで高める訓練をします。

「多様性」「鬱」、実感としての表現

『IBUKI』公演の様子

━━『IBUKI』は青年・オノが鬱になっていく自分と向き合っていく。この作品を通した大きなテーマは「多様性」でした。なぜこのテーマを?

大舘:テーマは主宰の3人で決めていて、日常のなかにあって、より深く考えたいものを取り上げることが多いです。『IBUKI』ではまず鬱や精神的な不安定さがとても身近にあるなと感じていること、そして、最近よく耳にするようになった「多様性」について深く考えたい、という私たちの思いが重なりました。
「多様性」と言われるけれど、なんだか言葉だけが流行っている気がするんです。他者の多様性を理解して受け入れるということを、私たちは真に理解できて実践しているんだろうか。ムーブメントが起きているからなんとなく「多様性」を理解して受け入れた気になっているだけなんじゃないか……。だからこそ「自分たちが理解したと思っている多様性は真の多様性か?」と考えなければ、と思いました。今やるから、意味がある。3年経つとこのテーマは古くなっているかもしれないですね。

━━『IBUKI』では主人公のオノに焦点をあてて、1人の人間がどう向き合うか、どう生きるかという切実さが丁寧に描かれていました。作り手が日々生きている感覚に重きを置き、自分たちから見えている社会性を表現しようとしている印象を受けました。作品における当事者性は、意識されているんでしょうか?

大舘:そうですね。私が演劇を好きなのは、他人の考え方を知ったり、自分の思いを馳せられるからです。だから「自分のことかもしれない」と思ってもらえるような作品が作りたいという気持ちが常にありますね。
ミュージカルってハッピーエンドで終わるものも多いけれど、『IBUKI』を、ただ「良かったね!」と拍手して終わるような作品にはしたくありませんでした。『IBUKI』では、オノの周りの人間は全然優しくなくて、誰も救ってくれない。社会の持つ冷たい側面を、舞台にした時に削いで綺麗に描くことはしたくありませんでした。さんざん悩んで、解決しなくてもいい。好きになった相手が自分とは違う国籍だった、ただそれだけのことにオノは追い込まれる。ラストシーンで立ち上がれないほど苦しんで、葛藤する。それは他人からするとそこまで問題だとは感じないことかもしれないけれど、オノのように当事者になった瞬間、大きな問題に発展する。そういうところに思いを馳せていかないと真の多様性というものは理解できないんじゃないかな、という気がするんです。

『IBUKI』公演の様子

大舘:心療内科の先生が持論を展開するばかりで結局なにも解決しないで終わってしまったり、大勢の患者のうちの1人として扱われていることにイライラしたり……実際に鬱を経験した人に話を聞いていると、そういう体験をしている人は少なくない。とくに鬱の時はメンタルも不安定だから、周りが全員敵に見えたりすることもある。脚本の島川は、そういう細部のリアリティーをとても大切に描いているので、演出面でも丁寧に見せることで作品に入り込めるようにしたいです。当事者じゃなかったとしても、その気持ちや状況を想像することで他者に寄り添える時間を作れたら、作品にしたかいがあったなと思うから。答えを提示したいわけではなくて、少しでも思いを巡らせてもらえるようなものを作りたいという気持ちは常にあります。

━━ミュージカルでは1曲の間に大きく感情が変わることがありますが、『IBUKI』はそうではなく、悩みや苦しみや戸惑いなどの心の葛藤が、1曲の中で時間をかけてしっかり描かれていました。ミュージカルという手法で、人物の感情やパーソナリティがより強く表現されていて、当事者性が際立っていたように感じました。

大舘:そうですね。例えば、オノが電車の中でキリへの思いを歌うシーン。「相手のことを思うと、痛いくらい好きだ」と台詞で表現するのは難しいけれど、音楽だったら伝わりやすい気がします。『IBUKI』でオノが鬱の症状に襲われるシーンは、あえて観客が「もうこりごりだよ」と思うほど長くしました。鬱の感覚を実感できればいいなと思ったんです。

━━たしかに、鬱のシーンではこちらまで責められている気になりました。

大舘:お客さんが登場人物の感覚を体験するような表現は、かなり前から使っているかもしれないです。2018年に演出した『今夜、あなたが眠れるように。』という演劇では、3人の役者が猛ダッシュで息切れしながらぐるぐると走り回るシーンを作ったんです。なぜなら、走っている時の息苦しさは誰もが共感できる。「生と死」をテーマにした作品だったので、物語の苦しさと、俳優が必死に走っている物理的な息苦しさが重なって、見てくださった方から「息苦しくて涙が出ました」という感想もいただきました。「役者さんの身体ってこういうふうにも舞台上で機能できるんだな」と面白かったです。その感覚は今も大切にしています。

演出家がリーダーにならない集団創作

HANA’S MELANCHOLY『今夜、あなたが眠れるように。』

━━東のボルゾイでミュージカルを演出する以外にも、ほかの舞台を手掛けています。演出家として劇団とそうでない場での違いはありますか?

