クマ財団ギャラリー【はじまり Part2】出展リスト・作家コメント
宇都宮 琴音
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絵本『とこしえの物語』
チェコでコロナ禍を過ごし、失われた日常の中で時間だけが過ぎ行き、疑いもせず繰り返し続いてゆくと思っていた事がそうでは無かったと気づいた。空白の日々への絶望とそこから見出す希望をこの絵本を通じて表現した。
文 / 絵 : 宇都宮琴音
ページ数 : 32
サイズ : 235 x 320mm
印刷 : シルクスクリーン René Řebec監修
製本 : 手製本 Jan Hybner監修
発行年 : 2021
発行部数 : 78
The Most Beautiful Czech Books Of The Year 2021 ノミネート作品
チェコ共和国プラハで製作し、今回日本で初めて公開する。
9月5日-9月10日にPinpoint Galleryにて個展『とこしえの物語展』を開催する予定。
個展の方にもぜひお越しください。
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古舘 壮真
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私たちは目の前のモノを認識する時、無意識に過去の経験や知識を使い実像を捉えていますが、馴染みのない現象や違和感のある景色を目の当たりにした時は、モノのあらゆる要素を汲み取ることで実像を識別しようとしています。3Dモデリングの構成要素にもこの認識のプロセスに似た性質があります。
画面上で展開するオブジェクトは認識さえできますがデジタル上においてあくまで成立してるように見えているだけであり、厳密には質量の無い「0」のオブジェクトと言うことができます。
そのオブジェクト同士が交わったり突き出たりするようなデジタル上で引き起こされるエラーにより、画面上の現象と経験則との関係が破綻し始めることで私たちは目の前のオブジェクトを要素から読み解こうとし始めるのです。これらの現象を現実の三次元空間へと持ち出したとき、認識のあり方がどうなるのかをMASSは具体的に示しています。一見変わった外観をしているように思えますが、面の切り替わりや奥行き、陰影などのあらゆる要素を汲みとろうとする行為は、感覚的なモノの捉え方としての、より “人間らしい” 見方であると考えています。
< プロフィール >
1995年愛知県春日井市生まれ。東京を拠点に活動。
空間内に存在するあらゆる関係性に着目し、独自のアプローチでデザインやアートワークを行う。素材そのものの鮮度を大切にしながらも、人・モノ・空間への効果的な造形表現を重視し、新しい機能や価値観、ストーリーを生み出す可能性を探る。
川端 健太
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現代は直接的なコミュニケーションが失われつつあるように感じる。
私は幼い頃身体が弱く母に連れられ病院を周って診察を受けていた。診察の際、医者は私を直接診るというよりモニターやカルテを通して私を診ていて、カルテを見る医者の横顔が強く記憶に残っている。歩き回って行った先々でやっ と順番が来て診察を受けているのに自分を見られていないような感覚があった。
一方、戦時中に看護師をしていた祖母が話した体験談は私が感じていた感覚とは対照的で、祖母は「薬もなく、背中 をさすって声を掛け最期を看取るしかできなかった」と言った。私の生きる現代は祖母の生きた時代よりも医療が発達し 多くの命が救われている。しかし直接的に診られたり触れられたりするコミュニケーションは医療に限らずあらゆる場所 で希薄になっていると感じている。新型コロナウイルスの影響でオンラインが加速度的に普及した一方で、あらゆる コミュニケーションの間で直接性の削がれた限定的な感覚体験が増えた。人と人の間に介在するフィルターやノイズのような現代特有のコミュニケーション、視覚体験をテーマに取材し絵画作品を制作する。
< プロフィール >
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『蠱惑』は、ダンサーの五十嵐琴美と、中村理彩子が共同企画したダンスショー。五十嵐が監督指揮し、脚本と衣装6着が中村によって制作された。
『蠱惑』は「美しくなる」ことに翻弄される主人公の葛藤を表現する舞台。
美しくなることには限界がある。少し前までは、美容の領域だと思われた行為(例えば化粧や脱毛)は、今や「身だしなみ」の領域に移った。近未来の世界では整形をすることが身だしなみになり、その容姿のトレンドは1年毎に変わるのかもしれない。私たちの鏡はこれまでも世間であったことには違いないが、手に収まる手鏡に毎日評価をされていたら、一体どうしたら美しくなれるのか人は悩むと思う。
今の女性が目指す美には限界がある。そもそも、女性にとっての美しいって、何なんだろう。
そういうことを考えながら『蠱惑』の脚本は作り、蝶になった主人公の心境の変化を表現する場面と、それぞれの衣装を作りました。
< プロフィール >
日本の芸術や工芸をインスピレーションに衣装製作や、3DCGウェアラブルの製作を行う。 慶應義塾大学総合政策学部を2018年に卒業。文化服装学院服装科II部を2019年に卒業。YOLK JAPAN ディレクター。
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縄文時代の日本では、あの世はこの世のあべこべである、と信じられていた。こちらが夕ならあちらは朝、こちらが夜ならあちらは昼。着物はこちらが右前に着るならあちらは左前。このような考え方は、現在でも「サカサゴト」と呼ばれ、死人が出た際には日常の様々な動作を逆に行うという風習として、日本各地に残っている。展示室では、まさに「サカサゴト」のように、本物の時計の盤面は反転し、逆回転している。そんな古時計が反転する時、忘れ去られようとしている葬送の風習を思い出すように、内部の映像が再生される。自身も忘れ去られようとしている古時計は、忘れ去られた風習の墓跡のようにそこに立ち、あの世とこの世の境目を曖昧なものにしている。
岡は自身の祖父の死に際して、棺に青い紫陽花を手向け、火葬の終わった遺骨が薄青に美しく染まっていたことから、青い紫陽花を手向けたことが、自分にとっての祖父を送る儀式であったと考えるようになった。かつて日本にあった葬送の風習を調べていくと、死者があの世への道で迷わないように、とか、魂の依代になるように、など、小さいコミュニティや人がかけた思いがそれぞれにあることがわかる。本来、死や、あの世と向き合う姿勢は、このような小さな願いや死者への慮りから出発したものが多かったのであろう。日本各地に残る、今や消えようとしている葬送の風習やあの世の見方を再度見ていくことで、形骸化しつつある葬送の形や、死との向き合い方を再考したい。
< プロフィール >
美術家。映像と空間設計により、時間軸をもったインスタレーション作品を制作している。主な活動として、オープン・スペース2019(ICC・東京)出品、大駱駝艦壺中天公演「宮崎奴」映像制作・投影設計など。2019年よりベルリン芸術大学メディアアート科招待学生。現在東京藝術大学院美術研究科在籍。
個人サイト / Twitter / Instagram / Facebook
< コメント >
『The world in the stomach of a ferocious tiger』
なんでも食べてしまう凶暴なトラ。じつは腹の中は別世界が広がっている…。
A ferocious tiger that eats everything, but another world is spreading in the stomach …
『 襲来』
振り返るともう逃げられない。
最後の切り札を出す時が来た。
『 climbing up a waterfall 』
古代中国の登竜門という故事が元となっている『鯉の滝登り』。
日本では立身出世の縁起の良い象徴のひとつ。
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大人になると日本社会は動きの一つ一つが出世道。
『ルール』を守れなければ出世は遠のいていき、谷底までまっさかさま。
『日本の錦鯉』は、みんな一心不乱に登っていく。
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水の部分には逆さの文字が鯉に向かって流れ落ちている。
日本特有のその乗り越えなければならない『ルール』は、濁流のように突然降り掛かる。
あなたが見えるのはどの言葉だろう。
※「ストレス→お酌→成果→忖度→人間関係→礼儀→上座下座→蹴」上に上がるにつれて変化。
『吐息Ⅱ』
アメリカバイソンは2016年にアメリカを象徴とする動物として、国鳥のハクトウワシと並び、「国の国獣」に指定された。しかしこの動物はアメリカの負の歴史を象徴とする存在でもある。
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19世紀のなかば、米国の白人達は先住民を支配下に置くために彼らが食料としていたバイソンを乱獲するようになった。理由なく娯楽のために殺害もされ、数千万頭生息していたバイソンはわずか20数頭まで減少した。
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アメリカではコロナ禍によりアジア系に対する差別、暴力化が深刻化されている。悪いのは「コロナ」であるはずなのになぜアジア人が排除されなければならないのか。
たくさんの人種によって成り立つ国家として人種の排除、優劣の選別を繰り返すままでいいのでしょうか。負の歴史を繰り返すままで良いわけがない。
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わたしはこの状況が昔のアメリカ対バイソンの関係と重なって見える。
この黄色い毛のバイソンは当時のアメリカバイソンのように何があっても決して逃げない。
『奇襲』
気づけばもう遅い。
風を裂いてやってくる。
< プロフィール >
伝統的な水性木版画の技法で新たな表現方法を模索している。自分というフィルターを通して、動物に携わっている造形性や、内面を追求。近年では動物を介して人間社会を考える作品を制作。動物がすき。