大舘:変わらないですね。脚本を一番よく活かせる方法を考えるのが演出の仕事だと思っているので、その時々に適切な表現方法を考えるだけです。いま、東のボルゾイ以外に「HANA’S MELANCHOLY」(ハナズメランコリー)というユニットも組んでいて、そっちではストレートプレイの演出をしています。脚本家の一川華さんとは高校の同級生なので、付き合いが長い。一緒に作品をつくるクリエイター同士、お互いをよく知っていることは対立や馴れ合いにならずに良いふうに働いていますね。
そもそも、演出家から一方的に「こうして欲しい」と言うことが良いことだとは思っていないので、どの現場でも関わる人たちと相談しながら作りたいんです。だから、稽古場に入ってからも楽曲のアレンジが変わったり、楽曲そのものが追加されたりすることはよくありますよ。

━━舞台は集団創作なので多くの人数が関わります。互いに相談することは大事ですが、なかなか意見がまとまらないこともあるのでは。そこでの演出家の役割はなんだと思いますか?

大舘:そうですね……そのカンパニーに携わる全役職の人が、平等にクリエーションに関われるようにする環境を作ること、でしょうか。作品に対してもちろん自分のプランはあるけれど、まず大事なことは、良いチームづくりをすること。良いチームであればわりとどんなことでも実現できるので、風通しが良い環境を保ち続けるために動きたいです。

━━上の世代は演出家がリーダーであることが当たり前だという感覚が強いと思うので、真逆ですね。

大舘:演出家を始めた頃は、上の世代の方々を見て「リーダーシップを取れることが演出家として素晴らしいんだ」と思っていましたけど、やっぱり時代も変わってきて、リーダーシップをとることが最適な関わり方ではないんだなと気づいてきました。やっぱり舞台はチームプレイだから、信頼関係がないと作れないですよ。私が決めたものに乗っかってもらうのでは広がりがなくてつまらない。私の考えたアイデアよりも面白いものがあるなら、それを採用した方が絶対に良い。
私が思う良い創作環境は、全員が「自分が意見を言えばそれを受け止めてくれる人がいる環境なんだ」とわかったうえで取り組んでくれること。それができるような場作りがしたいですね。人間関係を構築するのが好きなんですよ。自分の中になかったアイディアが出てきた時が一番面白い。「よし、それやってみよう」と動いたら、作品が思ってもない面白い方向に行くことはよくあります。ただ、それで大事なところから外れたら引き戻すのも、演出家の役割だなと思います。

━━トップダウンではない作り方は、ともすれば船頭多くして船山に上るような状況になりかねませんが、そうならないのは、専門性の異なる3人が主宰であることも大きな気がします。

大舘:たしかに、バランスが保たれている気はします。三角形の端っこ同士のようでありながら、お互いを信頼して影響し合っています。あと、意図的に、1人に集中しないようにはしていますね。なにかを決める時や、なにかが起きた時には最低2人以上で対応する。2人が「良い」と思ったらそれに決定するけれど、1人がすごく反対することはやらない。前身の団体でうまくいかなかった失敗もあって、チームワークを大切にやっていこうという思いは強いですね。

━━演出家として、どうなっていきたいですか?

大舘:難しいですね……。東のボルゾイとしては今やっていることをひとつのジャンルとして確立させて、日本を代表して国外に出ていくような作品を作りたいです。オリジナル作品を大きな劇場で上演したり、多くのお客様に見てもらえることが一番の目標ですね。
演出家としては、ジャンルにとらわれずいろいろなものを演出できるように腕を磨きたいなと思っています。今はミュージカルとストレートプレイの演出をしていますが、オペラやバレエ、古典作品の演出もやりたい。
ただ、基本的には演劇が作りたいんですよ。ミュージカルであっても、音楽の力に胡坐をかかず、曲に負けない芝居を作らなきゃいけない。音楽と芝居がうまく融合しながら、音楽と役者が同じくらいの力でぶつかり合っているのが理想です。

生演奏による“音楽介在会話劇“を探る

東のボルゾイ『イエスと言え』

━━次の公演は、秋に東のボルゾイで初めてミュージカル以外の舞台ですね。

大舘:次回作は『イエスと言え』という8人芝居で、結婚をテーマにしています。結婚して、家庭を築いて、子どもができて……という人生が多くの人の目指すべき形だと考えられていたけれども、この十数年で変わってきている。パートナーシップ制度ができたりして、新しい家族の形も生まれている。異性と結婚して子どもを産むことが正解なんだろうかとよくボルゾイの3人で話していたので、「じゃあそれを作品にしよう」と。結婚に対する考え方は私たち3人の間でも違っているので、このメンバーで作ることによって『IBUKI』のように劇場で考えや思いを巡らせていただける作品になるんじゃないかなと思っています。
ミュージカルではなく「音楽介在会話劇」としていて、ベースは会話劇ですが、音楽が役者の1人として機能するくらい大きな位置を占めるイメージです。会話劇をやりたいということは2年くらい前から話していたんですが、ボルゾイには作曲家がいるんだから普通の会話劇ではなく音楽を活かそうということで、今までとは違う音楽の使い方を考えていきたい。どこに着地するかはやってみないとわからないですけれど、作品の中でも音楽は大切な要素になる予定です。

━━劇団としても新しい試み、楽しみです。ありがとうございました。

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